タイガー・マスクのタイガー・スープレックス

2002.11.27 update

 

 

初代タイガーのブリッジは芸術品だ!

 

サトル・サヤマ時代からこの技をフィニッシュとしていた。

 

 昭和40年代以降のプロレスファンの中には初代タイガーマスクの試合を見たがきっかけでプロレスにのめりこんだという人は多い。彼の「4次元殺法」は、それまでにもグラン浜田がいたとはいえ、非常に新鮮でショッキングであった。タイガーマスクのデビュー戦は非常にチープなマスクをつけていたこともあり、「これは期待できないな!」という第一印象を誰もがもったと思う。しかし、ダイナマイトキッドを翻弄し最後に決めた原爆固めの早さ、鮮やかさに会場のファンも、テレビを見ていたファンもわれを忘れて拍手を送ったものである。

 そのタイガーが必殺技としてフィニッシュに多用するようになったのが、タイガー・スープレックスである。佐山サトルはタイガーマスクに変身してからこの技を使い出したわけではなく、メキシコ時代からフィニッシュとして使っていたようである。上段右の写真は1979年12月のアレナ・コリセオでリンゴ・メンドーサを迎えてのNWA世界ミドル級選手権試合の三本目でのフィニッシュシーンである。パンタロン風のタイツ、見事なブリッジは後のタイガーマスクを髣髴とさせるではないか。

 

 

 

これが元祖アル・コステロのオージースープレックス。

 

     
             

2代目三澤タイガーのタイガースープレックス。ファンには申し訳ないが、その切れ味、美しさは佐山タイガーと比べて一段落ちる。

 

  この技はの原型は、カンガルーズのアル・コステロが考案したといわれる、オースイ(オージー)・スープレックスである。この豪州式原爆固めは、相手をダブルチキンウィングに捕らえ、そのままスープレックスに投げるのではなく、尻餅を付いて相手をローリングさせてブリッジしてフォールに持ち込むという技であった。全日本プロレスに移籍したマイティ井上がよくこの技を使っていたが、豪快に後方に投げるタイガースープレックスを最初に見ていた筆者は「せこい技だなぁ!」と思ったものである。

 このオースイ・スープレックスをジャーマン・スープレックスのように、ブリッジを効かせて投げる技に(少なくとも日本において)最初にアレンジしたのは、佐山ではなく若手時代の高千穂明久だとする説もある。しかし残念ながらその画像は残っていない。画像を発見し次第、追って報告することにしたい。

 

「類似技研究 その2 〜 原爆固めとその類似技」もご覧ください