来日全外国人レスラー名鑑 カ
カーチス・イヤウケア
CURTIS
IAUKEA ●ハワイの巨象 ●193センチ、160キロ ●1936年米・ハワイ州ホノルル出身 ●フライングソーセージ ●WWWF世界タッグ、ハワイ・ヘビー、USヘビー(ハワイ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版) |
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47 1(国) 新春パイオニア・S | |
キング・イヤウケアが国際プロレス登場の際につかったリングネーム。当時はWWWFエリアで活躍していた。 詳細はキング・イヤウケアの項参照。 |
カート・ヘニング
CURT HENNING
4回 ●ミスター・パーフェクト ●185センチ、105キロ ●1953年3月28日 米・ミネソタ州エルクリバー出身 2003年2月10日没 ●フィッシャーマンズ・スープレックス ●AWA世界ヘビー、AWA世界タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー、パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ |
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58 11(新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦、60 11(全) 85世界最強タッグ決定リーグ戦、62 1(全) 87新春ジャイアント・S、63 1(全) 【特】88新春ジャイアント・S | ||
AWAの名レスラーだったラリー・ヘニングの息子で、1980年にバーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。デビュー3年目に新日本プロレスの「第4回MSGタッグリーグ戦」にボビー・ダンカンとのコンビで参加しているが、キャリア不足とパートナーの不調もあり、好成績を残すには至らなかった。帰国後オレゴン、AWA、WWF各地区を転戦し力を付け、AWA世界タッグ王者(パートナーはスコット・ホール)を獲得。さらに空位になっていたAWA世界王者に認定された。全日本プロレスにAWA王者として来日して三沢のタイガーマスクの挑戦を受けるが、リングアウト負けを喫す。AWA崩壊後はWWFでミスター・パーフェクトを名乗り人気を博した。2003年心不全で逝去。 |
カール・カールソン KARL KARLSON 2回
●人間重戦車 ●193センチ、120キロ ●1944年 米・ミシガン州 ●タックル ●スカンジナビア・ヘビー、スウェーデン・ヘビー、USタッグ(トライステート版) |
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40 9(日) ハリケーン・S、43 9(日) ダイヤモンド・S | |
大学教授の父を持ち、自らも大学で動物分類学を専攻していたというインテリ。大学時代に自然調査中にグリズリーに襲われて左目はほぼ失明している。テキサスではレスラーよりも動物学者としての方が有名だという。しかしリングに上がると皮製のヘルメットを付けて殴る蹴るの暴走ファイトを得意とし、昭和43年の来日時はキラー・カール・コックスとのコンビでインター・タッグにも挑戦している実力者だった。昭和40年の来日時にはシリーズ後に大木金太郎と共に韓国に遠征している。 |
カール・クライザー KARL CRAUSER ●神様 ●188センチ、110キロ ●1924年8月3日 ベルギー出身 2007年7月18日没 ●原爆固め ●AWA世界ヘビー(オハイオ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、WWWF世界タッグ |
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36 4(日) 第3回ワールドリーグ戦 | |
カール・ゴッチ初来日時のリング・ネーム。現在ではクラウザーと表記されているが当時はクライザーと表記されていた。一説にはテキサスで活躍していたカロル・クライザーと間違えて読んだとも言われている。滞在中にビル・ミラーとともにグレート・アントニオを控え室でリンチするというシュート振りをみせつけている。 詳細はカール・ゴッチの項参照。 |
カール・ゴッチ
KARL GOTCH
11回 ●神様 ●188センチ、110キロ ●1924年8月3日 ベルギー出身 2007年7月18日没 ●原爆固め ●AWA世界ヘビー(オハイオ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、WWWF世界タッグ |
