未来日外国人レスラー名鑑 タ
タイガー・コンウェイ
TIGER
CONWAY ●黒い虎 ●180センチ、120キロ ●1932年8月4日 米・ルイジアナ州出身 2006年11月13日没 ●ヘッドバット ●テキサス・ニグロ・ヘビー |
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本名はデニス・コンウェイ。全日本プロレスに登場したタイガー・コンウェイ・ジュニアの実父。主にテキサス州ダラス地区を主戦場として活躍した。やや小柄であんこ型の日本人に例えれば永源遙のような体型をしていた。南部ではベビーフェイスとして人気が高かった。得意技はやはりヘッドバッドだったようだ。 |
ダイヤモンド・ティモシー・フラワーズ3世 DIAMOND TIMOTHY FLOWERS
THE 3rd |
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本名はティモシー・リード。1978年にオハイオでデビュー。その後、世界各地を渡り歩き、1981年に閉鎖寸前のロサンゼルス・マットでブレイク。エイドリアン・ストリートとのコンビでアメリカス・タッグを獲得。アメリカス・ヘビー級王者にもなるが、グラン浜田に奪われている。またミル・マスカラスともメインで対決したが、敗れて丸坊主にされた。ロス・マット閉鎖後は、カナダ各地を転戦、現在もインディー団体で活躍している。 |
ダニー・ボーグス DANIE VOGUES ●十字星 ●188センチ、115キロ ●1954年 南アフリカ・ヨハネスブルク出身 ●EWU世界スーパー・ヘビー |
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アマレス時代に築いた名声を引っさげて1983年にプロレス入り。ジャン・ウィルキンスの後釜として世界スーパー・ヘビー級王座に君臨。タイガー・ジェット・シンらと抗争を展開したが、当時は南アフリカとのラインは強くなく来日は果たせず。 |
ダニー・マクシャイン DANNY McSHAIN ●冷血人間 ●181センチ、98キロ ●1912年10月30日 米・アーカンソー州パークデール出身 1992年7月14日没 ●NWA世界ライト・ヘビー、NWA世界ジュニア・ヘビー、テキサス・ヘビー、テキサス・タッグ、アメリカン・タッグ |
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1940〜60年代前半に活躍した選手でディック・ザ・ブルーザ以上の荒っぽさを持っていたといわれているが、私生活では弁護士の資格も持っていたというインテリ。力道山とがんがんやらせたら面白かっただろう。1953年にはバーン・ガニアが返上したNWA世界ジュニア・ヘビー級の王座決定トーナメント(メンフィスで開催)で優勝、バロン・レオネに敗れるまで約1年間保持した。弟のケーシー・マクシャイン、スプートニク・モンローとのコンビでテキサス・タッグも獲得している。またマスクを被ってザ・バットを名乗ったこともある。1992年に逝去。 |
ダブルX DOUBLE X | |
1970年にAWA地区の登場したマスクマンで、ディック・ベイヤー(ザ・デストロイヤー)のドクターXとのコンビで活躍した。身長は185センチぐらいだったという。正体の候補にはレジー・パークス、ボブ・アームストロング、ジム・オズボーンらの名前が挙がっていたようだが、何人かのレスラーが交代で変身していたようである。 |
タリー・ブランチャード TULLY BLANCHARD ●流血の貴公子 ●188センチ、109キロ ●1954年1月22日 米・テキサス州サンアントニオ出身 ●パイルドライバー ●サウスウエスト・タッグ、サウスウエスト・ヘビー、NWA・TV、NWA・USヘビー、NWA世界タッグ、WWF世界タッグ |
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プロモーターで元レスラーのジョー・ブランチャードの実子。ファンクスのコーチを受けてプロレス入り。しばたく陽の目を見なかったが、ジノ・ヘルナンデスとのスー・パーデュオで人気を獲得し、南部で悪名を轟かした。チーム解散後はミッドアトランティック地区で活躍し、1988年頃WWFに移籍、アーン・アンダーソンとのコンビでWWFタッグを獲得している。父同様幻の強豪で終わるかに思えたが、平成になって藤波主宰の無我に参加している。引退後は牧師になった。 |
ダルトン兄弟(初代) → フランク・ダルトン、ドン・ファーゴ(=初代ジャック・ダルトン)を見よ
タロー・コバヤシ TARO KOBAYASHI | |
1973年にセントルイスやカンサスに登場したレスラーで、永源遙が新日本プロレスに参加したことによってパートナーのいなくなったトーキョー・ジョーことミスター・ヒトのパートナーを務めた。ヒト氏に伺ったところ日系人ではなくメキシカンだったという。その経歴など詳細は不明。 |
タロー・サクロー TARO SAKURO ●183センチ、112キロ ●1924年4月15日 カリフォルニア州オロヴィル出身 ●NWA世界タッグ(テネシー版)、南部ジュニア・ヘビー(テネシー版) |
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1960年代にアメリカで活躍した選手で、正体はフィリピン系のレイ・アーバノ。タロー・サクラ、トーキョー・トムとも名乗った。タロー・サクロー時代には芳の里とのコンビで世界タッグ王座を獲得。トーキョー・トム時代にはロスでミル・マスカラスVSグレート小鹿のアメリカス選手権で小鹿に加担、これは日本でも大きく報じられた。1973年ごろからは五大湖地区で初代グレート・カブキとしても活躍している。タロー・サクローとしては、オハイオ、テネシー、トロントなど広範囲にわたって活躍していたようだ。1972年にはレフェリーとしてロサンゼルスに登場。しばらくしてグレート・カブキとしてリングに上がっている。風貌はマサ斎藤にそっくり。タロー・サクローが姿を消した経緯については「昭和プロレスファイル16」を見よ。 |
ダンカン・マクタヴィッシュ DUNCAN MACTAVISH ●175センチ、105キロ ●1932年 英・スコットランド・エイシャー出身 ●パシフィックコースト・タッグ(バンクーバー版) |
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本名はマット・ギルモア。バンクーバー地区で活躍したベテラン中堅レスラー。ドン・レオ・ジョサナサンとのコンビで活躍した。小兵だった為か来日は実現せず。日本では全くと言っていいほど無名の選手である。 |