来日全外国人レスラー名鑑 エ(1)
エイブ・ジェイコブス → アベ・ヤコブを見よ
ジ・エクスキューショナー
THE
EXECUTIONER ●188センチ、95キロ ●1906年3月30日 フランス出身? 1989年10月3日没 ●コブラクラッチ |
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38 1(日)【特】プロレス春の国際大試合 | ||
日本初のプロレス興行に参加したアンドレ・アドレーの変身。この時既に57歳と言う高齢で、覆面を被ったのは老いた顔を隠すためであったといわれている。当時はかなり衰えており、月刊ゴング昭和61年1月号のマスクマン特集では「史上最弱のマスクマンだった?」と評されている。3月1日のリキ・スポーツ・パレスでの豊登戦では、素顔で登場し、本名のアル・バフェトを名乗った。この試合を最後に引退を表明している。得意技はコブラクラッチ。 アンドレ・アドレーの項も見よ。 |
ジ・エクスキュースナー
THE EXECUTIONER ●死刑執行人 ●186センチ、108キロ ●米・ジョージア州出身? ●欧州タッグ、南部タッグ、ミッドアメリカ・ヘビー |
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53 10(新) 闘魂S | |
正体はブルー・インファーノス2号、マイティ・ヤンキース2号、ジ・インフェルノス2号として来日した事のあるカーティス・スミスである。覆面タッグの専門家だったが、エクスキュースナーとしてはじめてシングル・プレーヤーとして来日、キラー・カール・クラップ、ブルート・バーナードとの残虐コンビを結成し日本勢相手に奮戦したが、体が小さいことが致命傷であった。 インフェルノス2号の項を見よ。 |
S・D・ジョーンズ
S. D. JONES 3回
●速射砲 ●188センチ、110キロ ●1945年3月30日 イギリス領アンティグア出身 2008年10月26日没 ●ヘッドバット ●アメリカス・タッグ |
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57 1(新) 新春黄金・S、 57 4(新) ビッグ・ファイト・S、57 10(新) 闘魂S | |
本名はコンラッド・エフレイム。日本へはバッドニュース・アレンにつぐブッチャー軍団の3番手として登場したが、キャリアは古く16歳でプロレス入りし、キラー・コワルスキーのコーチを受けた。1970年代後半にはロスに登場し、同じく黒人のトム・ジョーンズとのコンビでアメリカス・タッグを獲得している。元々はドロップ・キックなどを得意とした正統派レスラーでブッチャー軍団には渋々参加。ブッチャーの試合に乱入した時などもやや気後れしていた印象がある。リングネームの「S・D」とはスペシャル・デリバリー=速達という意味がある。 |
エディ・オーガー
EDDIE
AUGER ●プロレスの鬼才 ●190センチ、112キロ ●1930年 カナダ・ケベック州セントサルビス出身 ●エアプレーンスピン ●NWF世界ヘビー、NWF世界タッグ、IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版) |
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42 9(日) ダイヤモンド・S | |
モントリールのプロモーターも務めた若き日のジャック・ルージョー。ちなみにエディ・オーがーとは叔父のリングネームである。帰国後、モントリオール地区の顔役となるまでに成長したが、オーガーとしての初来日ではこれといった実績は残せていない。 詳細はジャック・ルージョーの項参照。 |
エディ・ギルバート EDDIE GILBERT 1回
●青き炎 ●183センチ、98キロ ●1955年 米・ケンタッキー州レキシントン出身 1995年2月18日没 ●パイルドライバー ●南部ヘビー(テネシー版)、南部タッグ(テネシー版)、トライステート・タッグ |
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58 10(新)【特】 闘魂S | |
