未来日外国人レスラー名鑑 

 

 

エイドリアン・ストリート ADORIAN STREET 
魅惑の狂乱児 180センチ、110キロ
1940年12月5日 イギリス・ロイヤルフォレスト出身 ●スリーパーホールド
欧州ミドル級、アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、フロリダ・ヘビー、ノースウエスト・ジュニアヘビー、ミッドサウスTV、サウスイースタン・ヘビー
イギリス時代は欧州ミドル級選手権を獲得するなど本格派のレスラーとして鳴らしたが、英国マットに見切りをつけて1980年にカルガリーに転戦。1982年に妻のリンダをマネージャーにしてどぎついペイントのおかまスタイルに変身してロスに登場。アメリカス・ヘビー級選手権を獲得し話題となる。ロスが寂れるとヒューストンに転戦、ここでも人気を博しメキシコにも足を伸ばしたが、1985年に突然引退。ヒューストンで妻とともに環境団体の幹部になっていたが、最近はフロリダのペンサコーラでプロレス教室を経営する傍らリングコスチュームの販売をているようである。日本にはバラエティ番組に出演するために来日している。

公式サイトはこちら http://www.bizarebazzar.com/

 

ジ・エクスキューショナーズ THE EXECUTIONERS
●死刑執行人 ●WWWFタッグ

1976年ごろにWWWF地区に出現した黒覆面コンビで、正体はキラー・コワルスキー(写真右)とビッグ・ジョン・スタッドがオリジナル。その後、スカンドル・アクバやダグ・ギルバートなど不特定多数のレスラーがマスクを被ってエクスキューショナーとして試合に出場していたため、これがばれてWWWF世界タッグ王座を剥奪されている。

来日全外国人レスラー名鑑のキラー・コワルスキー、ビッグ・ジョン・スタッドの項も見よ

 

エストレージャ・ブランカ ESTRELLA BLANCA
●流星仮面
●1939年 メキシコ・プエブラ出身 ●ナショナル・ライト、AWA世界ライト

デビュー当時はコメタ・ラスルと名乗っていた。1968年に第22代目のナショナル・ライト級王者となり35回の防衛に成功した。最軽量のライト級だからかなり小柄な選手で、来日のチャンスはなかった。白髪の執事とともにリングに登場するなどショーマンなところがあった。息子もレスラーになっている。

 

エディー・シャーキー EDDIE SHARKEY
飛行野郎 175センチ、100キロ
1936年2月4日 米・アラバマ州出身 ドロップキック
高校時代からフットボールで身体を鍛えて卒業後にプロレス入りしたレスラー。レスラーとしては超一流にはなれなかったが、コーチとして手腕を発揮し、ロード・ウォリアーズをはじめとする多くの人気レスラーを育て上げたことで知られる。

 

エディ・マンスフィールド EDDIE MANSFIELD
北米大陸の恋人 182センチ、105キロ
米・フロリダ州出身 
ガルフコースト・ヘビー、サウスイースト・タッグ、アメリカス・タッグ
コンティネンタル・ラヴァーなるニックネームでロスに登場したジュニア・ヘビー級のレスラー。当時ロスで猛威を振るっていたバッド・バッド・レロイ・ブラウンのマネージャーもかねていた。実力的にもうるさい存在で、ロスでは藤波のWWFジュニアヘビー級選手権にも挑戦している。

 

エド・ミラー ED MILLER
●死神野郎 ●183センチ、120キロ
米・オハイオ州出身 
パシフィックコースト・タッグ(シスコ版)
ミラー3兄弟の次男。このエドもルーイン兄弟の次男であるテッドと同じく、画家として有名で早々にリングから遠ざかり、画家としての道を歩んだようである。気が向いた時にリングに上がることもあったようである。

 

エミール・デュプレ EMILE DUPRE
地獄の天使 180センチ、101キロ
1936年10月20日 カナダ・ニューブランズウィック州出身
世界タッグ

本名はエミール・ゴーゲン。1960年代後半に出現したヘルス・エンジェルス=デュプレ兄弟の片割れで、ポール(クリス・コルト)とのコンビで、デトロイト、オハイオ周辺を主戦場とし、小柄な体をフルに生かしてのタッグ戦術で活躍し、日本でも何度となく紹介された幻のチーム。Gパンにライダーブーツという暴走族スタイルで人気を呼んだ。当時公開されてヒットした「イージーライダー」にインスピレーションをえたか? 同じ暴走族スタイルのチェイン・ギャングとの抗争は凄惨なものであったという。解散後はゴールデンボーイ・デュプレと名乗った。現役引退後は故郷のニューブランズウィック州で「アトランティック・グランプリ・レスリング」を旗揚げ。国際プロレスと提携している。息子のレネ・デュプリがWWEで活躍している。

