カール・ゴッチの原爆固め
2002.10.27 upload
2024.11.4 remix
2024.11.17 update
コーチとして来日した時のエキジビションマッチで見せた原爆固め |
1950年代の原爆固め、カカトをつけたドイツの敬礼式ブリッジに民族ギミックのにおいを感じる。 |
あのロシモフを投げた幻のジャーマンは爪先立ちであった! |
昭和時代には一撃必殺の大技だったにもかかわらず、今では猫も杓子も使ってしまう「つなぎ技」、「見せ技」にまで堕落させられててしまった技の最右翼がカール・ゴッチが考案したと言われる原爆固め=ジャーマン・スープレックス・ホールドである。 日本における最初の犠牲者は吉村道明。誰も見たことのないこの技の名前を聞きに走った若手記者(桜井康雄氏)はゴッチに技の名前を聞いた。「ジャーマン・スープレックス・ホールド!」若手記者はベテラン記者に技の名前を報告したところ、「それじゃわからん!日本語ではなんと言うのか?」ときかれ、とっさに「原爆固め」といったという。これがその後、日本ではジャーマン・スープレックス・ホールドの呼び名として定着した。とっさの言葉にしてはこれほどこの技のイメージにぴったりの名称もない・・・というのが定説だったが、来日前にも「原爆攻め』と言った技名がつけられていたことが判明している。 連続写真は昭和45年に来日した時のゴッチの原爆固めである。相手はビル・ロビンソン。3本勝負のシングル・マッチで決まった時のものだ。ゴッチはこの時すでに48歳、しかもレスラーをしばらく休んでのカムバック直後だったこともあってか、1950年代にアメリカで芸術的といわれたブリッジの片鱗を見ることは出来ない。足はべた足でブリッジの高さも低い。昭和36年の初来日のときの写真を見ても、足はべた足であり、日本ではつま先立ちの美しい原爆固めを披露していなかったのだろうか?資料をくってみると、なんとあの伝説となっているロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)を投げきったジャーマンが爪先立ちのブリッジだったのである。全盛期のブリッジほど美しくはないが、紛れもなくロシモフの200キロの巨体を爪先立ちのブリッジで支えている。まさしく神様である。 |
この技は日本で衝撃を持って受け入れられたが、ゴッチによる初公開以降暫くはこの技をコピーする日本人選手は現れなかった。 |
日本人で原爆固めをはじめて公開したのはマツダ |
マツダと並ぶ原爆固めの名手であった猪木は日本プロレスにコーチとして来日していたゴッチに直接指導を仰いだようだ。下の連続写真は46年にジャック・ブリスコを迎えてのUN選手権で見せた原爆固めである。ブリッジの高さ、美しさ、スピードどれをとっても絶品である。この試合はビデオ発売されているので、ぜひご覧になることをお勧めする。 初代タイガーマスクのブリッジも美しかったが、ヘビー級を相手に、これだけの美しいフォルムを見せた猪木の原爆固めこそ日本一であるといっておこう。昭和52年のストロング小林戦で見せた原爆固めは日本プロレス史上に残る原爆固めといってよかろう。昭和50年代以降はあまり多発しなくなった。 |
猪木史上最も美しいと言われる昭和46年ブリスコ戦での原爆固め |
首で小林氏の全体重を支えた伝説の原爆固め |
昭和45年ドリーとのNWA世界戦での原爆固めの連続写真 |
マツダ、猪木以降の世代では全日本プロレスではジャンボ鶴田、新日本プロレスでは藤波辰巳、初代タイガーマスクが原爆固めをフィニッシュに使っていた。 鶴田はスケールの大きい原爆固めを見せたが相手をよいしょと持ち上げてブリッジする感じだったので、スピード不足であったことは否めない。また勢いが付き過ぎてブリッジが崩れたり、ダブル・フォールという展開が多く損をしている。昭和55年5月28日のNWA世界戦でハーリー・レイスを原爆固めで投げたときは、急角度で叩きつけたため、試合後に激怒したレイスが鶴田の控室に殴り込んだという。 藤波はオリジナルのドラゴンスープレックスと原爆固めを交互に使っていたが、そのスピード、破壊力ともに申し分はなかった。 藤波の後のジュニア王座を継いだタイガーマスクは相手が軽量だったとはいえ、スピード、ブリッジともに完璧であった。 このタイガーマスクの新日本マット離脱前最後の対戦相手となった寺西勇もここ一番ではこの技を使っていた。寺西もゴッチに直接コーチされたレスラーである。 アマレス出身のサンダー杉山もIWA世界ヘビー級王者時代には原爆固めをフィニッシュに使ったが、体型に似合わず反りのきいたブリッジで相手をがっちりホールドしていた。草津も原爆固めを使っていたが…(以下自粛)。 |
レイスが激怒したという鶴田の危険な原爆固め |
藤波の原爆はスピードも美しさも満点 |
初代タイガーマスクのブリッジは美しい |
相手のバックを取って腰を落とし* |
持ち上げてグッと体を反らせる* | |
脳天からマットに着地* | 身体が沈むことなくブリッジを決める* |
杉山の原爆固め。体型に似合わずきれいなブリッジで決めている |
珍しい杉山の原爆固めの連続写真。この体系でこの綺麗なブリッジは素晴らしい! |
寺西も隠れた名手。ゴッチの愛弟子である。 |
それでは外国人選手に目を向けてみよう。AWAでガニアレスリング学校のコーチをしていたコシロ・バジリは新日本プロレスに初来日した際に見事な原爆固めを公開しているが、アイアン・シークに変身し、新日本プロレスに再登場した時にも原爆固めを公開していることはあまり知られていない。この人の実力は関係者の間では評価が高いと言う。 さてゴッチの愛弟子であるボブ・バックランドもここ一番で使っていた。有名なのがMSGでのハーリー・レイスとのWタイトルマッチで見せた原爆固め。しかし腕のグリップが外れフォールにはつながらなかった。 もう一人、ゴッチの愛弟子であるメキシコの帝王カネックもこの技を使いこなしていた。カネックと同じく藤波のライバルとして一時代を築いたチャボ・ゲレロは全日本プロレスに移籍してからこの技をフィニッシュに使ったが、カネックもチャボも新日本では原爆を封印していた。これはこの技をフィニッシュとしていた藤波への配慮である。このような暗黙の掟が崩壊し、誰も彼もが原爆固めを使うようになって、この技の神通力はなくなってしまったのである。 冒頭でも書いたが、昭和時代には大きなインパクトを見るものに与えた「必殺技」を誰もが使い、しかもフォールに繋がらないことの方が多い「見せ技」に貶めてしまった今のプロレスの風潮は憂慮すべき物である。しかし、猪木が見せたような、この技に見慣れた平成のファンを驚かせるようなダイナミックな原爆固めの使い手が登場すれば、この技も復権すると私は信じている。 |
アイアン・シークも原爆固めを使った |
MSGでのWタイトル戦で見せた原爆固め |
カネックのブリッジも美しい。 |
相手の脇に頭を入れている |
そのまま持ち上げて |
綺麗に身体をそらせて投げる |
マットについた際に身体が沈むが、この後、綺麗にブリッジを決める |
チャボ・ゲレロの原爆固めもなかなかのものだった |
「類似技研究 その2 〜 原爆固めとその類似技」もご覧ください