a) Suger and spice
b) Saints and the Searchers
Pye 7N15566 : Oct.22 1963
サーチャーズの2作目は、プロデユーサーのトニー・ハッチが書き下ろした曲で、ギターのリフとドラムの軽快さが印象的なポップ・ナンバー。2位どまりになってしまったが、1位になるのを阻んだのはジェリーとペイスメーカーズの「ユール・ネバー・ウォーク・アロン」だった。B面の「聖者の行進」はトラディショナル・ナンバーのカバーだが、タイトルは変えてある。
a) Needles and pins
b) Saturday night out *
Pye 7N15594 : Jan.7 1964
オリジナルはアメリカの女性シンガー・ソングライター、ジャッキー・デ=シャノンで作者はソニー・ボノとジャック・ニッチェ。トニーに変わりマイクがボーカルをとり、クリスがコーラスを付けている。イギリスではジェリーとペイスメーカーズの「アイム・ザ・ワン」を押さえ1位になり、前曲の時のお返しをした。サーチャーズのアメリカ進出のきっかけとなったシングルでもあり、アメリカでも13位になるヒットとなった。日本では「ピンと釘」のタイトルでリリースされ、1965年に「イッツ・イン・ハー・キッス」のB面に収録された時に「ピンと針」に改題された。B面の「涙の週末」はビートルズ風の”Wooo!”というコーラスを使った非常に興味深い曲である。トニーがリードを取った最後のシングル曲。
a) Don't through your love away
b) I pretend I’m with you *
Pye 7N15630 : Apr.7 1964
A面の「心がわりはやめとくれ」は、「ザ・ワッシ」で有名なアメリカの黒人コーラス・グループ、オーロンズがオリジナルのバラード。ここでも前作同様マイクがボーカルをとり、クリスがコーラスを付けている。3曲目で最後の全英ナンバー・ワン・ヒットとなり、アメリカでも16位にランクされた。日本では「心がわりはやめとくれ」のタイトルでリリースされた。B面の「アイ・プリテンド・アイム・ウィズ・ユー」はクリスの作品で彼がボーカルをとっている。彼らのオリジナル作品の中では、最高傑作のひとつに数えられる。彼らのイメージどおりのクールなポップ・ナンバー。
a) Someday we're gonna love again *
b) No one else could love you *
Pye 7N15670 : July 7 1964
トップ・テン入りを逃した初めてのシングル。11位が最高位だったこの「ラブ・アゲイン」は、A面にするにはいささかインパクトにかける曲であったといえるが、聴くほどに味の出てくる不思議な曲。B面も前作同様クリスによる曲だが、かなり地味な暗い曲になっている。このシングルを最後にトニー・ジャクソンはグループを脱退し、ヴァイブレーションズを結成する。
a) When you walk in the room *
b) I'll be missing you *
Pye 7N15694 : Sep.11 1964
前作の失敗を挽回するためにサーチャーズの面々が選んだのは、再びジャッキー・デ=シャノンの曲であった。この曲は4位まで上昇するヒットになると同時に彼らの代表曲のひとつにもなった。B面の「ミッシング・ユー」はクリス、ジョン、マイクの共作でB面にふさわしいフォーク調のポップ・ナンバー。オリジナル曲の中ではベストに入る作品だろう。このシングルから元レベル・ラウザーズのフランク・アレンが参加している。
a) What have they done to the rain ? *
b) This feeilng inside *
Pye 7N15739 : Nov. 27 1964
おそらくこの「雨に消えた想い」はビート・グループが取り上げた初めてのプロテスタント・ソング(反核の唄)であろう。この時点でこの様なメッセージ・ソングを取り上げたビート・グループは皆無であった。このへんに彼らの選曲のセンスの良さが窺える。サーチャーズにとっては初めてストリングスを導入した曲でイギリスで13位、アメリカでは29位にランクされるスマッシュ・ヒットとなった。B面はマクナリーによる初めての作品。A面とは違い、可愛い感じのポップ・ナンバーである。
a) Goodbye My Love *
b) Till I Met You * Pye 7N15794 : Feb. 26 1965
いつも通りのコーラスは素晴らしいものの、かなり暗い雰囲気のスローなナンバー。それまでのサーチャーズのイメージからかけ離れていたが、逆にこれが功を奏したか?前作を上回る4位にランクされるヒットとなった。サーチャーズのシングルの中でも、どちらかといえば不出来のような気がするのだが・・・。B面の「君を求めて」はサーチャーズ4人の共作。アコースティックなフォーク・ナンバーで、詩的な歌詞もなかなか良い。ここでもコーラスは素晴らしい。
