アントニオ猪木のコブラツイスト

2000.11.11 upload
2024.11.3 remix
2024.11.16 update
2024.11.17 update

 

 
NWF世界王座を獲得した記念すべき試合で1本目に決めたコブラツイスト    ブリスコとのUN戦のフィニッシュ。エプロンから藤波が見つめる。

 

過日(2000年当時)おそらく平成のプロレスファンと思われる「あきら」と言うハンドルネームを持つビジターから、この様なメールを頂いた。

「こんばんわ。ちょっとお聞きしたい事がありまして、メールしました。”コブラツイスト”とは、どんな技ですか? 図解してあるページがないかさまよっているところなんです」

これは筆者にとっては大きなショックであり、今このページをご覧になっている昭和世代の皆様も筆者と同じ感情を抱かれたっであろう。コブラツイストと言えばプロレス技の定番、プロレスに興味のない人でもコブラツイストと16文キックは知っていたのではないか?そのコブラツイストがこの平成の日本では絶滅技になってしまっていたのである!

あきら君のためにコブラツイストを解説したいと思う。この技はアメリカではアブドミナル・ストレッチ、グレープパイン・ホールドと呼ばれており、日本ではもっぱらコブラツイストが主流で、アバラ折りとも呼ばれた。日本で初公開したのはインドのダラ・シン、本場アメリカではディック・ハットン、ウィルバー・スナイダーがフィニッシュ・ホールドとして使っていた。日本人で最初にこの技をフィニッシュホールドとして常用するようになったのはアントニオ猪木。「猪木と言えばコブラツイスト!」というまでになった彼の代名詞的技である。

で、この技への入り方は、ロープに振ってすれ違いざまにかける時あり、ブレンバスターに来るところを空中で切り替えして背後に廻ってかける時あり、KO寸前の相手をひきづり起こしてかける時あり・・・と実にさまざまなバリエーションがあった。肝心のかけ方は相手の左足に自らの左足をフック、背後に廻って左腕を自らの左腕で巻き込み、相手の体をねじり上げる。この時足のフックが重要で、これが甘いと柔道の払い腰の要領でなげられてしまう。

 「ワールド・プロレスリング」の解説を務めていた山本小鉄によれば、パワーズに決めた写真のように自分の手をがっちり握るのが完璧な形だと言う。しかし猪木は相手の体型によって極め方を変えていた。ディック・スタインボーンのような小柄な相手には肩を決めるような形で腕をロックしていたのである(写真@)。ゴリラ・モンスーンのような大型の場合は腕が回りきらないこともあった(写真A)。

また形は崩れているが、写真Bのロッキー・モンテロの表情も素晴らしい。これがプロレスである。

しかし改めて考え直せば、このコブラ・ツイストと言う定番技の使い手を、この平成のプロレスラーに中から選べと言われても、ちょっと重い浮かばない。西村修が意識的に使っていたが、他にはほとんど誰も使っていないのが現状。全く淋しい事である。猪木がフィニッシュに使っていた昭和40年代から50年代までは十分フィニッシュ・ホールドとなっていたが、猫も杓子もが使うようになり、この技の神通力も薄れ単なる痛め技に落ちぶれてしまった。プロレスの必殺技に重要なもの・・・それは「神通力」であったのである。

 

 
@小柄な相手には腕を決めるスタイル A巨漢のモンスーンが相手では腕が回り切らず   B技をかけられているロッキー・モンテロの表情も良い

 

ここからはコブラツイストのバリエーションについて考えてみたい。まずこの技のオリジナルといわれる、サイクロン・アナヤの元祖コブラツイストと、ディック・ハットンのコブラツイスト。さらにルディ・サトルスキーとのバーバリアン・ボーイスで活躍した、ハリー・ウィンゼルの変形コブラツイストを見ていただこう。

まず、オリジナルのアナヤだが、これは猪木が使っていたコブラツイストとまったく同じ。腕もしっかりホールドして相手の上半身をひねっている。肩関節と腰にダメージを与えているようだ。

一方のハットンは体を密着させず、相手の身体に対し、自らの身体を90度開き相手の上半身をひねっているが、むしろ肩関節を痛めるといった印象がある。

最後のウィンゼルはわきの下に頭をねじ込みさらに肩関節へのダメージに重点をおいているように見えるが、当時の実況では「バックブリーカー」と表現していた。コブラツイストは日本名「アバラ折り」のようにアバラにダメージを与える技ではなく、背骨を痛めつける技だったのである。

 

       

アナヤは背後から絡みつくようにこの技を決める。

 

ハットンは腕を組まず、身体を密着させない。

  ウィンゼルの変形コブラ。脇の下に頭をいれ腕を固めている    スナイダーはがっちり手を組んでねじり上げている

 

猪木がコブラツイストを必殺技にしようと思ったのはテネシー修業時代にウィルバー・スナイダーからこの技を喰らったのがきっかけと言われている。スナイダーのコブラツイストは両手をがっちりグリップして相手を絞り上げている。

日本のプロレス史上で劇的なコブラツイストの一つに数えられるのが昭和53年10月20日、寝屋川市民体育館でのWWWFジュニア・ヘビー級タイトルマッチで藤波がチャボ・ゲレロに決めたコブラツイストである。決勝の3本目、額から大量に流血した藤波の形相には鬼気迫るものがあった。

さて、2001年10月に昭和プロレス掲示板で話題になったのが、マッドドッグ・バションの変形コブラツイストである。(上写真左)当時の雑誌ではそのまんま「変形コブラツイスト」として紹介されている。相手の足を取ることにより、コブラツイストにバックブリーカーの要素を付け加えた拷問技である。

この変型コブラツイストを日本で初めて披露したのは、恐らくチーフ・ホワイト・ウルフである。初来日の昭和39年「第6回ワールド大リーグ戦」で披露している。

この技で苦しめられたのがグレート草津であり、草津はこの技をちゃっかり盗み、なぜかメキシコ流コブラツイストと名づけていた。なぜメキシコ流と呼んだかと言えば・・・メキシコでもこの変形コブラツイストが使われていたからである。ドクトル・ワクナーが昭和55年に来日した際に、ドス・カラスを相手に披露している。

 この技も完全に絶滅している。昭和プロレスファンはコブラツイストの失地回復を望んでいるのである(?)。

*印 写真提供=HARU一番様

 

   
大流血の中、決めた藤波のコブラツイスト   バションの変形コブラツイスト    変型コブラを本邦初公開したのはC・W・ウルフであった 

  

 

グレート草津はバションに苦しめられたこの技を盗んでいた。

  ドクター・ワグナーの変形コブラツイスト*