 

エリック・エンブリー ERIC EMBRY
●175センチ、102キロ
1959年米・ケンタッキー州レキシントン出身
●トライステート・タッグ、UWA世界Jライト・ヘビー、フロリダTV、サウスウエスト・タッグ、サウスウエスト・ジュニアヘビー、WWC世界ジュニア・ヘビー、WCCW世界ライト・ヘビー、テキサス・ヘビー
本名はダグ・エンブリー。1973年、17歳の時にプロレス入り、ルー・テーズとヒロ・マツダに師事を仰いだが、軽量の為アメリカでは芽が出ず1981年にメキシコに遠征。ここでエル・ソリタリオからUWA世界ジュニア・ライト・ヘビー級王座を獲得して8回防衛、これに自信を得て帰国後もフロリダ、プエルトリコ、テキサスで活躍した。昭和時代には来日を果たせなかったが、平成2年に全日本プロレスに登場、ディック・チャーランドとのコンビでアジア・タッグ王座決定戦に出場している。佐山タイガーとの対戦が見たかった選手だ。

 

エリック・ランバージャック ERIC LUMBERJACK
●190センチ、125キロ
●1952年5月14日 米・フロリダ州セントピータースバーグ出身(ミネソタ州ダルース出身説もあり) ●雪崩式ブレンバスター

●フロリダ・タッグ、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、ナショナル・タッグ(ジョージア版)、WWWFタッグ(エリック・ランバージャックとして)、アメリカン・タッグ
1978年6月にピエール・ランバージャック(バッファロー・ザリノフ)とのユーコン・ランバージャクスでWWWFタッグ選手権を獲得したが、同年11月にトニー・ガレアとラリー・ズビスコに奪われ短命に終わった。正体はスーパー・デストロイヤーやアステロイドとして来日経験のあるスコット・アーウィン。

来日全外国人レスラー名鑑のスーパー・デストロイヤー、アステロイドの項も見よ。

 

エル・アウダス EL AUDAZ
●勇猛戦士 ●178センチ、93キロ
●1947年5月16日 メキシコ・ベラクルス出身
●UWA世界ライト・ヘビー
本名はドメニコ・バサン・レオン。ごく短期間しかリングに登場しなかったことでマニアの間では伝説となっているルチャ・ドールで、1976年にレイ・メンドーサからUWA世界ライト・ヘビー級選手権を獲得。途中、エル・ソリタリオにマスクを剥がれるが、約7ヵ月王座を保持、カネックをも寄せ付けなかった実力者であったといわれている。王座転落後も活躍したが、1980年に歌手に転向し、あっさりリングを去った。

 

エル・インパクト EL IMPACTO 
●電撃仮面 ●176センチ、80キロ
●1951年 メキシコ出身 ●メキシコ連邦区ミドル

本名はイズマエル・レイエス・ハム。往年の名レスラー、ラウル・レイエスの息子。1968年2月にデビューし、わずか3ヵ月後にメキシコ連邦区ミドル級王座となった。その後この王座を数度獲得している。空中殺法が得意だったというから、佐山のタイガーマスクと対戦してほしかったものである。

 

エル・インヒューマノ EL INHUMANO
●無慈悲の男 ●174センチ、105キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。インヒューマノとはスペイン語で「無慈悲」という意味。ミル・マスカラスと6回戦って全て引き分けたという。経歴など詳細は不明。

 

エル・エスペクトロ EL ESPECTRO
●猿人 ●170センチ、95キロ
●1939年2月9日 メキシコ・ヌエボレオン州モントレイ出身 1993年10月13日没
●ナショナル・ライトヘビー、ナショナル・タッグ
本名はアントニオ・エルナンデス。エスペクトロとはエンジンを意味するらしい。口の部分の牙はプラスチックで出来ており、これを凶器として使用した。頭には白い羽のようなもの(黒バージョンもあり)をのせているが、中には鉄製のヘルメットが仕込まれていたという。ふたりの息子もレスラーとなり、それぞれエスペクトロ・ウルトラトゥンバ、エスペクトロ・ジュニアを名乗った。1993年に死亡。

