ドリー・ファンク・ジュニアのテキサスブロンコ・スープレックス
2024.12.22 upload
ドリーはゆっくり相手を持ち上げて放り投げるスタイルにアレンジした。この写真では手のグリップのリリースが早い |
馬場の巨体も軽く盛り上げていた! | 相手を一旦静止させる大きく弧を描くように反る | そして左側に放り投げる |
アメリカでダブルアーム・スープレックスの元祖と言えるのはドリー・ファンク・ジュニアである。ドリーは彼が使うとテキサス・ブロンコ・スープレックスなんて呼ばれていたようだ。 プロレスの技は師匠から教えてもらう場合位もあるが、その技を喰らって盗み取ることの方が多い様である。ドリーもカルガリーでビル・ロビンソンのダブルアーム・スープレックスを喰らって盗み取った。しかし、さすがはNWA世界チャンピオン・・・完全なアメリカン・スタイルにアレンジして自分のものにしていくのである。 ドリー・ファンク・ジュニアのテキサスブロンコ・スープレックスは、日本プロレスでの猪木戦、馬場戦ではグリップを外すタイミングを遅らせ、マットにたたきつけるようにリリース・ポイントを調整していた。いわばロビンソン式の模倣と言える。 その後、リリースポイントを改良し相手をグーッと持ち上げ、弧が頂点に達したところで、斜め横に投げ捨てるスタイルになった。これは客席ファンに投げるところをかっきり見せるための改良だったという説がある。 また元祖ビル・ロビンソンのダブルアーム・スープレックスの初期型とは違い、逆フルネルソンに極めたときに相手の頭を自分の胸から腹にあてて固定していたことも特徴である。 弟のテリー・ファンクも使っていたが、テリーの場合はスープレックスというよりも、自分は棒立ちで倒れながら相手を横に投げるブレーンバスターっぽい技になっていた。 |
ロープ越しに相手を逆フルネルソンに捉え | 大きく持ち上げ | 倒れ込みながら左側に落とす |
ファンクスの弟子であるジャンボ鶴田はロビンソン・スタイルとドリー・スタイルのハイブリッドのようなダブルアーム・スープレックスを得意としていた。最後までグリップを離すことはしないが、マットにたたきつけるスタイルは、昭和50年頃のロビンソン・スタイルと似ていると言えるかもしれない。 ザ・ファンクスとはライバル関係にあったジャック・ブリスコもこの技を使ったが、投げる時の身体の反りが不十分で、それが独特の投げ方になっていた。 鶴田と同じドリーの弟子でもボブ・バックランドは、ローラン・ボック張りに低い弧をかいて完全に後方に投げ飛ばすスタイルの人間風車を使っていた。ヨーロッパとアメリカ・スタイルを見事に融合させたものであった。投げっ放しを使っていたレスラーとしてはダイナマイト・キッドも忘れられない。 |
ジャンボ鶴田のダブルアーム・スープレックスはブリッジを聞かせ真後ろに投げ切るハイブリッド型 |
ブリスコの場合は身体の反りは不十分だが、遠心力を使って後方に相手を投げ捨てる独特のダブルアーム・スープレックスであった |
バックランドはボックのように後ろにひっ抜くように投げ相手の身体がマットに垂直になったあたりでグリップを外し放り投げていた | キッドの投げっ放し式 | ラッシャー木村は右横に放り投げるスタイル |
日本人の使い手として忘れられないのがアントニオ猪木。猪木はゴッチに教えられたのか? 猪木のダブルアーム・スープレックスはビル・ロビンソンと同じく、相手の頭をわきの下に固定し、ブリッジを効かせて後方に投げるスタイルだったが、猪木の場合は体勢が低すぎて形が崩れることが散見された。 猪木の弟子であり、ゴッチの弟子である藤波もブリッジを聞かせたダブルアーム・スープレックスを使った。凱旋帰国のシリーズでは、逆フルネルソンで相手を投げてグリップを離さずブリッジしそのまま固めて相手をギブアップさせる飛龍風車固めを披露している。これは後に前田日明が、凱旋帰国試合でポール・オンドーフに披露した。 ラッシャー木村も得意としていたが、テリー・ファンクと同じように相手を持ち上げて、相手の身体が垂直になったところを横に投げ捨てるスタイルだった。 映像検証協力:昭和プロレスpasin様 |
綺麗なブリッジをきかせて投げる猪木 | 昭和54年頃になると腰砕けになることがあった | これは1回目のS小林戦。相手を持ち上げずにブリッジしていた |
凱旋帰国のシリーズで山本小鉄をギブアップさせた飛龍風車固め |