中西部地区で活躍したトミー・ギルバート(ジョニー・スターで来日)の息子で、デビュー当時はニューヨーク地区を主戦場とし、1982年にMSGでタイガーマスクのWWFジュニア王座に挑戦して善戦して日本でも脚光を浴びる。翌年、待望の来日を果たしたが、高田伸彦の当て馬となった上に負傷により途中帰国というほろ苦いものになった。WWFエリアを離れてUWFに参加、トミー・リッチと初代ファビュラス・ワンズを結成後、シングルに転向し女性マネージャーのミッシー・ハイアットを侍らせヒールに転向した。一時期WINGでブギーマンなる怪奇派マスクをつけ登場したが団体を批判し自らマスクを脱ぐなど問題を起した。1995年に遠征先のプエルト・リコで心臓麻痺で死亡。 |
エディ・グラハム EDDIE
GRAHAM 3回
●フロリダの虎 ●178センチ、110キロ ●1930年1月15日 米・アリゾナ州フェニックス出身 1985年1月20日没 ●足4の字固め ●NWA世界タッグ(ジョージア版、フロリダ版)、USタッグ(NY版)、南部ヘビー(フロリダ版) |
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41 5(日) ゴールデン・S、42 1(国) パイオニア・S、49 2(全) エキサイト・S | ||
本名エドワード・ゴセット。マイク・グラハムの父親。グラハム四兄弟の次男として売り出しNY地区のUSタッグ選手権を獲得して人気を獲得。フロリダに腰を据えてからはサム・スティンボートとのコンビで活躍したタッグの名手。昭和41、42年に来日した時にはライバルのヒロ・マツダと熱戦を展開した。猪木との因縁も深く昭和42年に猪木が保持していたUS選手権にも挑戦している。昭和50年代前半には全日本プロレスに協力したが、1979年にNWA副会長となり藤波にインターJRに挑戦のチャンスを与えたのは、猪木への友情か? ジュニア・ヘビーの体格ながら南部では一時代を築いた名レスラーだった。引退後はフロリダでプロモーターとして成功したが、副業で始めた不動産事業が失敗し、1985年にピストル自殺を果たす。マイク・グラハムの父親。 |
エディ・サリバン EDDIE
SULLIVAN 6回 ●アリゾナの山猫 ●178センチ、108キロ ●1941年米・テキサス州アマリロ出身 2000年11月24日没 ●オクラホマ・スタンピード ●ルイジアナ・ヘビー、IWA世界タッグ(国際プロレス)、南部タッグ(テネシー地区)、USタッグ(ミッドアメリカ版、ガルフコースト版)、ガルフコースト・ヘビー、ガルフコースト・タッグ、ミシシッピ・ヘビー |
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44 11(日) NWAシリーズ、47 6(新) オープニング・S第3弾、51 5(国) ビッグ・チャレンジ・S、52 1(国) 新春パイオニア・S、55 2(国) スーパー・ファイト・S、59 10(全) ジャイアント・S | ||||||
本名はルーベン・ファイザー。メキシコ系アメリカ人で、ドリー・ファンク・シニアに弟子入りしアマリロでデビュー。中西部に転戦しリップ・タイラーとのコンビで売り出し、昭和47年には新日本プロレス、昭和51、52年には国際プロレス、昭和59年には全日本プロレスにタイラーとのコンビでに来日し、昭和51年来日時には草津、井上組からIWA世界タッグ・タイトルを強奪している。昭和55年に来日した時には髭を生やした西部の無法者スタイルに変身していた。2000年11月心臓発作で逝去。 |
エディ・モレア
EDDIE MOREAU ●褐色の豹 ●178センチ、108キロ ●1936年 マルチニク島出身 ●ドロップキック ●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、北米ヘビー(ハワイ版) |
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41 11(日) ウインター・S | |
東南アジアで活躍していたジャック・クレイボーンの前身。モレア名義で来日した際はターザン・ゾロとのコンビでアジアタッグ王座決定戦に出場するなどの活躍をしている。カナダに定着してからは国際プロレスの常連となる。 詳細はジャック・クレイボーンの項参照。 |
エド・ウィスコフスキー
ED WISKOWSKI
1回 ●188センチ、113キロ ●1947年 米・カンザス州カンザスシティ出身 ●セントラルステート・ヘビー、USヘビー(サンフランシスコ版)、パシフック・ノースウェスト・ヘビー |
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52 7(全) サマー・アクション・S | |
