アントニオ猪木の卍固め

2002.4.28 upload
2024.12.31 remix

 

筆者が独断で選んだ卍固めの三大名場面。S44年のマルコフとのワールド決勝戦、S48年のパワーズとのNWF世界戦、S50年のロビンソンとのNWF世界戦   

 

 自分の必殺技であったコブラツイストをライバルの馬場が使うようになり、アントニオ猪木がコブラツイストの上を行く必殺技として考案したのがアントニオ・スペシャルこと卍固めである。

 コブラツイストをさらに複雑にしたようなこの技は相手のアバラ、腕とともに首まで決めてしまうという複合技であった。当時は猪木が特別コーチのカール・ゴッチとともに編み出したオリジナル技と宣伝されたようであるが、実際はヨーロッパで広く使われていたオクトパス・ホールドを日本で初公開したのものであった。初公開は昭和43年12月13日のタッグマッチ。犠牲者第一号はブルート・バーナードであった。

 猪木はこの技をここぞという大一番で使った。ある意味、原爆固めよりも温存していた猪木にとって究極の必殺技であったといえる。その記念碑的な試合が「第11回ワールドリーグ戦」であった。白熊クリス・マルコフをこの技でギブアップさせ、猪木は日本プロレスのエースの証明であるワールド・リーグ戦の優勝トロフィーを手にしたのである。この技は猪木にとっても思い出の多い技だろう。その後もジョニー・パワーズからNWF世界ヘビー級選手権を獲得した試合、ビル・ロビンソンとのフルタイムマッチなどの大一番で爆発させている。

 この卍固めという技は、プロレス技のなかでも屈指の「芸術品」であると言っても過言ではない。相手の体勢によっても着映えが変わってくる。それでは、猪木の卍固めアラカルトをご覧いただこう!(笑)

 

インター・タッグ戦でマスカラスに決めた卍固め

 

バレンタイン戦。表情が良い

  M・スーパースター戦。小林邦昭が思わずガッツポーズ   宿敵のT・J・シンに決めた卍固め。鬼気迫る表情

 

相手が崩れても絡みつく。まさにオクトパス!

 

昭和59年の長州戦。この絡みつきも凄い!

  クラッシャーにきめた卍固め。腕の決め方が不完全

 

 猪木の卍固めの凄いところは相手の体制が崩れたり、完全に腕をきめきれない場合でも、相手からギブアップを奪っている点である。これは猪木のバランスの良さ=体幹の強さを証明している。

 ここで猪木の卍固めの連続写真をご覧いただこう。昭和49年12月12日、ストロング小林との2回目のシングル戦でみせた卍固めの連続写真である。左足を相手の頭にかけた後、がっちりと足で相手のアゴをロックしている点に注目!

 

 
   

 

 しかし、この技の神通力も猪木の衰えとともに薄れていく。昭和47年の新日本プロレス旗揚げ戦でゴッチがするするっとはずし、リバース・スープレックスでフォールしたのは、この技を猪木に伝授したゴッチが相手だったからという理由で、あまりショッキングには捕らえられなかったようだ。

 しかし、昭和53年にボブ・バックランド、昭和55年にケン・パテラにそれぞれこの技を仕掛けた際、じりじりとロープに逃げられたシーンは猪木ファンだった筆者にはショッキングなシーンとして脳裏にこびりついている。

 バックランドもパテラも2回目の卍固めでギブアップさせたが、昭和54年のスタン・ハンセンとの試合では卍固めを完全に振りほどかれ、試合にも負けてNWFヘビー級タイトルをハンセンに奪われてしまった。ホーガンのアックスボンバーに失神したIWGP決勝戦が猪木神話の崩壊の日とするならば、ハンセンとの試合は猪木神話の落日が始まった日といってよかろう。筆者にとって卍固めは猪木神話黄金時代の象徴だったのである。

 

新日本プロレスの旗上げ戦で卍固めを外したゴッチ

 

卍固めをかけられたままロープに逃れたバックランド

  ショックだったハンセンの卍固め破り!

 

 猪木は卍固めの改良にもトライしていた。昭和52年7月15日にエル・ゴリアスにかけた「新卍固め〜ニュー・アントニオ・スペシャル」である。これは8月2日に控えていたザ・モンスターマンとの格闘技世界一決定戦用の新兵器と当時のゴング誌は伝えていた。しかしモンスターマン戦では使われなかった。この後、10月のロディ・パイパー戦でこの技をかけようとしたが、かけ方を忘れたのかあきらめてダブルアーム・スープレックスに切り替えパイパーをしてめているところが映像で残されている。

 かかったフォームは見応えがあるが、かけ方がややこしかったのか、結局、「新卍固め」が猪木の必殺技として定着することはなかった。

 

猪木が昭和52年に一度だけ公開した幻の「新卍固め」!

  

猪木にあてつけたような大木の卍固め

 

坂口の元祖おきて破りの卍固め!

  天龍の卍固めはバランスが悪い

 

 
 佐山メキシコ修業時代のオクトパス  

ロビンソンンのオクトパス。後方に体重をかける

 

ダイナマイト・キッドの卍固め

  アドニスの卍固め。腕の極め方が欧州風?

 

 猪木以外で卍固めをはじめて使った日本側レスラーは大木金太郎であった。猪木が追放された次のシリーズでのアジア選手権のフィニッシュで猪木にあてつけるかのように卍固めを使っている。エプロンに見える星野の表情もなかなか興味深い。大木は昭和50年代国際プロレスに入団した際、足を首にかけない卍固めともいうべき「X固め」をフィニッシュに使っていた。

 日本人の卍固めと言えば、「第1回MSGシリーズ」で坂口征二が猪木にかけた卍固めも忘れがたい。いわば「おきて破り」の元祖だったともいえよう。

 また天龍も卍固めを多用していた。かけたときに上半身が右に傾いていて見栄えも効き目も悪かった。天龍は延髄斬りも使い、猪木を意識していたと思われる(本人は否定していたが)。

 オクトパス・ホールドの本場である欧州系のレスラーでは、ビル・ロビンソン、ダイナマイト・キッドが日本でもこの技を良く使っていた。欧州流の卍固めの特徴は、腕の決め方が独区なことと、体重を後ろにかけるということであろう。腕を決めて後方に体重をかけているため、首へ与えるダメージは半減している。

 欧州と交流の多いメキシコでも卍固めは頻繁に使われた。日本ではビジャノ3号あたりが公開していた。メキシコでは変形の卍固めも多く使われたようである。

 意外なところではキース・フランクス時代のアドリアン・アドニスが卍固めを得意としていた。