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ザ・ムーディー・ブルース / THE MOODY BLUES    
   
   
     
    UK 45s   
 
 
 
 
 

a) Lose Your Money (but don't loose your mind )
b) Steal Heart Away

Decca F11971 Sep. 1964

 ムーディー・ブルースの記念すべきデビュー・シングル。A面の「Loose your money」はデニー・レインとマイク・ピンダーのペンによる軽快なR&Bで、レイ・トーマスのハープが印象的。特にデニー・レインのギター・ソロからの流れは最高である。彼らのオリジナル作品の中では最高傑作と云って好かろう。B面の「Steal heart away」は打って変わって沈鬱なブルース・ナンバーである。曲のクオリティは高いにもかかわらず、まったくヒットしなかった。

a)Go Now !
b) It's Easy Child

Decca F12022 Dec..1964
「Go now !」はレイバー&ストーラーのプロデュースで女性R&Bシンガー ベッシー・バンクスが64年にリリースした曲で、愛の悲劇を歌った貸しが印象的なR&Bバラード。言うまでもなくムーディー・ブルースの出世作であり代表作である。デニー・レインのハスキーなヴォーカルが曲の雰囲気にぴたりとはまっている。間奏でのマイク・ピンダーによるピアノ・ソロはビート・グループ史上に残る名演と言っても過言ではない。イギリスでは1965年はじめにNo.1を記録。アメリカでも10に昇るヒットとなった。

a) I Don't Want To Go On Without You
b) Time Is On My Side

Decca F12095 Feb 1965

 A面の「I don't want to go on without you」はサーチャーズもカバーしているバラードだが、ムーディー・ブルースのイメージには合わないパンチにかける曲であり、選曲ミスと言う感は否めない。むしろB面のアメリカでのローリング・ストーンズのヒット曲「Time is on my side」のほうが、イギリスではローリング・ストーンズがシングルカットしていなかったため、ヒットする要素はあったのではないか?しかし前作の余韻を受けたためか33位に入るスマシュ・ヒットとなる。

a) From The Bottom Of My Heart ( I love you )
b) And My Baby's Gone

Decca F12166 June 1965

 両面ともレインとピンダーのペンによる曲だがクレジットはA面がPinder−Laine、B面がLaine−Pinderとなっている。A面の「Fron the bottom of my heart」はアコースティック・ギターを効果的に使っているが曲全体の印象は非常に重苦しい。シングルのA面としてはやや重過ぎる。それに引き換えB面は非常にリラックスした軽快なR&B風ポップ・ナンバーに仕上がっており、全くの好対照。22位まで上昇するヒットとなった

a) Everyday
b) You Don't (all the time)

Decca F12266 Oct.1965

 このシングルも両面レインとピンダーの作品。A面の「Everyday」は、ボ・ディドリー・ビートのちょっとつかみ所がないふしぎな曲。B面の「You don't」はフルートを使ったりしてサウンド的に幅が出てきた事を感じさせるが、出来そのものは好いとは云いがたい。辛うじて44位にランクされた。

a) Boulevard de la Madeline
b) This Is My House (but nobody calls)

Decca F12498 Oct.1966
 1年間の沈黙を破って発売されたシングルで、A面の「Boulevard de la Madeline 」アコーディオンを導入するなどして非常に意欲的な作品となっているが、注目すべきはB面の「This is my house」である。「俺の家には誰も訪ねてこない、やってくるのはネズミだけ!」というややひねくれた歌詞といい、ギターのリフと言い明らかにキンクスのアルバム「フェイス・トゥ・フェイス」に触発されて書いた曲と云って好かろう。隠れた名曲である。両面ともレインとピンダーの曲。残念ながらヒットには至らず。

a) Life's Not Life
b) He Can Win

Decca F12543 Jan. 1967

 デニー・レイン在籍時最後のシングルで両面ともレインとピンダーの合作で味わいはあるが、ヒット性は非常に低いといえる。このシングルの失敗により、デニー・レインはムーディー・ブルースの活動に限界を感じたのかもしれない。

 
 
   
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