本名はウィリアム・エドワード・ウィスコフスキー。メキシコ・オリンピックにアメリカ代表として出場経験を持つ本格派。主に中西部地区で活躍し、次期世界王者候補に名前が挙がった事もあったが、なぜか南アフリカに遠征してしまいチャンスを逸した。日本からの帰国後は北西部地区に転戦しここでもトップに。彼がアメリカで再び脚光を浴びたのは、南アフリカの黒人を迫害する軍人にヒントを得た「悪役大佐」カーネル・デビアーズに変身してAWA圏に出現した時であった。このキャラクターで昭和62年の「世界最強タッグ」にブルーザー・ブロディのパートナーとして来日が発表されたが、直前にキャンセルとなった。 |
エド・フランシス ED FRANCIS 1回
●ハワイの流血王 ●183センチ、113キロ ●1926年米・イリノイ州(オハイオ州コロンバス説もあり) ●NWA世界ジュニア・ヘビー、パシフィックノースウエスト・ヘビー、ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ |
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49 5(国) ダイナマイト・S | |
大学卒業後にドン・オーエンにスカウトされてプロレス入り。1956年にはバロン・レオネから世界ジュニア・ヘビー級選手権を獲得。1959年からハワイに腰を下ろし、アル。カラシックからプロモート権を買取りプロモーターとなる。特に流血戦に強くハワイの流血王と呼ばれた。息子のビリーもレスラーとして活躍し日本へは親子揃っての来日。何とアメリカ上陸直後のカール・ゴッチに勝ったことがあるらしい。「ボクが強くなれたのはフランシスのおかげ。」とゴッチも語っていることから間違いない事実だろう。国際プロレスではロビンソンと木村によるIWA世界王座決定戦のレフェリーも務めている。(追加情報:JOE HOOKER SR氏) |
エド・モレッティ ED MORRETTI 2回
●宇宙犬 ●183センチ、105キロ ●1957年11月17日 米・カリフォルニア州サンフランシスコ出身 ●カナダ・タッグ(バンクーバー版)、セントラルステーツ・タッグ、WCCW世界ヘビー(バンクーバー版) |
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54 6(国) ビッグ・サマー・S、59 8(全) スーパー・パワー・S | ||
末期の国際プロレスの外人は、アメリカでも知名度の低い3流レスラーが中心だったが、その極めつけがこの男。初来日当時は21歳でキャリア不足という事もあったが、ゴング誌において「ファイト振りは地味で、これといったテクニックもない」と酷評されている。アメリカではレフェリーをやらせれていたこともある。5年後にムーンドッグ・エド・モレッティとして来日しているが、全く印象に残っていない。ツバをはいて口に戻すというパフォーマンスが話題になった。 |
エド・レスリー
ED LESRY
4回 ●187センチ、115キロ ●1957年4月21日 米・フロリダ州タンパ ●WWF世界タッグ、南部タッグ(テネシー地区) |
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57 8(新) ブラディ・ファイト・S、58 4(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、58 8(新) ブラディ・ファイト・S、59 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾 | |
本名はエドエアード・ハリソン・レスリー・ジュニア。初来日当時はハルク・ホーガンの従兄弟とか実弟といわれていたが、どうやら他人で、ホーガンの高校時代の後輩だったようである。エディ・ブルドー、ディジー・ホーガンを経てエド・レスリーのリングネームで来日。猪木の欠場で日本側についたホーガンとは連日敵として戦っている。後にWWFでブルータス・ビーフケーキに変身して全米でもトップの人気者となるが、日本ではさっぱり人気が出なかった。ブルータス・ビーフケーキの他にもブッチャー、ゾディアック、ウラザー・ブルーティーと改名した変身魔。 |
エドワード・カーペンティア
EDWARD CARPENTIER
2回 ●マットの魔術師 ●178センチ、105キロ ●1927年7月17日 フランス・ロアーヌ出身 ●サマーソルト・キック ●AWA世界ヘビー、WWA世界ヘビー(ロス版)、アメリカス・ヘビー、GWA世界ヘビー、IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版) |