a) He's Got No Love *
b) So Far Away *
Pye 7N15878 : July 2 1965
A面の「ノー・ラヴ」はクリス・カーティスとマイク・ペンダーによるオリジナルで、オリジナルでシングルのA面に採用された最初の曲。軽快なポップだが、どこか哀愁が感じられる。12位のヒットを記録した。B面の「思い出ははるか彼方」はカーティスが一人で書いた作品。
a)When I Get Home *
b) I'm Never Coming Back *
Pye 7N15950 Oct.1 1965
A面の「ホエン・アイ・ゲット・ホーム」はアメリカの人気歌手ボビー・ダーリンが1965年の6月にアメリカでリリースしたオリジナル曲で、サーチャーズはオリジナルバージョンをほぼ忠実に再現している。しかし、ダーリンのバージョンもヒットしなかったのと同様、サーチャーズのレコードもイギリスで始めてトップ30入りを逃すこととなった(35位)。B面はカーティスとペンダーの書いた曲だが、あまり印象に残りにくい曲である。
a) Take Me For What I'm Worth
b) Too Many Miles
Pye 7N15992 Apr.13 1965
日本では「俺でよけりゃ」というタイトルを付けられたA面は、サーチャーズの硬派なイメージに合った当時売れっ子のライターであった P F
スローンのペンによる名曲で、20位のヒットを記録した。この曲をタイトルにしたアルバムも製作されている。B面の「トゥー・メニー・マイルズ」はメンバー4人による共作。軽快なアコースティック・ナンバーである。
a) Take It Or Leave It *
b) Don't Hide It Away * Pye 7N17094 : Apr.13 1966
A面の「テイク・イット・オア・リーヴ・イット」はローリング・ストーンズのオリジナルでサーチャーズのバージョンは得意のコーラスを活かしたアレンジで仕上げており、ストーンズのバージョンと聞き比べると、両グループの特徴が浮きぼれにされる感があって面白い。サーチャーズにとって最後のヒットとなった。(25位)B面の「ドント・ハイド・イット・アウェイ」はマクナリー、ペンダー、アレンの3人による作品だが、非常に暗いシリアスな曲。このシングルを最後にドラムのクリス・カーティスは脱退を表明する。
a) Have You Ever Loved Somebody *
b) It's Just The Way *
Pye 7N17170 : Sep.9 1966
前作のストーンズに続き今度はホリーズの曲のカバー。ホリーズのバージョンよりややテンポを上げている。両グループともコーラス・ワークを売りにしているが、若々しいホリーズに比べ、サーチャーズは落ち着いた渋い雰囲気を持っている。素晴らしいカバーに仕上がっているが、ヒット・チャートとは無縁であった。B面の「イッツ・ジャスト・ザ・ウェイ」はマクナリーとペンダーによるバラードで、なかなかの佳作。このシングルからジョン・プラントが加入している。
a) Popcrn Double Feature *
b) Lovers * Pye 7N17225 : Jan.20 1967
もうこの時期になるとサーチャーズは完全に過去のグループになってしまっていた。A面の「ポップコーン・ダブル・フィーチャー」はストリングスを使ったやや風変わりな曲。むしろB面のボサ・ノヴァ風の「ラヴァーズ」のほうが出来が良い。しかし全くヒットには繋がらなかった。
a) Western Union *
b) I'll cry Tomorrow *
Pye 7N17308 : Apr.21 1967
「ウエスタン・ユニオン」は電報を題材にした「ツーツーツー」というコーラスがコミカル曲で、モンキーズあたりが軽快に歌えばヒットしそうな曲だが、サーチャーズのカラーには合わない。B面の「アイル・クライ・トゥモロー」はマクナリーとペンダーによるオリジナルで、哀愁たっぷりのバラード。やはりこの手の曲が彼らにカラーには合っていたのではないか?
a) Secondhand Dealer *
b) Crazy Dreams *
Pye 7N17424 : Nov. 1967
中古車販売員を歌ったマクナリーとペンダーによるオリジナル曲。これまた哀愁を帯びたスローテンポの曲で、サーチャーズ・サウンドの典型的な曲であったが、残念ながらヒットには至らなかった。B面の「クレイジー・ドリームス」はマクナリーによる曲で、当時「ニュー・ロック」呼ばれたあたりのサウンドに挑戦している意欲作。それまでのサーチャーズからは考えられないスタイルである。この曲の不発によりサーチャーズは5年間在籍したパイに契約を打ち切られてしまう。