カール・ゴッチの原爆固め

2002.10.27 update

コーチとして来日した時のエキジビションマッチで見せた原爆固め。

 

 昭和時代には一撃必殺の大技だったにもかかわらず、今では猫も杓子も使ってしまう「つなぎ技」、「見せ技」にまで堕落させられててしまった技の最右翼がカール・ゴッチが考案したと言われる原爆固め=ジャーマン・スープレックス・ホールドである。最初の犠牲者は吉村道明。誰も見たことのないこの技の名前を聞きに走った若手記者はゴッチに技の名前を聞いた。「ジャーマン・スープレックス・ホールド!」若手記者はベテラン記者に技の名前を報告したところ、「それじゃわからん!日本語ではなんと言うのか?」ときかれ、とっさに「原爆固め」といったという。これがその後、日本ではジャーマン・スープレックス・ホールドの呼び名として定着した。とっさの言葉にしてはこれほどこの技のイメージにぴったりの名称もない。

 

     

 

 

1950年代の原爆固め、カカトをつけたドイツの敬礼式
ブリッジに民族ギミックのにおいを感じる。

 

あのロシモフを投げた幻のジャーマンは爪先立ち
であった!

 

 連続写真は昭和45年に来日した時のゴッチの原爆固めである。相手はビル・ロビンソン、3本勝負のシングル・マッチで決まった時のものだ。ゴッチはこの時すでに48歳、しかもレスラーをしばらく休んでのカムバック直後だったこともあってか、’50年代にアメリカで芸術的といわれたブリッジの片鱗を見ることは出来ない。足はべた足でブリッジの高さも低い。昭和36年の初来日のときの写真を見ても、足はべた足であり、日本ではつま先立ちの美しい原爆固めを披露していなかったのだろうか?資料をくってみると、なんとあの伝説となっているロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)を投げきったジャーマンが爪先立ちのブリッジだったのである。全盛期のブリッジほど美しくはないが、紛れもなくロシモフの200キロの巨体を爪先立ちのブリッジで支えている。まさしく神様である。

 この技は日本で衝撃を持っておけいれられたが、初公開以降暫くはこの技をコピーする日本人選手は現れなかった。日本人がこの技を初公開したのは41年に日本プロレスに凱旋帰国したヒロ・マツダであった。マツダは一時レスラーを休業し。ゴッチに師事を仰いだが、原爆固めはこのときに伝授されたと言われている。これがさらにマツダによって渡米前のサンダー杉山、グレート草津に受け継がれ、彼らが2号3号となったようだ。

 

   

日本人ではじめて公開したのはマツダ

 

杉山原爆はあまり画像が残っていない

 

草津はけして名手と呼べるレベルでは
なかったようだ

 

 

猪木は44年に初公開。

 

小林戦で見せた伝説のジャーマン

 

     
     

 

 マツダと並ぶ原爆固めの名手であった猪木は日本プロレスにコーチとして来日していたゴッチに直接指導を仰いだようだ。下の連続写真は46年にジャック・ブリスコを迎えてのUN選手権で見せた原爆固めである。ブリッジの高さ、美しさ、スピードどれをとっても絶品である。この試合はビデオ発売されているので、ぜひご覧になることをお勧めする。初代タイガーマスクのブリッジも美しかったが、ヘビー級を相手に、これだけの美しいフォルムを見せた猪木の原爆固めこそ日本一であるといっておこう。49年のストロング小林戦で見せたジャーマンは日本プロレス史上に残る原爆固めといってよかろう。昭和50年代以降はあまり多発しなくなった。

 

   

 

鶴田は重量感があったが・・・

 

藤波の原爆はスピードも美しさも満点

 

初代タイガーは名人級の腕前

 

寺西も隠れた名手

 

 マツダ、猪木以降の世代では全日本プロレスではジャンボ鶴田、新日本プロレスでは藤波辰巳、初代タイガーマスクが原爆固めをフィニッシュに使っていた。鶴田はスケールの大きいジャーマンを見せたが、スピード不足であったことは否めない。また、ブリッジが崩れてダブル・フォールという展開が多く損をしている。藤波はオリジナルのドラゴンスープレックスと原爆固めを交互に使っていたが、そのスピード、破壊力ともに申し分はなかった。藤波の後のジュニア王座を継いだタイガーマスクは相手が軽量だったとはいえ、スピード、ブリッジともに完璧であった。このタイガーマスクの新日本マット離脱前最後の対戦相手となった寺西勇もここ一番ではこの技を使っていた。寺西もゴッチに直接コーチされたレスラーである。

 

   

 

アイアン・シーク!

 

MSGでのWタイトル戦で見せた原爆。

 

カネックのブリッジも美しい。

 

ゲレロは全日に移籍してから多用。

 

       
ヒロ・マツダの愛弟子だったスティーブ・カーンは猪木の愛弟子藤波を原爆で沈めた。

 

 それでは外国人選手に目を向けてみよう。AWAでガニアレスリング学校のコーチをしていたコシロ・バジリは新日本プロレスに初来日した際に見事な原爆固めを公開しているが、アイアン・シークに変身し、新日本プロレスに再登場した時にも原爆固めを公開していることはあまり知られていない。この人の実力は関係者の間では評価が高いと言う。さてゴッチの愛弟子であるボブ・バックランドもここ一番で使っていた。有名なのがMSGでのハーリー・レイスとのWタイトルマッチで見せた原爆固め。しかし腕のグリップが外れレイスに脱出された。もう一人、ゴッチの愛弟子であるメキシコの帝王カネックもこの技を使いこなしていた。カネックと同じく藤波のライバルとして一時代を築いたチャボ・ゲレロは全日本プロレスに移籍してからこの技をフィニッシュに使ったが、カネックもチャボも新日本では原爆を封印していた。これはこの技をフィニッシュとしていた藤波への配慮である。このような暗黙の掟が崩壊し、誰も彼もが原爆固めを使うようになって、この技の神通力はなくなってしまったのである。

 冒頭でも書いたが、昭和時代には大きなインパクトを見るものに与えた「必殺技」を誰もが使い、しかもフォールに繋がらないことの方が多い「見せ技」に貶めてしまった今のプロレスの風潮は憂慮すべき物である。しかし、猪木が見せたような、この技に見慣れた平成のファンを驚かせるようなダイナミックな原爆固めの使い手が登場すれば、この技も復権すると私は信じている。

 

「類似技研究 その2 〜 原爆固めとその類似技」もご覧ください