タイガー・マスクのタイガー・スープレックス

2002.11.27 upload
2024.11.16 remix

 

 

MSGシリーズの前夜祭で本邦初公開されたタイガー・スープレックス

 

オースイ・スープレックスとは違い、相手の腕を決めて投げるのがタイガー・スープレックス

1984年12月2日アリナ・コリセオでのNWA世界戦ではオースイ・スープレックスを使っていた


 

 昭和40年代以降生まれのプロレスファンの中には初代タイガーマスク(佐山聡)の試合を見たがきっかけでプロレスにのめりこんだという人は多い。彼の「4次元殺法」は、それまでにもグラン浜田がいたとはいえ、非常に新鮮でショッキングであった。タイガーマスクのデビュー戦は非常にチープなマスクをつけていたこともあり、「これは期待できないな!」という第一印象を誰もがもったと思う。しかし、ダイナマイト・キッドを翻弄し最後に決めた原爆固めの早さ、鮮やかさに会場のファンも、テレビを見ていたファンもわれを忘れて拍手を送ったものである。

 そのタイガーマスクが必殺技としてフィニッシュに多用するようになったのが、タイガー・スープレックスである。佐山聡はタイガーマスクに変身してからこの技を使い出したわけではなく、メキシコ時代からフィニッシュとして使っていたようである。上の写真は1979年12月2日のアレナ・コリセオでリンゴ・メンドーサを迎えてのNWA世界ミドル級タイトルマッチの三本目でのフィニッシュシーンである。パンタロン風のタイツ、見事なブリッジは後のタイガーマスクを髣髴とさせるではないか。しかし、これはオースイ・スープレックスだったことが、下記の情報提供により判明した。

※2024.11.16追記
Seiji Ala Okada様より、佐山聡がトークショーで「タイガーマスクのタイガースープレックスは、日本で初めて使った。リンゴ・メンドーサの写真は、オースイ・スープレックスでアルフォンソ・ダンテスの得意技をメヒコで使っていた」と証言していたとの情報を頂きましたので、追記いたします。情報ありがとうございました。

 

 

 
     
     

2代目三澤タイガーのタイガースープレックス。ファンには申し訳ないが、その切れ味、美しさは佐山タイガーと比べて一段落ちる。

 

 タイガー・スープレックスはオースイ・スープレックスの発展型だとする説もあるが、ジャーマン・スープレックスの改良型という方が正しい。ドラゴン・スープレックスがフルネルソンとジャーマン・スープレックスを合体させたように、佐山が羽交い絞めとジャーマン・スープレックスを合体させたのがタイガー・スープレックスだったと言えよう。

 と思っていたのだが、上記の追加情報で、佐山聡がメキシコ時代にオースイ・スープレックスを使っていたということは、オースイ・スープレックスをジャーマン・スープレックス風にアレンジした技ということになろうか。

 オースイ・スープレックスをジャーマン・スープレックスのように、ブリッジを効かせて投げる技に(少なくとも日本において)最初にアレンジしたのは、佐山ではなく若手時代の高千穂明久だとする説もある。しかし残念ながらその画像は残っていない。画像を発見し次第、追って報告することにしたい。

 

「類似技研究 その2 〜 原爆固めとその類似技」もご覧ください