九州山 義雄 Yoshio Kyushuzan
  ■本名:大坪 義雄
生年月日:1913年10月20日(1990年5月30日没 )
■出身地:福岡県山田市出身
■所属団体:日本プロレス
 
 大相撲の出羽の海部屋に所属し小結まで昇進した名力士。日本プロレス設立に際し、沖識名に師事してレフェリーとして参加。レスラーの経験はないようだ。また英語で10以上カウントを数えられず、11を「テン・ワン」と言い、20は「テン・テン」と言ったという伝説も持つが、これは力道山のジョークで、実際には数えられたらしい。

 昭和40年頃にはすでにレフェリーも引退しておりフロント業務に専念。しかし給料以外にコーチ料の名目で新人レスラーのギャラよりはるかに高い手当てを受け取っていたという。

 日本プロレス崩壊後も時折リングに姿を見せており、昭和49年に行なわれたアントニオ猪木VS大木金太郎戦の際には大木のセコンド、昭和52年の天龍の断髪式にも姿を見せていた。。