「ラブ・ポーションNo9」
サーチャーズの代表曲といえば?と聞かれたら半分以上の日本人が「ラブ・ポーション・ナンバー・ナイン」と答えるだろう。この曲ははじめ日本では「ラブ・アゲイン」のB面に収録されていたのだが、アメリカでのヒットに乗じて日本でも人気が出始め、セカンド・プレスからA面に昇格したという曰く付きの曲である。実際この曲こそが初期のサーチャーズ・サウンドが凝縮されたものといっても過言ではあるまい。
この曲を聞いていただければ分かるようにサーチャーズのレパートリーは、ほとんどがR&Bのカバーであった。しかし彼らが今日ローリング・ストーンズなどのロンドン出身のグループのようにR&Bグループとして評価されていないのは、そのアレンジがあまりにも洗練されていたためと思われる。つまり彼らはR&Bから黒人的な要素を取り除いた白人のリスナーに聞きやすいアレンジを施したというわけだ。彼ら自身も他のリバプールのグループと違って、R&Bグループと呼ばれる事を嫌っていたという。初期のサーチャーズ・サウンドの特徴は、軽快さにあると言える。マイクのギター然りイギリス版フランキー・ヴァリと称されたトニーのハイトーン・ボーカル(グラハム・ナッシュのそれとは一味違う。)然り。トニーの声には全く暗さはないが、これにマイクやクリスの枯れたボーカルが加わる事により、あの独特のサーチャーズ・サウンドが完成するのである。(しかしこの初期のサウンドはトニーの脱退と共に180°変わったものになる。)彼らこそ後に登場するアメリカのフォーク・ロック・グループのルーツだという評論家もいる。これはバーズに与えた影響を考えてみても納得できる。また当時のイギリスではまだポピュラーでなかったアメリカのR&Bやポップ・チューンを一般のリスナーに紹介した功績も忘れてはならない。
結成からデビューまで
サーチャーズが結成されたのは61年。高校の同級生だったジョン・マクナリー(リズム・ギター)とマイク・ペンダー(リード・ギター、ヴォーカル)のギター・デュオにトニー・ジャクソン(リード・ヴォーカル、ベース)とクリス・カーティス(ドラム)が加わりサーチャーズとなった。この名前はジョン・ウェインの映画(邦題「捜索者」)から拝借したというのは有名な話である。彼らはまずカントリー系の歌手ジョニー・サンドンのバックバンドとして活動を始めたが、62年の3月にジョニーがレモ・フォーと組む事になりサーチャーズは彼から独立した。4人はまずリバプールのクラブ、アイアン・ドアのハウス・バンドとなり腕を上げ、秋にはビートルズと同じくアラン・ウィリアムスのルートでドイツのスター・クラブに出演する。(この時のライブを収録した音源が後にフィリップスからリリースされた。)
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ジョニー・サンドン
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63年になるとサーチャーズは、オーディション用に自主制作のアルバムを作った。これは一説にはデビュー・アルバムとほぼ同内容であったといわれる。このアルバムを聞いて彼らと契約したのがパイ・レコードのトニー・ハッチだった。6月にはドリフターズの「スウィーツ・フォー・マイ・スウィート」のカバーでデビュー、これがイギリスで1位にランクされるヒットとなった。トニー・ハッチは抜け目なく「スウィーツ・〜」をメインにしたアルバム「ミート・ザ・サーチャーズ」を制作する。このアルバムはほとんどがR&Bのカバーで占められており、ビート・グループによる初めてのR&Bアルバムといっても過言ではないだろう。アルバム・チャートで2位にランクされるヒットとなった。続くシングルのハッチが書いた「シュガー・アンド・スパイス」は2位まで上昇するヒットを記録、再びこの曲をメインにしたアルバムを制作する。
ボーカリストの交代
3枚目のシングルではアメリカの女性ソングライター、ジャッキー・デ=シャノンの「ピンと釘」をカバーしたのだが、プロデューサーのトニー・ハッチはここでリード・ヴォーカルにマイク・ペンダーを起用した。スロー・テンポのこのバラードにマイクの低音のボーカルは見事にマッチし再び全英1位に輝くヒットとなった。続くシングルの「心がわりはやめとくれ」でもマイクがリード・ヴォーカルをとり再び全英1位となった。また3枚目のアルバム「イッツ・ザ・サーチャーズ」でもトニーは1曲しかボーカルをとっていない。マイクとクリスのボーカルは、トニーの声質とは違い、非常に落ち着いたもので、このアルバムも全体的に大人びた感じになっている。つづくシングル「ラブ・アゲイン」はやや迫力不足の力で、初めてトップ・テン入りを逃したシングルとなった。
トニー脱退の真相
さて、このシングル発売後にトニーが脱退するのだが、今まではリード・ボーカルを外された上に、クリスとの仲が険悪になったため、サーチャーズに幻滅して脱退したという、トニーに同情的な原因が通説となっていたが、昨年クリスがインタビューで語ったところによると、トニー脱退の原因は"Needles
And
Pins"のレコーディングの際、当初トニーが歌ったものの彼の声質がこの曲には適さない為、結果的に声質がフィットしたマイクがヴォーカルをとった訳だが、この時トニーがヴォーカルを取ると強行に主張、「取らせなければお前の秘密を暴露してやる」とまでリーダーのクリス・カーティスに詰め寄ったために、解雇されたと言うのが真相のようだ。但し解雇された時期については、クリスは「その時点で」といっているが、トニーを含むメンバーで、4枚目のシングル「心がりはやめとくれ」を演奏しているライブビデオが残っているので、実際はもう少し後の事かもしれない。この様なスキャンダルがグループのイメージを傷付けるのを恐れて、今まで真相は語られなかったのだろう。よって3枚目のアルバムにのトニー色が殆ど感じられないのは、このセッションの時点で既に彼は解雇されていた為である。という訳で、3枚目のアルバムはトニー抜きの暫定的なメンバーによって録音されたと見るのが妥当だろう。
グループを解雇されたトニーは、ヴァイブーレーションズを結成してパイと契約したが、サーチャーズで勝ち得た成功を再び手にする事は出来なかった。トニーが自分のグループを結成したころ、残された3人のメンバーはトニーに変わるベーシストを募集するために、雑誌にオーディション広告を載せるのである…。
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文・ドクター・ミック
資料提供・犬伏功
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