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45 7(国) ビッグ・サマー・S、48 4(国) ダイナマイト・S | |
本名はエディ・ウィッツ。発音はカルパンティエが正しい。フランスの拳聖ジョルジュ・カルパンティエの甥(これはギミックとの説が有力)で、サマーソルト・キック、サマーソロト・ドロップの考案者として有名。アクロバット・プロレスの元祖。完全にジュニア・ヘビー級の体格だったがテーズを破り一度は世界ベルトを巻いたほどの実力者(後に無効となり、不服としたカーペンティアはガニアとAWAを設立)でもある。新日本プロレスにも再三来日の噂は上がったが一度も実現していない。これはカナダで税金を滞納していたので、出国できなかった為だといわれている。あと15年登場が遅ければ藤波の好敵手になっていたに違いない。当時のファンはサマーソルトキックが単なる見せ技だった事を知り大いに失望したという。2010年10月30日永眠。サイン |
エドワルド・ペレス
EDWARDO
PEREZ 1回 ●181センチ、110キロ ●1929年アルゼンチン ●ガルフコースト・ヘビー、南部タッグ(ガルフコースト地区)、ミシシッピー・タッグ |
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44 5(日) ゴールデン・S | |
南米出身のレスラーで小柄なレスラーであった。宣伝用写真では若々しいが実物は頭の薄くなった中年男であった。吉村道明のスタンディング・クラッチであっさりギブアップを喫している。やはり軽量に泣かされ日本ではパッとした活躍が出来なかった。シリーズ終了後の東南アジア遠征にも同行している。 |
エニー・ラスター ERNIE LASSETER 1回
●黒い台風 ●178センチ、103キロ ●ドロップキック |
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47 7(新) ニュー・サマー・S | |
ボビー・キャッシュとのブラック・ハリケーンズで来日。来日前は全くの無名選手だったが、来日後は華麗なドロップキックを駆使し、期待外れに終わったエース格のコア・チキに変わって、シリーズのエースとなった。日本から帰国後パートナーのキャッシュはポークチョップ・チョイスに改名しロスの王者となるが、ラスターの活躍は聞かれる事はなかった。 |
エミール・エルマンソー
EMILLE
ELMANSO 1回
●中近東の魔術師 ●173センチ、115キロ ●1936年 ヨルダン・ベイルート出身 ●原爆固め |
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44 10(国) 【特】IWA世界タッグ・S | |
レバノン出身の双生児で、兄のシークと共に昭和44年に国際プロレスに来日。そっくりなのをいいことにすりかわる というようなことはしない、テクニシャン・タイプだった。体が非常に柔らかく、 得意技はジャーマン・スープレックス・ホールド。また相手のパンチ、エルボー・スマッシュを正面から受け、あおむけにマットに倒れる寸前に、驚異的な腹筋力と背筋力で起き上がりそのまま相手にパンチを見舞うという神業の持ち主だった。(解説:J HOOKER SR氏) |
MS1(エメ・エセ・ウノ) MS1 1回 ●宇宙怪人 ●176センチ、94キロ ●1956年12月31日 メキシコシティ出身 ●NWA世界ライトヘビー |
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59 7(旧U) UWF無限大記念日 | ||
EMLL系のルチャ・ドールで「エメ・エセ・ウノ」と発音する。元々はマスクマン(写真右)でMS2(エメ・エセ・ドス)とのコンビで売っていたが、エル・ラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアにマスクをはがされて素顔に。マスクマン時代にMS2とのコンビで国際プロレス最後のシリーズに参加が予定されていたが、何らかの理由でキャンセルしている。素顔になってから本領を発揮し1985年と1987年の2度に渡ってNWA世界ライトヘビー級王者になった。 |
エリ・ザ・イリミネーター
ELI
THE ELIMINATER ●死刑執行人 ●195センチ、131キロ ●1960年 米・インディアナ州インディアナポリス出身 |
