a) How do you do it?
b) Away from you
Laurie 3162 Apr. 1963
ジェリーとペイスメーカーズの記念すべきアメリカ・デビュー盤は、イギリスでのデビューからわずか1ヶ月後にローリー・レコードから同じ内容で発売されたが、話題を集めることはなかった。
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a) I like it
b) It's happened to me
Laurie 3196 Aug. 1963
アメリカでの2枚目のシングルもイギリス盤と同内容で発売されたが、これも不発に終わった。
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a) You'll never walk alone
b) It's all right
Laurie3128 Jan.1964
3枚目のシングルもイギリス盤と同内容だったが、これもヒットには結びつかなかった。
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a) I'm the one
b) How do you do it?
Laurie 3233 Mar. 1964
このシングルはビートルズ・ブームの余波を受けての人気を期待してリリースされたもので、B面に「恋のテクニック」を収録するという力の入れ様だったが、この形ではヒットしなかった。
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a) Don't let the sun catch you crying
b) Away from you
Laurie 3251 May.1964
アメリカでの5枚目のシングルは5月10日の「エド・サリバン・ショー」への出演と同時にすさまじい売り上げを示し、ジェリーにとってアメリカで初めてのヒットをもたらすこととなった。「太陽は涙が嫌い」は5月23日に87位でビルボード・ホット100に登場し、7月4日から2週間最高位の4位にランクされた。
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a) How do you do it?
b) You'll never walk alone
Laurie 3261 June.1964
「太陽は涙が嫌い」の大ヒットに便乗しようとしたローリー・レコードは過去に発売されたシングルのA面曲をカップリングして6枚目のシングルとして発売した。この作戦は功を奏し「恋のテクニック」は7月11日に85位で初登場し、9月5日に最高位の9位にランクされるヒットとなった。
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a) I'm the one
b) It's all right
Laurie 3233 June 1964
「恋のテクニック」と同じ日にローリー・レコードは3月に発売されていた「アイム・ザ・ワン」をB面を差し替えて再発したが、こちらのシングルはヒットとはならず7月11日に95位で初ランクされたが、翌週に82位まで上昇するとチャートからあっさり姿を消してしまった。
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a) I like it
b) Jambalaya
Laurie 3271 Sep.1964
一連の再発シングルのヒットに気をよくしたローリー・レコードは唯一再発されていなかった「アイ・ライク・イット」もB面を差し替えて再発した。このシングルもほかの再発盤と同様に好調な売れ行きを示し、9月26日に66位でチャート・インし、11月7日に最高位の17位まで上昇した。
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a) I'll be there
b) You you you
Laurie 3279 Nov.1964
アメリカでの64年最後のシングルは、新曲がアメリカで先行発売された初めてのシングルとなった。65年10月に東芝が発売したEPには「この曲は64年10月にアメリカを訪れ各都市で熱狂的な歓迎を受けましたが、その時アメリカで吹き込まれたものです。」との記述があるが、これは間違いで64年9月23日にロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音された。このシングルは12月12日に81位で初登場し、65年1月30日に14位まで上昇するヒットを記録した。
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a) Ferry cross the Mersey
b) Pretend
Laurie 3284 Jan. 1965
アメリカで通算10枚目のシングル「マージー河のフェリー・ボート」は、主演映画のサウンド・トラックからの新曲だったが、イギリスとはカップリングが異なっている。この曲は2月6日に61位で初登場し、3月20日から2週間最高位の6位にランクされた。残念なことにこの曲がアメリカで最後のトップ・テン・ヒットになった。
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a) It's gonna be all right
b) Skinny Minnie
Laurie 3293 Mar.1965
「イッツ・ゴナ・ビー・オール・ライト」はアメリカではイギリスから7ヶ月遅れでようやくシングル・カットされ、4月10日に63位でチャート・インし、5月8日から2週間最高位の23位にランクされた。
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a) You'll never walk alone
b) Away from you
Laurie 3302 May1965
ローリーが発売した12枚目のシングルは、両面共にアメリカでは3回目のシングル発売という曲のカップリング。A面の「ユール・ネバー・ウォーク・アロン」は3回目のシングル発売でやっとヒット・チャートに登場した。6月5日に81位にランクされると、7月3日には最高位の48位まで上昇するスマッシュ・ヒットとなった。
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a) Give all your love to me
b) You're the reason
Laurie 3313 Juiy 1965
アメリカやカナダなど一部の国だけで発売された「ギヴ・オール・ユア・ラヴ・トゥ・ミー」はニューヨークのキャピタル・スタジオで、ホリーズのプロデュースを担当していたロン・リチャーズのプロデュースで録音されたが、ローリー・レコードの期待通りのヒットとはならず、8月14日に98位の初登場し、9月11日に68位になったのを最後にチャートから姿を消した。
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a) Walk hand in hand
b) Dreams
Laurie 3323 Nov.1965
初めてイギリスと同時発売されたシングルだったが、ビルボードのホット100入りを逃した初めてのシングルにもなった。12月に103位にランクされたが、それ以上チャートを上昇することはなかった。
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a) La la la
b) Without you
Laurie 3337 Mar. 1966
このシングルはイギリスではヒットしなかったが、アメリカでは4月2日に92位で初登場、ホット100を出たり入ったりして5ヶ月後の9月16日に最高位の90位にランクされた。 |
a) Girl on a swing
b) The way you look tonight
Laurie 3354 Aug. 1966
イギリスより1ヶ月早くリリースされたアメリカで16枚目のシングル「ガール・オン・ア・スウィング」は、イギリスとは異なるカップリングで発売され、アメリカでの最後のヒットとなった。9月10日に85位でチャート・インし、10月22日に28位まで上昇するヒットを記録した。
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a) Looking for my life
b) The big bright green pleasure machine
Laurie 3370 Jan. 1967
アルバム「ガール・オン・ア・スウィング」からのシングル・カットで、アメリカでのラスト・シングルとなったが、残念ながらホット100にランクされるヒットにはならなかった。
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LAURIEレコードのレーベル。
横側の赤い部分にRERELEASEと書かれているものもある。 |
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