1964〜1965年にかけて何10、何100と言うグループがイギリスで出現したが、その中でももっとも男臭いビートをきかせたのがデニー・レイン在籍時のムーディー・ブルースであろう。「糞真面目」「職人気質」と言う言葉が彼らにはぴったりくると思う。デニー・レイン在籍はまる3年ほどで、はっきり言って「ゴー・ナウ」だけの一発屋であり、レイン脱退後の「サテンの夜」に始まる一連の活動の方が認知されているが、ビート・グループ時代のレインが引っ張っていた頃のムーディーズこそが語り継がれるべきであると私は信じている。
イギリスでビートルズと筆頭にビート・グループが数多く登場したのが1963年。1964年にはアメリカ進出の第一陣が大西洋を渡りいわゆるブリティッシュ・インベイジョンの魁となるが、この第一陣に名を連ねたのは、リヴァプールと始めとする北部のグループであった。1965年には第2陣がアメリカを襲うが、この中心はマンチェスターのポップグループとロンドンのR&B系バンドであった。その中でも燻し銀の輝きを見せたのが、ザ・ムーディー・ブルースであった。はっきり言ってしまえば「ゴー・ナウ!」だけの一発屋だが、彼らのもつ男臭いR&Bフレイバーには見逃せないものがある。
このグループが結成されたのは意外と遅く1964年の5月。すでにブリティッシュ・インベイジョンの第一波が大西洋を超えた時期であった。メンバーはすべてバーミンガム出身で、リード・ボーカルは後にポールマッカートニーのウィングスに参加するデニー・レイン、キーボード・ピアノのマイク・ピンダー、ハープ、ボーカル、フルートのレイ・トーマス、ベースのクリント・ワーウィック、ドラムのグレーム・エッジの5人。このグループは地元の2大ブループであったエル・ライオット&レベルズ(レイとマイクが在籍)とデニー・レインとディプロマッツ(デニー、グレーム、クリントが在籍、他にロイ・ウッドも在籍)が合体して出来上がったスーパー・グループであった。彼らがチャンスをつかんだのはグループ結成間もない1964年の夏、ロンドンに進出した彼らはマーキー・クラブで月曜日のレギュラー・バンドであったマンフレッド・マンの後釜として迎えられた。それとほぼ同時にデッカと契約を結び、早くも9月には「ルーズユア・マネー / スティール・ユア・ハート・アウェイ(F11971)」でデビューを飾っている。このシングルはまったくヒットしなかったが、セカンド・シングル「ゴー・ナウ!/ イッツ・イージー・チャイルド(F12022)」が全英No1の大ヒットを記録。アメリカでも10位まで上昇するヒットを記録し、一躍トップ・グループに名を連ねる事となった。
1965年にはビートルズのアメリカ・ツアーに参加、ここでブライアン・エプスタインと知り合いマネージメント契約を結ぶが。レコードの方も「君さえいれば〜I
don't want to go on / タイム・イズ・オン・マイサイド(F12095)」(33位)、「心の底から〜From the bottom
of my heart / マイ・ベイビーズ・ゴーン(F12166)」(22位)、「エブリディ / ユー・ドント(F12266)」(44位)とスマッシュヒットを連発し活動は軌道に乗ったかに見えたが、1966年にはいると活動が鈍くなった。この時期エプスタインはマネージメントをビートルズとシラ・ブラックに集中したため彼の傘下にあったジェリーとペイスメーカーズ、ビリー・J・クレイマーといった連中は急激に人気を失うが、ムーディー・ブルースもその被害を受けたとおもって良いだろう。「マドレーヌの並木道〜Bouievard
de la Madelaine / ディス・イス・マイ・ハウス(F12498)」を一枚リリースしたのみに終わる。夏にはクリント・ワーウィックが脱退。1967年には「ライフズ・ノット・ライフ
/ ヒー・キャン・ウィン(F12543)」をリリースするが、これもヒットには結びつかず、クリント・ワーウィックに続き、中心メンバーのデニー・レインとが脱退。第一期=R&Bグループとしてのムーディー・ブルースは崩壊するのである。残されたメンバーはジャスティン・ヘイワード(g,vo)とジョン・ロッジ(b)と加え活動を続けるが、サウンドは大きな変化を遂げており、まったく別のグループと考えた方が良いだろう。
「ゴー・ナウ!」で獲得した人気をなぜ彼らは維持できなかったか? それはずばり彼らがあまりにも硬派過ぎた事にあるだろう。アルバムを聞いて頂ければお分かりになると思うが、全体的に雰囲気が重苦しい。爽快感がある曲が非常に少ないのである。一番ポップ感のあるのはファースト・シングルの2曲であるが、これが失敗した事により彼らはシリアスなR&Bサウンドを追求したのであろう。しかしそれはあまりにもコマーシャル性からかけ離れた選択であったと言えよう。しかし彼らが残した唯一の大ヒット「ゴー・ナウ!」はブリティッシュ・ビート史上に残る傑作と言えるであろう。
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