ジャイアント馬場のジャイアント・バックブリーカー

2025.1.3 upload

 

昭和44年7月3日、インター戦で初公開されたジャイアント・バックブリーカー

 

 

昭和44〜45年にかけてフィニッシュに多用していた

   昭和52年のチャンピオン・カーニバルでは鶴田が餌食に

 

   

コブラ・クラッチの体勢から・・・

 

ひざをついて相手を仰向けにし・・・

  ひざに背骨を押し付けさらにコブラクラッチで締め上げる

 

 ジャイアント馬場の必殺技と言えば、16文キック、32文ロケット・キック、ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップという名前が出てくると思うが、ジャイアント・バックブリーカーは、馬場のオリジナル技であるにもかかわらず、その名前を挙げる人は少ない。

 コグラクラッチに決めた相手をそのまま仰向けにさせ膝の上で背骨を傷めつけると言う馬場にピッタリの豪快な技であった。この技は昭和44年7月3日のインターナショナル・ヘビー級選手権で、フラッド・ブラッシーを相手に初公開された。

 この技は馬場が考案した技だと思っていたが、この試合を伝える「月刊プロレス&ボクシング」8月号では、「これが、故サンダー・ザボー直伝のチキン・シンク(にわたりを絞め殺す時の方法)の新必殺技」という解説がついている。サンダー・ザボーが来日した時に、馬場に伝授したのか? さらに調べてみると森岡理右氏の「プロレス新必殺技」(廣済堂)にも「馬場のオリジナルではなく意外にも元世界王者のサンダー・ザボーが元祖」と書かれている。ということは、馬場(ジャイアント・バックブリーカー)も猪木(アントニオ・ドライバー)も、サンダー・ザボーから必殺技を盗んだということになる。プロレス界には、この手の奇譚が多く埋もれている…。