 

エル・エルミターノ EL ERMITANO
地獄仮面のニックネームで紹介された怪奇派の悪役レスラー。マスクの上部から本物の頭髪を露出させた最初のレスラーではないか? ライガーのスタイルを大きく先取りしていた訳だ。得意技はトップロープからのダイビング・ボディプレス。

 

エル・エンフェルメロ EL ENFERMERO 
●殺人看護士 ●168センチ、85キロ
●メキシコ・グアダラハラ出身
●西部ミドル級、ラテンアメリカ・タッグ

ゴング誌でドクトル・ワグナーと取り違えられた上に、名前も「インフェルマノ」として紹介されていたレスラー。1950年代にメディコ・アセシノとのコンビで活躍、エル・サントを加えたトリオとしても一時代を築いた。メディコ・アセシノとのコンビではアメリカにも遠征、アリゾナではエル・カイロプラティコとして一緒にトレーニングしたバディ・ロジャースに足4の字固めを伝授したとも言われている。1960年代末にメキシコに戻るが、全盛期は過ぎており1979年に自らマスクを脱いで引退。正体はトニー・ナバーロであった。写真提供:Jose Fernandez様

ワグナーととり間違えられていた経緯については「昭和プロレス・ファイル46」を見よ。

 

エル・オリンピコ EL OLYMPICO

1970年代初頭から中ごろにWWWF地区で活躍していたマスクマン。MSGでは覆面が禁止だったので、出場時は写真のように顔の部分が丸見えの特製マスクで出場することを余儀なくされていた。そこまでして出場するほどMSGのギャラは良かったのである。来日したエル・オリンピコとはまったくの別人。

 

エル・グラン・アポロ EL GRAN APOLO
熱風児 ●187センチ、110キロ
●キューバ・バハマ ●フロリダTV、WWC北米ヘビー
キューバ移民でフロリダで育つ。13歳の時にプエルトリコに再び移住し、柔道とボディビルで身体を鍛える。1978年にはボディビルのプエルトリコ王者となる。翌年カルロス・コロンにスカウトされてプロレス入り。プエレルト・リコで活躍した後フロリダに転戦し、当時同地区のブッカーを勤めていたドリー・ファンク・ジュニアのコーチを受けて頭角をあらわし、ドン・ムラコからTV選手権を獲得。その後はジョージア、プエルト・リコなどを転戦した。日本では昭和54年ごろからフレッシュな強豪として紹介されるようになった。当時のルートを考えると新日本プロレス、全日本プロレスともに登場のチャンスは充分にあった。

 

エル・グラン・マーコス EL GRAN MARKUS
●白鯨仮面 ●190センチ、120キロ
●1938年12月27日 メキシコ・コアウィラ州トレオン出身 2007年11月15日没
●ナショナル・ヘビー、テキサス・ヘビー、アメリカン・タッグ
本名ホワン・チャバリーア・ガルシア。数少ないメキシコの重量級選手で日本プロレスの「ワールド大リーグ戦」の参加者のリストに名が挙がったこともあるが、結局未来日。活動範囲はメキシコだけにとどまらずロス、テキサスまで足を伸ばした。テキサスでは長期間定着し悪党人気を獲得。ジノ・フェルナンデスとのコンビでアメリカン・タッグを保持していた。しかし、そのファイトが日本で通用したかどうかは不明。1987年にアニバルに敗れマスクを脱ぐ。2007年11月15日没。

 

エル・コンドル EL CONDOR
コンドル仮面 176センチ、82キロ
少年時代に高熱におかされて耳が聞こえなくなり、言葉が不自由で、いつも「シューシュー」という不気味な呼吸音を発していたという。ジャン・レノ主演の「グラン・マスクの男」にこのエル・コンドルをモチーフにしたと思しきレスラーが登場する。得意技はメキシカン・バックブリーカー。

 

