カネックほどファンの期待の添えなかったレスラーは少ないんじゃないかと思う。78年ビッグ・ファイト・シリーズに
藤波の推薦で初来日。彼の日本でのベスト・バウトと評価の高い大垣での藤波との流血戦。この一戦で彼のファ
ンになった人は多いだろう。当時の言葉を借りればマスカラスばりの空中殺法に、思いっきりのいいラフ・ファイ
ト。正義のヒーロー藤波と台頭する悪のヒーローの姿をそこに我々は見た。しかし待望のWWWFジュニア選手
権のリングに彼の姿はなかった。前代未聞の敵前逃亡。その瞬間彼は汚れたヒーローになってしまったのだ。し
かしそんなカネックに救いの手を差し伸べたのはライバル藤波だったという。
傷心のカネックはこの事件の汚名を晴らすために自費で神様カール・ゴッチを招聘しコーチを受けた。自信を付
けたカネックは新団体UWAに移籍、初代ヘビー級王者のルー・テーズをゴッチ譲りの原爆でマットに沈める。そ
して初のメキシコ遠征を果たした猪木に挑戦、結果はストレート負けだったがカネック復活を日本のファンに大い
にアピールした。
待望の2度目の来日は79年の春の本場所MSGシリーズ。汚名返上の執念に燃えたカネックは暴れまくり、藤
波、ゲレロとの因縁を深める。そして姫路で幻の名勝負カネック&ソリタリオ対藤波&ゲレロのタッグマッチ。ノー
テレビだったこの試合は、ジュニア史上最高の試合だったとの評価も高い。絶好調のカネックは遂に藤波への挑
戦を実現させた。大阪府立で引き分け、蔵前ではプランチャにいった所を藤波のドロップキックで迎撃されて沈ん
だが、僕が思うにあの前のフライング・クロス・チョップはカウント3はいってたよ!ミスター高橋が藤波を助けたと
当時10歳の僕は思ったね。あれから20年かぁ。
いま思えばこの時の来日がカネックのハイライトで、その後は来日するたびに試合に迫力がなくなっていった。特
に大阪だったと思うが、藤波がカネック、長州との2試合を強行した日のカネックの試合は目も当てられなかっ
た。完全な当て馬だったからファンとしてはとても辛かった。それ以上に辛かったのがコブラや小林邦明クラスに
一瞬の返し技でフォール負けしたシリーズね。ドス・カラスとのコンビで来たIWGPタッグリーグではちょっと盛り返
したけれど、もうカネックの神通力って言うのは完全に消えていたように思う。その時のカネックには大垣で場外
の藤波に飛び掛かっていったインディオの気性の激しさをむき出しにしたファイトがなかった。カネックほど時の流
れを感じさせてくれたレスラーはいないだろう。
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