大木金太郎 Kintaro Ooki (a.k.a. キム・イル Kim Il) |
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(撮影:HARU一番様) |
■ニックネーム:韓国の猛虎 ■本名:金泰植(キム・テシク) ■身長・体重:185センチ、122キロ ■生年月日:1929年2月4日(2006年10月26日没) ■出身地:韓国・全羅南道高興郡金山面出身 ■得意技:原爆頭突き ■主要タイトル: テキサス・タッグ WWAインターナショナルTVタッグ 極東ヘビー(日本プロレス版) アジア・ヘビー(日本プロレス版) アジア・タッグ(日本プロレス版) WWA世界ヘビー インターナショナル・ヘビー(日本プロレス版) インターナショナル・タッグ (日本プロレス版) ■所属団体 日本→フリー→国際→フリー |
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伝記「伝説のパッチギ」によれば本名は金一(キム・イル)ではなく、金泰植(キム・テシク)。 韓国相撲の横綱として鳴らしたが力道山にあこがれて昭和34年に密入国。紆余曲折を経て力道山道場に入門。大木金太郎のリングネームで日本プロレスの一員として活躍する。力道山没後、金剛金太郎に改名しているが、すぐに大木金太郎に戻している。また韓国名のキム・イルを名乗っていた時期もあった。 昭和38年にアメリカ遠征しWWA世界タッグを獲得。その脚で帰国し張永哲との権力闘争に勝ち、韓国プロレス界の総帥となる。世界王座を獲得すれば力道山を襲名させると言われ、テキサスでルー・テーズにガチンコを挑みかえり内にあった事件は有名。 セメントでは強いと言われたが後輩の馬場、猪木、坂口に人気面では大きく水をあけられた。日本プロ崩壊後は各団体を渡り歩き波乱のレスラー人生を送った。昭和49年のアントニオ猪木との一騎打ちは名勝負として語り継がれている。全日本プロレスでキム・ドクとのコンビでヒールとして大いに暴れまくった。昭和55年には国際プロレス所属となるが、短期間で離脱している。晩年は闘病生活を送ったが、2006年10月26日に心臓麻痺で急死。 |
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