ファイル16 : 1974年、ロスに現われたグレート・カブキの正体は?

  2005.1.3 update

  

当研究所の設立当初からさまざまな面でお世話になっているJOE HOOKER SR氏が、先日御自分のホームページを開設なさった。早速拝見させて頂いたが、これが非常に格式高いホームページで、筆者も「これはいかん!」と褌を締め直した次第である。氏のHPの中に「ハカチホハルカ」なる高千穂と永源の対比に見るレスラーの生き方論を書かれたコーナーがあるのだが、この中で氏は初代カブキについて触れておられた・・・。

「・・・60年代から70年代にかけて、「ザ・カブキ」なる顔面ペイントレスラーがいたと記憶している。フィリピン系のレスラーだったと思うが実力が伴わなかったのか、いつの間にかいなくなった。顔面にはカブキの隈取りがしてあった、そんな写真を見たような気がする。・・・」(JOE HOOKER SR氏のホームページ所載「タカチホハルカ」 『転』の部 80年代より抜粋。)

2005年注 : その後、このフィリピン系の初代カブキはレイ・アバーノ=タロー・サクラの変身であることが判明した。

これを読んで筆者は初の名古屋遠征の際に購入した別冊ゴングのグラビアを思い出した。早速本棚を漁るとありました、別冊ゴング昭和49年4月号。「ロスに吹きまくる東洋旋風!」という見出しで見開きにて紹介され、なんと付録のポスターにもなっていた(下写真)。ご覧のようにこの「初代カブキ」は顔面にペイントを施している。筆者ははじめこの本を開き、このポスターを目にした時「これはポーゴだな。」と早とちりした記憶がある。巻頭のカラーグラビアをめくっていくと何とあどけないポーゴ・・・つまりミスター・セキこと関川とのツー・ショット写真が掲載されていたのである。ではいったいこれは誰か?

 

 

1974年ロスに登場したカブキ

  ポーゴとの2ショット

 

写真のキャプションには「2月の定期戦からロスのカードに出場している謎の日系男グレート・カブキもベテランながら、小気味の良いファイトを見せている。」とある。体格的には関川よりやや小さく、対戦者のラウル・マタとほぼ似通った肉付きをしている。1974年頃西海岸地区で活躍していた日系人、日本人といえば、キンジ渋谷、ハル佐々木、マティ鈴木、ディーン・ホーなどが上げられるが、この「グレート・カブキ」の風貌(特に左上の写真)から推測すると、ひとりの日本人レスラーが浮かび上がる。張り詰めた上半身の筋肉、太い腕、そしてあごひげ・・・ずばり、このグレート・カブキはマサ斎藤ではないか!?あまりにキワモノ的なギミックだった為に、マサ斎藤の経歴からは抹殺されているのではなかろうか?後にこの時のギミックを戦友の高千穂に譲ったとは考えられまいか?つまり高千穂のカブキは2代目ではなく、3代目だということになる。

これはかなり思い切った仮説だが、皆さんの意見を拝聴したく思い切って掲載した次第である。

マッコイさんからの情報(2002.6.22)

カブキの件ですが…私もマサ・サイトーとにらんでいます。
平成維震軍時代のカブキの試合でテレビ解説していたマサが、「僕も昔、顔に塗って、こういうスタイルでファイトしてました。外人には受けるんですよね」とさらっと告白していましたから・・・。

マッコイさん、情報ありがとうございました。推測が確信に変わりました。やはりマサ斎藤だった!・・・のか?

2005年追記

   

 

初代カブキ

  マネージャーのオルテガサンと('73年)  

'72年にロスに登場したアーバノ

 

タロー・サクラ時代

というわけで、1999年当時、初代カブキ=レイ・アーバノの資料がまったく手に入らず、初代カブキとロスに登場したカブキの比較が出来なかった。しかしその後、資料を入手。今回の追記を書くにいたったわけである。

とりあえず上記の2枚の写真をご覧いただきたい。左の写真は1973年のゴング5月号に掲載された「続・まだいる怪奇男シリーズ」で加山浩氏が紹介した初代カブキである。このカブキはジェス・オルテガをマネージャーとし、デトロイトを中心とした五大湖地区で活躍。ロスにカブキが登場する前年のことである。そして右の写真がカブキの正体であるレイ・アーバノだ。このアーバノの写真は、1972年12月1日にオリンピック・オーデトリアムにレフェリーとして登場した際の写真だ。つまりカブキの変身する直前の写真である。ご覧になってお分かりのように、マサ斎藤に瓜二つなのである。

加山氏のインタビューによれば、アーバノはタロー・サクラを名乗っていた時期にテネシーでソウル・ワインゲロフをナイフで刺す不祥事を起こし、しばらくリングから遠ざかっていたという。ここからは推測だが、アーバノは不祥事が原因でレスラーを続けられず、レフェリーとして各地区を渡り歩いた結果、ロスのリトル・トーキョーあたりで歌舞伎の絵葉書のようなものを見て、顔をペイントして正体を隠すことを思いつき、カブキを名乗って古巣の五大湖地区に帰っていったのではないだろうか?そして思いで後であるロスにも遠征してきた・・・。つまり、ロスに登場したカブキはアーバノで、斎藤とは他人の空似だった・・・というのが結論ではないかと思われる・・・。