エル・サント EL SANTO
●聖者 ●170センチ、85キロ
●1917年9月13日 メキシコ・イダルゴ州出身 1984年2月5日没 ●カベルナリア
●ナショナル・ウェルター、ナショナル・ミドル、ナショナル・ライトヘビー、NWA世界ウェルター、NWA世界ミドル
こちらが本家のエル・サント。本名アドルフォ・グスマン・ウエルタ。アメリカでも活躍した名選手ブラック・グスマンの実弟で、パンテラ・ネグラの兄である。デビュー当初はルードだったというが、リンピオに転向後はナショナルタイトル3階級、世界タイトル2階級を制覇するなどの実績をあげ、神格化される。短期間テキサスに遠征したことがあるだけで、ほとんどメキシコからはでたことがない幻のレスラー。映画にも多数出演し、メキシコでは国民的な英雄となった。1984年心臓麻痺で逝去。

 

エル・サント・マスク  EL SANTO MASK
フランスに1970年代初頭に出現したマスクマンで、メキシコのエル・サントの名声を聞きつけこのリングネームを付けたのであろう。本家サントとは違いラフ・ファイト専門だったらしい。

 

エル・トレメンド EL TREMENDO
●モーレツ坊主 ●188センチ、128キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。トレメンドとは「モーレツ」といったような意味。ほとんどの試合で反則負けを喫したという。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。経歴など詳細は不明。

 

エル・ナシ EL NAZI
●親衛隊長 ●175センチ、97キロ
●1932年7月31日 メキシコシティ出身 2008年11月29日没
●ナショナル・ライトヘビー、ナショナル・ヘビー

日本ではエル・ゲルマーノとして紹介されていたが、元々はそう名乗っていたのだろうか? 本名はイグナシオ・ルイス・ロメス。ドイツ出身で父親がヒットラーの側近だったというギミックだったらしい。メキシコのナショナル選手権の2階級を制覇したあたり、見せ掛けだけのレスラーではなかったことは良くわかる。EMLLとルートがあった末期の国際プロレスあたりに登場して欲しかった。

 

エル・バンドレロ EL BANDOLERO
●山賊仮面 ●174センチ、115キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。黒ずくめの衣装でピストルを片手に登場。メキシコのマスクマンは個性豊かで面白い。

 

エル・ファラオン EL FARAON
●緑の猟犬 ●180センチ、89キロ
●1947年10月5日 メキシコシティ出身
●NWA世界ミドル、NWA世界ライト・ヘビー

本名はホセ・ルイス・バラハス・フェルナンデス。リングネームはエジプトの王を指す「ファラオ」の意味。元々はマスクマンとして1973年にデビューする。1976年4月にフィッシュマンに破れて素顔になるが、10月にペロ・アグアヨからNWA世界ミドル級選手権を獲得。このタイトルは1977年3月にアグアヨに取り戻されているが、1977年暮れにジョー・ポラルディに勝って王座に復帰。その余勢をかってロスに登場、1978年1月にはマスクド・カナディアンの挑戦を受けて防衛したが、メキシコから追いかけてきたリンゴ・メンドーサに敗れている。1978年6月にはアルフォンソ・ダンテスからNWA世界L・ヘビー級王座を獲得している。新日本プロレスが招聘するチャンスはあった。

 

エル・ブラセロ EL BRACELO
●メキシコの竜巻 ●170センチ、95キロ
●1949年 メキシコシティ出身

本名はホセ・マルチネス。テキサスでホセ・ロザリオのコーチを受け1978年にインディアナポリスのWWAに登場したメキシカン・レスラー。その後もAWA地区などで試合をしていたが、完全な前座要員だったようである。ブラセロとは「労働者」の意味らしい。来るとすれば国際プロレスあたりではなかったか?

 

エル・プリュアノ EL PRUANO
●精神病仮面 ●172センチ、103キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。名鑑の解説には「流血試合をやらせたらメキシコでも指折り。噂では本当に精神病者ではないかといわれている」とあるが、現在では再現不可能なギミックといえよう。

 

エル・メタカルポ EL METACARPO
●血を吸う掌 ●180センチ、103キロ
●スペイン・グラナダ出身

ゴングに連載されていた「続・まだいる怪奇男シリーズ」で紹介されたメキシコの選手。レイ・メンドーサの友人で、本職は古代マヤ文明の研究で、プロレスはあくまでも副業だったという。やけどを隠す為に白い手袋をはめていたというが、実は鋼鉄の義手だったのではないかといわれている。必殺技はクロー攻撃で握力はなんと200キロ。クロー攻撃で流れた血で白いテブクロが真っ赤に染まる光景は凄惨なものだったという。