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62 10(新) 闘魂S | |
本名はジョン・リッチモンド。マッドマックス1号の変身。黒のロングタイツに黒の皮手袋という古典的なブッチャー・スタイルで、ツームストン・パイルドライバーをフィニッシュにしていた。 詳細はマッドマックスの項を参照のこと。 |
エリージャー・アキム
ELIJAR
AKEEM ●黒い起重機 ●199センチ、160キロ ●1950年 米・イリノイ州シカゴ出身 1988年没 ●ヘッドバット ●USタッグ(フロリダ地区)、南部タッグ(テネシー地区) |
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59 4(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾 | |
クレイジー・レロイ・ブラウンの変身。ムハマッド・カリム(レイ・キャンディ)とのザンビア・エキスプレスとして来日。当時人気絶頂にあった長州、浜口組を全く寄せ付けぬ暴れっぷりを見せた。 クレイジー・レロイ・ブラウンの項も見よ。 |
エリック・ザ・アニマル ERIC THE ANIMAL (バイキング・ハンセン
*) 2回 ●野獣 ●190センチ、148キロ ●1934年8月1日 デンマーク・オーフス出身 1978年11月没 ●ベアハッグ ●NWF北米ヘビー、プエルトリコ・ヘビー、フロリダ・タッグ |
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40年9月 (日) ハリケーン・S*、49 2(新) ビッグ・ファイト・S | |
本名はイブ・ソルバンク・ハンセン。デンマーク出身のバイキング・ハンセンの変身。改名後はNWFやIWAなど東部地区でエリック・ザ・レッド名義で活躍。昭和49年の新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」にアンドレに次ぐ準エースとして来日。シングル成績6勝4敗。ミスター・高橋が著書「プロレス至近距離の真実」でその肉体のもつナチュラルパワーを絶賛していたが、猪木、坂口には軽くあしらわれていた。帰国後プエルト・リコでスターとなるものの交通事故で死亡。 サイン |
エリック・ザ・レッド → エリック・ザ・アニマルを見よ
エリック・フローリッチ
ERIC FLOELICH 2回
●マットの軽業師 ●187センチ、105キロ ●1937年5月3日 米・ワシントン州シアトル出身(ドイツ・ハノーバー説もあり) ●サマーソルトキック ●アメリカス・タッグ |
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45 9(国) ダイナマイト・S、47 11(日) インター選手権・S | ||
当時の人気ナンバー・ワンだったスパイロス・アリオンの招聘を日本プロレスに妨害された国際プロレスが代打として呼んだ選手。エプロンからロープ越しの回転エビなど当時ではまだまだ珍しかった「アクロバット殺法」で人気を呼んだ。帰国後ロスに出現し、ルーベン・ファーレスとのコンビでアメリカス・タッグ王者になっている。主戦場はカナダバンクーバーからロスまでの太平洋岸一帯。裸足でファイトすることが多かったようである。 |
エル・エヒプシオ
EL EGIPCIO
1回 ●仮面の古代王 ●180センチ、98キロ ●1957年1月9日 メキシコ・プエブラ州プエブラ出身 ●プエブラ州タッグ |
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59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦 | ||
本名ホセ・ルイス・エルナンデス。1975年プエブラでデビュー、1978年プエブラ州タッグ王座奪取 1979年エル・ドーベルマンのマスク剥ぎに成功 1983年ラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアにマスクを剥がされる。にもかかわらずマスクをかぶって来日。後楽園ホールで馬場、ラッシャー木村、タイガーマスク(三沢)とタッグで対決するが、パートナーが大物過ぎて貫禄負けした上におちょくられてかわいそうだった。そのパートナーとはハーリー・レイス、ニック・ボックウインクルである。(解説:JOE HOOKER SR、シーク・アリの両氏) |