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36 4(日) 第3回ワールドリーグ戦、36 6 (日) プロレス夏の選抜戦(残留)、41 7(日) 第一次サマー・S、43 1(日) 新春チャンピオン・S、46 3(国) 第3回IWAワールド・S、47 3(新) 【特】旗揚げオープニング・S、47 10(新)【特】ニュー・ゴールデン・S、48 7(新) 【特】サマー・ファイト・S、48 9(新)【特】闘魂・S、49 7(新)【特】サマー・ファイト・S、50 12(新) 闘魂シリーズ第2弾、57 1(新) 1・1三大スペシャルマッチ、 57 1(新) 【特】新春黄金・S(残留) | |||
本名はカール・イスタス。16歳の時にドイツに移住したといわれている。1948年のロンドン・オリンピック出場に関しては、疑問の声が出たこともあるが、ベルギー選手団の名簿に「Karel Istaz」の名前が確認されている。「神様」と呼ばれ、特に日本では神格化されている名レスラー。初来日は力道山時代のワールドリーグ戦。その後馬場のインターを狙って来日するが、膝にバイ菌が入りシリーズ途中欠場した為、インター挑戦は実現しなかった。昭和42年から日本プロの要請で「ゴッチ教室」を開校し、猪木はもちろん馬場にも指導を与えた。一時現役を退き、ハワイで清掃員の仕事に従事したが、ビル・ロビンソンの誘いで国際プロレスで現役復帰。新日本プロレスの旗揚げにも参加し、外人不足の新日本プロレスを盛り上げた。格闘家としての評価は高いが、プロレスラーとしての評価は賛否両論アリ。2007年7月28日に動脈瘤破裂で急死。 |
カール・スタイナー KARL STEINER ●禿鷹怪人 ●180センチ、110キロ ●1951年3月1日 カナダ・ケベック州モントリオール ●パシフィックノースウエスト・タッグ、北米タッグ(プエルトリコ版)、グローバル・タッグ |
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60 10(新) バーニングスピリット・イン・オータム | |
1984年の秋にオレゴンに出現したハゲ頭に口髭というアイアン・シーク張りの風貌をしたナチ・ギミックのレスラーで、マイク・ミラーとのコンビでPNW地区タッグを獲得した。正体はザ・UFOで有名なボブ・ダラセーラ。 詳細はボブ・ダラセーラの項参照。 |
カール・ハイジンガー KARL HEIGINGAR
1回 ●殺人ロボット ●190センチ、120キロ ●1939年10月22日 カナダ・アルバータ州カルガリー出身(米・イリノイ州説もあり) 1973年9月29日没 ●カリフォルニアTV |
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45 8(日) サマー・S | |
本名はドン・ハイゼンガ。ロサンゼルスの王者として期待され、日本プロレスの「サマー・シリーズ」にエースとして来日するも、完全な期待はずれでエースの座をアブドラ・ザ・ブッチャーに奪われた。来日前の昭和45年6月27日にロサンゼルスで大木のアジアヘビーに挑戦し完敗し味噌を付けていた。ダメ外人の代表選手ながらフロリダではカール・クラウザーを名乗ったこともある。来日した翌年の1973年に死亡している。ボブ・スタンレーの変身説もあったが、全くの別人のようである。 |
カール・ファジー
CARL FERGIE 2回
●ニュー・ブロンド・ボンバー ●188センチ、115キロ ●1953年4月25日 米・オクラホマ州出身(ノースカロライナ州出身説もあり) ●南部タッグ(テネシー)、ミッドアトランティック・タッグ |
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55 3(全) 第8回チャンピオン・カー二バル、56 6(国) ダイナマイト・S | |
ノースカロライナ出身説もあり。初来日の「チャンピオン・カーニバル」では全敗を喫し立派に白星配給係を勤めたが、帰国後テネシー地区に転戦し、ラリー・レイザムとのコンビでニュー・ブロンド・ボンバーズを結成してAWA認定の南部地区タッグ王者となる。その余勢を駆ってレイザムと共に国際プロレスへの来日が決定していたが、直前にレイザムが負傷し、単身の来日となった。このシリーズではジプシー・ジョーとのコンビでそれなりの活躍。サイン |
カール・フォン・ショッツ
KARL VON SCHOTZ 1回
●ナチスの戦犯 ●190センチ、118キロ ●1949年4月7日 カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー ●スープレックス、クロスライン ●NWA北米タッグ、NWF世界タッグ、北米ヘビー(カルガリー版)、ハワイ・ヘビー |
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49 5(新) ゴールデン・ファイト・S | ||
