猪木 完至 Kanji Inoki
 アントニオ猪木 Antonio Inoki
 

昭和37年ごろ

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:若獅子、燃える闘魂
■本名:猪木完至(寛至)
身長・体重:191センチ、105キロ
生年月日:1943年2月20日
■出身地:
神奈川県鶴見区出身
得意技:卍固め、原爆固め
■主要タイトル:
 NWA世界タッグ(テネシー版)
 USヘビー(東京プロレス版)
 アジア・タッグ(日本プロレス版)
 インターナショナル・タッグ(日本プロレス版)
 UNヘビー(日本プロレス版)
 世界ヘビー(旧オハイオ版)
 NWA北米タッグ(新日本プロレス版)
 NWF世界ヘビー
 WWFヘビー
 WWFマーシャルアーツ・ヘビー
 UWA世界ヘビー
 IWGPヘビー
■所属団体:
 日本プロレス → 東京プロレス → 日本プロレス
 → 新日本プロレス

 
 力道山の死後、ジャイアント馬場とともに日本のプロレスを発展させた偉人。しかし猪木のレスラー人生はスキャンダル塗れだったと言える。

 移民先のブラジルで力道山にスカウトされ昭和35年に来日。過酷な下積みを経て昭和39年に初渡米。昭和41年の「第8ワールド大リーグ戦」に帰国予定だったが帰路のハワイで豊登りに口説かれ東京プロを旗揚げする。しかし東京プロレスは半年で崩壊。

 昭和42年の日本プロ復帰後は馬場とのコンビでプロレス人気をささえた。しかし昭和46年暮れにクーデター容疑で除名。翌年、新日本プロを旗揚げしストロングスタイルを追求するかたわらで、アリ戦を始めとする格闘技路線も確立する。

 しかし一方では会社の金をを個人的事業に当てた事に反発したレスラーや社員に社長職を追われた事もあった。平成元年には政界にも進出しスポーツ平和党を結成して参議院議員となる。2013年に参議院議員に復帰。

 約30年に渡り日本プロレス界のトップの座を守りつづけた猪木の偉業は、今後も長く語り継がれるであろう。