ハンス・シュミットのシュミット流バック・ブリーカー
2001.4.14 upload
2024.11.27 remix
2025.1.2 remix
昭和42年初来日時。中腰のオリジナル・スタイル |
昭和50年7月 新日本プロ参加時。こっちの方が説得力がある! |
1950年代に撮影された宣伝写真 |
昭和プロレス掲示板では過去多くの技が話題に上った。先月(2001年3月)話題になったのがハンスシュミットのシュミット式バックブリーカーである。そのときはオリジナルのシュミットのバックブリーカーは中腰で背骨というより相手の脇腹を膝に当てているようだったという意見が多かった。私も「悪役列伝」なるビデオで1960年代に東部で行われたと思しきバーン・ガニア戦で爆発したこの技を見たが、やはり中腰で膝に叩き付けるというよりポーンと当てるような印象を受けた。これが元祖のスタイルだったのである。
しかし筆者ののあたまの片隅にはシュミットが「ちゃんとした」バック・ブリーカーをやっている写真を見た記憶がわずかにあった。で、早速、新日本プロレスに3度目の来日を果たした当時の雑誌をくってみると、ちゃーんと左膝をついて直角に曲げた右膝に相手の背骨を叩き付けている写真が載っていたのである。なぜシュミットは中腰のオリジナル・スタイルから普及版のスタイルに変えてしまったか? これはおそらくオリジナル・スタイルがあまりにも迫力不足なので、新日本プロが「片膝をついてやってくれ」とシュミットに懇願したのではないかというのが筆者の推理だが果してどうか? 実はこのシュミット流という呼び名は日本だけの物らしい。初来日時にシュミットはこのことを聞かれて、「え?おれが考えたんじゃないよ。」とあっさりいってしまったという。シュミットがこの技を使っている写真を見て、当時のプロレスマスコミが「シュミット流」とネーミングしたという訳である。この技の元祖はディック・レーンで「オーバー・ザ・ニー・バックブリーカー」なる名前で使っていたという。 本家シュミットのほかには同じカナダ出身のジン・キニスキーがフィニッシュホールドとして多用していたのが思い出される。一時期はアンドレ・ザ・ジャイアントもこの技を使っていたが、あれは強烈であった。 |
この技の元祖はダーティ・ディック・レーンだといわれているり |
昭和42年大阪球場で馬場をKOしたキニスキーのシュミット流背骨折り |
昭和45年、インター奪取の試合でのシュミット流背骨折り |
さて日本レスラーでこの技の使い手といえば「世界の荒鷲」坂口征二である。アルゼンチン式と並んで坂口はこの背骨折りを最大の武器にしていたが、昭和47年11月にザ・カンガルーズ相手に見せたシュミット流バックブリーカーは坂口流と呼んでもおかしくないほどのアレンジを施し破壊力をアップしているので、連続写真で紹介させて頂きたい。 デッドリードライブばりに相手を肩口に担ぎ上げ、遠心力を利用して背骨を膝に叩き付ける。これなら1発でフォールに持ち込める破壊力がある。残念ながら坂口はこの技を封印してしまったのか? それ以降あまり見せていない。 いま思えばこのシュミット流も武藤あたりが、ムーンサルトへの繋ぎ技として(しかもちょこんと背中を膝に当てるだけ)使う程度の絶滅種になってしまった。 |
坂口征二が昭和47年のアジア・タッグ戦でドン・ケントをフォールしたシュミット流バックブリーカー。これは強烈! |
この変則版を使うには強靭な足腰が必要だ |
ニコリ・ボルコフは相手を頭上に抱え上げて膝に叩きつけるハイアングル式を得意とした |
この技のアレンジ系として有名なのがジャイアント馬場のジャイアント・バックブリーカーである。もうひとりこの技をアレンジして使ったレスラーがいた。それが中西部地区では絶対的な人気を誇っていたブルドッグ・ボブ・ブラウンである。
シュミット流バックブリーカーは本来、相手を横抱えにして、自分はマットに立てひざを突き、そこに相手の背骨を叩きつける技である。しかしブラウンは膝をつかず、立ったまま横抱えにした相手を下に落とすと同時に、自分の膝を上に上げてぶつけると言う攻撃方法をとったのだ。 |