NWF認定世界タッグ王座として新日本プロレスが招聘したが来てみたら北米タッグ王者だったというハプニング。しかしクルト・フォン・ヘスとのタッグチームは強力で、この時の防衛戦では黄金コンビの挑戦を振り切りチャンピオンのまま帰国した。ヘスとのコンビは絶妙だったが私生活では犬猿の仲だったと言う。王座転落後にあっさりチームを解消し、カナダでシングル・プレーヤーとして活躍、髪の毛を伸ばしイメージチェンジをはかり、本名のジョン・アンソンでベビーフェイスとしてカルガリー地区の北米選手権を獲得している。もっと来日してほしかった選手。 |
カール・フォン・スタイガー KARL VON STEIGER
12回 ●ナチの禿げ鷹 ●178センチ、109キロ ●1924年 ドイツ・ハンブルグ ●サイドスープレックス ●パシフィックノースウエスト・タッグ、北米タッグ(カルガリー版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、ハワイ・ヘビー |
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44 5(日) ゴールデン・S、47 12(全) ジャイアント・S第2弾、 49 1(全)【特】新春NWA・S、50 2(全) エキサイト・S、51 8(新) 闘魂S、 54 1(全)【特】新春ジャイアント・S、55 5(全) スーパー・パワーS、55 8(全) 第2次サマー・アクション・S、56 4(全)【特】インター・チャンピオンS、 56 5(全) スーパー・パワー・S(残留)、59 7(全) グランド・チャンピオン・カーニバルV、 61 10(全) 86ジャイアント・S、62 5(全) 87スーパー・パワー・S | |
本名はローン・コーレット。「兄」のクルトとのスタイガー兄弟として全米各地でタイトルを取った強豪だが、このコンビでは2回しか来日していないため印象が薄い。クルトとは血のつながりはなかった。レスリングの基礎はしっかりしており、シングル・プレーヤーとしても小うるさい所を見せ、馬場に気に入られたのか全日本プロレスには9回に渡り来日している。タイガー・ジェット・シンが全日本プロレスに移籍した後は、パートナーをつとめる事が多かった。サイン |
カール・フォン・ストロハイム
KARL VON STROHEIM
2回 ●ドイツの吸血鬼 ●191センチ、120キロ ●1928年10月15日 カナダ出身 2006年8月13日没 ●トーキック ●ウエスタンステート・ヘビー(アリゾナ版)、WWA世界タッグ(ロス版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版) |
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39 10(日)【特】プロレス秋の陣、39 12(日)WWA世界選手権S(残留)、47 11(新) ニュー・ダイヤモンド・S | |
本名はウォルター・レオ・ナンバーグ。ドイツ出身といわれていたが実際はカナダ出身のようだ。学生時代にアマレスに熱中。卒業後にカナダに渡りプロレスラーとしてデビュー。実兄のクルトとのストロハイム兄弟として一世を風靡したが、兄とのタッグは解消し、デトロイト、ジョージアなどをサーキットして廻っていた。新日本プロレスに来日した際は単なるロートル・レスラーになってしまっていた。 |
カール・フォン・ヘス KARL VON HESS 1回 ●ヒットラーの亡霊 ●178センチ、100キロ ●1922年ドイツ・コネニグスベルグ出身(米・ニューヨーク州説もあり) ●凶器攻撃 ●インターナショナル・タッグ(ワシントンDC版) |
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39 9 (日) プロレス秋の陣 | |
本名はフランク・ファケッティだが、カール・フォン・ヘスに改名している。ヒットラーの亡霊というギミックで憎悪を買ったドイツ人レスラー。スカル・マーフィーとのコンビで売りだす。腕に彫られた刺青が不気味な怪奇派で、ヒットラーの亡霊というだけあって残虐なファイトに終始し、日本へ来た時も試合内容は反則一辺倒だったらしい。特に針金を使った凶器攻撃がうまかったという。体格的にはジュニアヘビー級クラスだったようだ。2009年8月12日永眠。 |
ガイ・ミッチェル
GUY MICHELLE
(ザ・ストンパー*、 レッド・デビル*、
ミスター・X
*、ラリー・バリアント**)
5回 ●金髪の爆弾 ●197センチ、125キロ ●1942年 カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身 ●パイルドライバー ●南部ヘビー(ジョージア版)、セントラルステーツ・ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナ版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版) |
