ビル・ロビンソンのダブルアーム・スープレックス(人間風車)
2002.5.17 update
2024.12.21 remix
昭和44年の写真。投げられている選手は凄い体勢に |
完全に小林の首が極まっている |
昭和52年の写真。途中で投げ捨てるスタイルに変更。 |
これは昭和43年の写真。犠牲者はピーター・メイビア |
ここまで腰を落としていることに注目 |
別アングルからの一枚 |
ブリッジして頭がマットについても、ブリップをといていない! |
こちらは昭和49年の木村戦。腰をグッと落としている | そして一気に持ち上げ | 大きく反り返る | |||
綺麗なブリッジ! | この時点でグリップを外している | 右手でを相手の首に巻きつけマットに叩きつけている |
昭和42年にブッカーのグレート東郷を喧嘩別れした国際プロレスが、仕方なく活路を見出したのがイギリスのジョイント・プロモーションを窓口にしたヨーロッパ路線だった。たしかにヨーロッパの選手はテクニックは卓越しているが、「見せる」という要素にかけ、集客力には乏しいというのが、当時の専門家の意見だったようだが、その「見せる」要素を天性的に兼ね備えていた男がいた。それがビル・ロビンソンであった。その彼の必殺技が人間風車〜ダブルアーム・スープレックスだったことは言うまでもない。
当時のプロレス&ボクシングのグラビアでも大々的に取り上げられているが、そこには人間風車ではなく「バックドロップ」と紹介されている。まぁ、後方に投げるというよりもたたきつけているので、バックドロップといえなくもない。たたきつけるという言葉を使ったが、ヨーロッパ時代のロビンソンのダブルアーム・スープレックスは、まさに叩きつけるという感じの強烈な殺人技である。 |
腰のおろしも浅い | グイッと盛り上げる | きれいなブリッジ! | ||
ここまではがっちりグリップしている | ここで上半身がマットに水平に | 相手をリリースするのが早い |
しかし、昭和50年のアントニオ猪木とのNWF世界選手権では、マットにたたきつけるというよりも、大きく弧を描き、早めに手のグリップを解いて、投げ捨てるスタイルに変わっていた。 special thanks 火の玉小僧様 |