山本 小鉄 Kotetsu Yamamoto

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:鬼軍曹
■本名:山本 勝
身長・体重:173センチ、110キロ
生年月日:1941年10月30日(2010年8月28日没)
■出身地:神奈川県横浜市出身
得意技:ダイビングボディプレス
■主要タイトル:
 NWA世界タッグ(テネシー版)
 IWA世界タッグ
■所属団体:
 日本プロレス → 新日本プロレス
 
 高校卒業後、サラリーマンをしながらボディビルで体を鍛え、昭和38年に日本プロレスに入門。昭和42年に星野勘太郎とともに渡米。ヤマハ・ブラザーズとしてロスを振り出しに暴れ回った。テキサスではフリッツ・フォン・エリックに気に入られエリックの自宅に寄宿し息子のように可愛がられたという。

 アントニオ猪木の付き人も勤め昭和44年には「ワールド大リーグ戦」に初参加。昭和46年の猪木追放の際に、後を追って日本プロレスを離脱。退職金を巡って日本プロレスを訴え、退職金を分捕るという気の強いところも見せている。

 レスラーとして活躍したほかにも、若手のコーチ、マッチメーカーも兼ね、影から表から新日本プロレスを支えた。昭和54年には国際プロレスに乗り込み星野とのコンビでグレート草津アニマル浜口組からIWA世界タッグを獲得し健在振りを見せる。

 昭和55年に引退しテレビ解説、審判部長を勤めた。グッズなどの企画販売を行う新日本プロレス・サービスの社長にも就任した。昭和58年にはアントンハイセルへの利益流用などに抗議の意味を込め、クーデターを起こしたが結局は失敗に終わっている。

 2010年8月28日、休養先の軽井沢で食事をのどに詰まらせ、低酸素性脳症のため永眠。