エル・オリンピコ EL OLIMPICO 1回
●183センチ、103キロ ●プエルトリコ出身 |
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62 2(全) 87 エキサイト・S | |
正体は全く不明。おそらくプエルトリコ系のレスラーだと思われる。プエルトリコで修行していた輪島と因縁の決着をつけに来日した。IWGP中南米予選に出場したパナマ出身のエル・オリンピコとは別人。当時の全日本プロレスはこの様な海のもにとも山の者とも付かないラテン系のレスラーを多く来日させてはファンの失笑を買った。 |
エル・カネック CANEK 14回
●仮面の魔豹 ●186センチ、105キロ ●1952年6月19日 メキシコ・タバスコ州フロンティーラ出身 ●原爆固め、フライング・ネックブリーカー ●UWA世界ヘビー、ナショナル・ヘビー |
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53 3(新) ビッグ・ファイト・S、54 4(新) 第2回MSG・シリーズ、 56 4(新) WWFビッグ・ファイト・S第2弾、 56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 5(新) 第5次サマー・ファイト・S、57 11(新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 5(新) lWGP決勝リーグ、59 6(新) サマー・ファイト・S、 60 5(新) lWGP&WWFチャンピオン・S、60 11(新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 4(新) ビッグ・ファイター・S、62 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 87、63 5(新)【特】88lWGPチャンピオン・S、63 10(新) 闘魂S | ||
197年にエル・ウニベルソとしてデビュー。プリンシペ・アズールを経て1973年3月にカネックとなる。アステカ王朝をモチーフにしたマスク・デザインが特徴だが、初期のマスク(写真右)にはこれがなかった。日本ではエル・カネックと表記されていたが、正式には「エル」は付かない。藤波辰巳のメキシコ修行時代のライバルで昭和53年に凱旋の藤波を追って初来日するが、タイトルマッチ当日に敵前逃亡という不祥事を起こす。帰国後はUWAに移籍し、自費でカール・ゴッチを招いてコーチを受けルー・テーズを破り世界王者となり、ミル・マスカラスに変わる「メキシコの帝王」として君臨する。以後何度も来日しているが、昭和60年代に入ると精彩を欠き、人気も衰えてしまったのはファンとして残念だった。しかしメキシコでは健在でベイダーにも勝っている。2002年にはバーリトゥード戦に登場し快勝、昭和ファンを喜ばせた。さらに詳しく サイン (左写真撮影:HARU1番様) |
エル・クルセロ EL CRUSERO 1回
●十字軍仮面 ●180センチ、100キロ ●1951年メキシコ・ハリスコ州グアダラハラ出身 ●ハリスコ州タッグ |
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56 6(国) ダイナマイト・S | |
アメリカ風に言えば「ザ・クルセーダー」つまり「十字軍」という意味のリングネームを持つメキシカンで、末期の国際が活路を見出したEMLLとの提携路線に乗って来日したメキシカンの一人。メキシカンにしては大型で、国際プロレスの連中には十分対抗できる実力を持っていた。メキシコではそれほどの人気を持っていた訳ではなかったようだ。本名はホセ・ルイス・ビジャレアル・エストラーダ。 |
エル・グレコ
EL GRECO
1回 ●黄金のギリシャ人 ●180センチ、100キロ ●ギリシャ出身 |
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49 7(新) サマー・ファイト・S | |
本名はギリアコス・アナスターシアテス。おかまコンビのグレコとは全くの別人で、ギリシャ出身のレスラー。オリンピックに出場経験もある実力派で、長州力(当時は吉田光雄)のデビュー戦の相手を勤めたが、必殺のさそり固めでギブアップしている。レスラーらしからぬスリムな(?)身体をしていた。主戦場はドイツだった様だ。 |
エル・グレコ → エル・ベジョ・グレコを見よ