星野 一 Hajime Hoshino
 星野 建夫 Tateo Hoshino
 星野 勘太郎 Kantaro Hoshino

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:突貫小僧
■本名:星野 建夫(呂 建夫)
身長・体重:170センチ、104キロ
生年月日:1943年10月9日(2010年11月25日没)
■出身地:兵庫県神戸市出身
得意技:フライングヘッドバット
■主要タイトル:
 NWA世界タッグ(テネシー版)
 カリフォルニアTV
 IWA世界タッグ(国際プロレス版)

■所属団体:
 日本プロレス → 新日本プロレス
 
 
 神戸商業高校時代はボクシングで活躍したがケンカでも名を馳せたという。卒業後の昭和36年に日本プロレスに入門。デビュー直後は星野一、本名の建夫を経て勘太郎に改名した。昭和42年には山本小鉄と共に初のアメリカ遠征、ヤマハ・ブラザーズとして各地区のタッグタイトルを総なめにした。シングルでも頭角を現しロスではカリフォルニアTV王座を獲得している。

 日本プロレスでは「NWAタッグ・リーグ戦」でアントニオ猪木とのコンビで優勝を果たした。メキシコ遠征中に日本プロレスが崩壊。昭和49年から新日本プロレスに参加。
 新日本プロレスではタイトルに縁はなかったが、昭和54年に国際プロレスに乗り込んで山本小鉄とのコンビで、グレート草津アニマル浜口組からIWA世界タッグ選手権を獲得し、ファンをうならせた。

 韓国では呂建夫(ヨ・コンブ)のリングネームで、人気を得た。

 1995年に引退。引退後はプロモーターに転身したが、2002年からは魔界軍団の総裁として活躍し、「ビッシビシ行く!」のフレーズで時の人となった。2010年11月25日に逝去。
 

提供:HARU一番様