 

エル・メヒカーノ EL MEXICANO
1968年ごろにロサンゼルスに登場していたマスクマン。ミル・マスカラスとも対戦していたようだが、本当にメキシコ人だったのかなど、詳細は不明である。

 

エル・メディコ  EL MEDICO
●青仮面の医師 ●180センチ、103キロ
●メキシコ出身? ●フライングヘッドシザース
●アメリカス・ヘビー
1980年の夏にロスに登場したメキシコ系のマスクマン。話題性のみの存在的に紹介されていたが、ごく短期間ながら何とアメリカス選手権を獲得してしまった。この頃からロスのマット界は急激に衰退の時代に入る。正体はベテランのラウル・レイエスといわれたが・・・?

 

エル・リンス EL LINCE
●山猫 ●183センチ、116キロ
ゴングの1971年8月号増刊に掲載された「J・H・リンレイのメキシコ・レポート」で紹介された選手。当時は「ボクス・イ・ルチャ」誌の人気投票の3位に名を連ねていたほどメキシコでは人気があったという。その動きは少林寺拳法に似ており、リンレイはチョング・リーという中国人レスラーではないか?と推測している。食事はもっぱら中華料理だったという。

 

エル・レオン・ネグロ EL LEON NEGRO
●黒獅子仮面  ●174センチ、82キロ
●1939年7月16日 メキシコ出身

本名はホセ・カルメン・カスティージョ・アギレラ。メキシコで1969年度の新人王に選出されたこともある選手で、1970年代にはウルトラマンとの抗争で人気を博したが、最終的にはウルトラマンにマスクをはがされている。もう少し登場が遅ければ佐山タイガーマスクと虎VSライオンの対戦が見たかったものである。

 

エル・レベルディ EL REBELDE
●オカルト怪人
●175センチ、98キロ ●1933年3月21日 メキシコ・コアウィラ州トレオン出身
1974年ごろにメキシコに登場したレスラー。自称ロシアのコザック民族でソヴィエト政府に反逆して国外追放にされたという。顔を縮めたり、火のついたガソリンを飲んだり、火のついた葉巻を食うなどの怪人ギミックでオカルト怪人と呼ばれた。リングでは火炎殺法を使ったという。彼の左足は義足で歯は総入歯だった。これはソヴィエト政府に捉えられ拷問受けた際に脚を切断され、歯を全て抜かれたのだという。メキシコでは割と遅くまでこのようなギミックの怪奇はレスラーは多かったようだ。

その後の調査でロボットR-2の正体であることが判明。

 

エル・ロステロ  EL ROSTRO
●黄金の笑い仮面 ●185センチ、103キロ
●1947年5月16日 メキシコ・サンルイスポトシ出身
ミル・マスカラスの登場によって、ようやく日本のファンの目がメキシコ・マット界にむくことになるが、エル・ソリタリオに次いで大きく取り上げられていたのが、黄金の笑い仮面と呼ばれたエル・ロステロであった。体格もマスカラスより一回り大きく、日本にきても何とかなりそうであったが、未来日に終わっている。1976年に一度引退し競馬関係の仕事をしていたが、マスカラス兄弟のすすめで1984年にカムバックした。

 

エル・ロボ EL LOBO
●狼仮面 ●190センチ、124キロ
フロリダに登場したマスクマンで、1971年当時でキャリア6年、いくつかのローカル、ナショナル・タイトルを獲得した選手が正体だという。マスクのデザインは国際プロレスに登場したドクター・デス(ムース・モロウスキー)と全く同じなのだが・・・。ルーク・グラハム正体説もあり。

 

エレファント・ボーイ ELEPHANT BOY
●象男 ●180センチ、110キロ
●1921年3月26日 米・カリフォルニア州出身 2008年2月6日没
本名はウイリアム・ヴィクター・オリヴィアス。スレイブガール・ムーラ(後のファビュラス・ムーラ)を従えてリングに上がった怪奇派レスラー。マサチューセッツの鬼才プロモーターのジャック・フェファーのアイディアでザンダー・ザボーとも名乗った。ベネスエラの野人というギミックだったようである。引退後はカトリック教会の牧師になったが2008年に逝去。