アントニオ猪木の卍固め

2002.4.28 update

 

 

因縁のジョニー・バレンタインに決めた卍固め。
猪木の表情を見よ!

 

46年のインター・タッグ戦のフィニッシュ。マスカラス
と猪木の数少ない対戦。

 

 猪木のシンボルであったコブラツイストをライバルの馬場が使うようになり、猪木がコブラツイストの上を行く必殺技として公開したのがアントニオ・スペシャルこと卍固めである。コブラツイストをさらに複雑にしたようなこの技は相手のアバラ、腕とともに首まで決めてしまうという複合技であった。当時は猪木が特別コーチのカール・ゴッチとともに編み出したオリジナル技と宣伝されたようであるが、実際はヨーロッパで広く使われていたオクトパス・ホールドを日本で初公開しただけのものであった。

 猪木はこの技をここ一番で使った。ある意味原爆固めよりも温存していた猪木にとって究極の必殺技であったといえる。その記念碑的な試合が第11回ワールドリーグ戦であった。白熊クリス・マルコフをこの技でギブアップさせ、猪木は日本プロレスのエースの証明であるワールドカップの優勝杯を手にしたのである。この技は猪木にとっても思い出の多い技だろう。その後もジョニー・パワーズからNWF世界選手権を獲得した試合、ビル・ロビンソンとのフルタイムマッチなどの大一番で爆発させている。

 しかしこの技の神通力も猪木の衰えとともに薄れていく。47年の新日本プロレス旗揚げ戦でゴッチがするするっとはずしたのは、この技を猪木に伝授したのがゴッチであったからという理由で、あまりショッキングには捕らえられなかったが、53年にボブ・バックランド、54年にケン・パテラにそれぞれこの技を仕掛けた際、じりじりとロープに逃げられたシーンは猪木ファンだった筆者にはショッキングなシーンとして脳裏にこびりついている。バックランドもパテラも2回目の卍固めでギブアップさせたが、54年のスタン・ハンセンとの試合では卍固めを完全に振りほどかれ、試合にも負けてNWF選手権をハンセンに奪われてしまった。ホーガンのアックスボンバーに失神したIWGP決勝戦が猪木神話の崩壊の日とするならば、ハンセンとの試合は猪木神話の落日が始まった日といってよかろう。筆者にとって卍固めは猪木神話黄金時代の象徴だったのである。

 

     

猪木にあてつけたような大木の卍固め

 

ロビンソンの卍固め。後方に体重をかける。

  イホ・デル・サントの変形卍固め   キース・フランクス時代のアドリアン
・アドニスがフィニッシュに使用。

 

 猪木以外で卍固めをはじめて使った日本側レスラーは大木金太郎であった。猪木が追放された次のシリーズでのアジア選手権のフィニッシュで猪木にあてつけるかのように卍固めを使っている。エプロンに見える星野の表情もなかなか興味深い。大木は50年代国際プロレスに入団した際、足を首にかけない「X固め」とフィニッシュに使っていた。

 オクトパス・ホールドの本場である欧州系のレスラーでは、ビル・ロビンソン、ダイナマイト・キッドが日本でもこの技を良く使っていた。欧州流の卍固めの特徴は、体重を後ろにかけるということであろう。腕を決めて後方に体重をかけているため、首へ与えるダメージは半減している。欧州と交流の多いメキシコでも卍固めは頻繁に使われた。日本ではビジャノ3号あたりが公開していたが、メキシコではイホ・デル・サントのように変形の卍固めが多く使われたようである。