大木金太郎の原爆頭突き

2004.1.15 update

ガチンコ頭突きが炸裂する瞬間!

 

 昭和のプロレス界において、「このレスラーといえばこの技」という技を一流レスラーは持っていたが、ニックネームにまで技の名前がついたレスラーは少ない。馬場を「16文の馬場」とは言わなかったし、猪木を「コブラの猪木」とは呼ばなかった。しかし大木金太郎は「頭突きの金ちゃん」と呼ばれて親しまれた。日本側の選手でこういうケースは非常にまれであった。

 大木金太郎といえば、頭突きというイメージが強いが、実は大木金太郎という選手は、他にもキーロック、X固め、回転エビ固めなど、多彩な技を繰り出すことのできるテクニシャンであったが、これらの技がかすんでしまうほど、原爆頭突きという技はインパクトが強かった。頭突きほど実践的で、観客に痛みが伝わる技はない。ジャブ的に頭突きを額や腹に叩き込んだ後、「ウッホッホー」といったような(門茂男は「オッッチョッチョ」と表現している)掛け声とともに、あたかも今まさに剛速球を投げんとするピッチャーのように大きく振りかぶってフィニッシュの一本足頭突きを叩き込むのである。

 大木の場合興奮すると、手加減なく相手に頭突きをぶち込んだ為、対戦者には大いに嫌われたという。テキサスでルー・テーズのNWA世界選手権に挑戦したときなどは、気負いすぎて頭突きをテーズに連発し、テーズの怒りを買って逆に額にパンチを叩き込まれて頭部裂傷の大怪我を負って病院送りにされたほどである。ブッチャー、ブラジルとの頭突き合戦もファンを沸かせた。

 またアントニオ猪木と対戦した際にも、猪木に頭突きを連発。猪木はこれを受けきるのだが、心の中で「大木さん、もういいだろう!」と叫び、額にパンチを叩き込んで、攻守交替をして大木をマットに沈めた。日本プロレスでの下積み時代にはルームメイトで、苦楽をともにした二人の間には次第に大きな溝ができた。猪木の日本プロレス追放に際には大木は猪木追放に急先鋒となった。しかしその溝を埋めるかのように、大木は頭突きを叩き込み、猪木はそれを受けきった。試合後両者はリングの上で号泣しながら抱き合ったのである。この試合ほど大木の頭突きがひかった試合もなかろう。必殺技にはこういったストリーも必要なのである。