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47 1 (日) 新春チャンピオン・S *、48 1 (日) 新春チャンピオン・S *、50 10 (新) 闘魂S第2弾*、55 2 (全) エキサイト・S**、56 1(全) 新春ジャイアントS | |
本名はジョン・スティール・ヒル。これほど来日するたびにリングネームを変えたレスラーも珍しい。アメリカではシカゴのWWAや五大湖地区、カナダではバンクーバーで活躍した。気分によってマスクを被ったり、素顔でファイトしたりしていたようだ。実力もなかなかのもので、ミスター・Xとして来日した時は、猪木、坂口といったエース級を苦しめたが、脚をいためて途中帰国してしまった。1983年頃にニューヨークに転戦し、ルー・アルバーノをマネージャーにつけラリー・バリアントに変身しバリアント兄弟の一員となる。ジェリー・ヒーナンの名前で、ボビー・ヒーナンの弟として活躍したことがあり、日本ではボビー・ヒーナンとは実際の兄弟と字の情報が流れたこともあった。引退後は造園会社を経営。2010年3月11日永眠。 |
カウボーイ・キャシディ → ミスター・シビリアンを見よ。
カウボーイ・ジャック・ランザ COWBOY JACK LANZA ●正義のカウボーイ ●190センチ115キロ ●1942年米・ニューメキシコ州アルバカーキ ●WWA世界ヘビー(シカゴ版)、AWA世界タッグ、WWWF世界タッグ |
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41 7(日)【特】 ゴールデン・S、41 7(日) 第一次サマー・S(残留) | |
ブラック・ジャック・ランザの前身。ボブ・エリス張りの正統派ファイトを身上としたが伸び悩みAWA地区でボビー・ヒーナンをマネージャーに付け悪党のブラックジャック・スタイルに変身しトップレスラーとなった。 詳細はブラック・ジャック・ランザの項参照。 |
カウボーイ・ボブ・エリス
COWBOY BOB ELLIS (マスクド・グラップラー
*) 3回 ●テキサスの伊達男 ●190センチ、110キロ ●1932年3月15日 米・テキサス州オースチン出身(テキサス州サンアンジェロ説もあり) ●ブルドッキング・ヘッドロック ●WWA世界ヘビー(ロス&デトロイト版)、セントラルステーツ・ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、北米ヘビー(プエルトリコ版) |
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38 4(日) 【特】第5回ワールドリーグ戦、46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦、52 9 (国) スーパー・ファイト・S* | ||
カウボーイ・レスラーの代表選手で、アメリカではディック・ザ・ブルーザーのライバルとして絶大な人気を誇った超売れっ子ベビーフェイス。しかし日本プロレスに登場した2回とも完全な評判倒れに終わりファンをがっくりさせた。晩年はプエルトリコを主戦場とし、この頃国際プロレスにマスクマンとして来日。自ら覆面を取ると坊主頭のエリスが正体とあってファンを驚かせた。アメリカの一流レスラーが日本では受け入れられなかった典型的な例だ。最後の来日ではトランクスの尻の部分に大きくカタカナで「エリス」の文字を縫いこむという趣味の悪さも露呈した。 |
カウボーイ・ボブ・オートン COEBOY BOB ORTON (ボブ・オートン・ジュニア*、ビリー・ガスパー*) 9回
●アーバン・カウボーイ ●195センチ、117キロ ●1950年11月30日 米・カンサス州カンサスシティ出身 ●バックドロップ・ホールド ●フロリダ・ヘビー、サウスウェスト・ヘビー、ICWTVヘビー、南部ヘビー(UWF版) |
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50 4 (全) 第3回チャンピオン・カーニバル*、57 10(新) 闘魂S、58 3(新) 【特】ビッグ・ファイト・S第1弾、59 10(新) 闘魂S、63 1(新)【特】88新春黄金・S、 63 2 (新) 【特】88ビッグ・ファイト・S*、 63 5 (新) 88 lWGPチャンピオン・S*、63 8 (新) 88 戦国S*、63 11(新) 88 ジャパンカップ・S | |
ビッグ・オーことボブ・オートンの息子。1971年に南部地区でデビュー。4年後にチャンピオン・カーニバルに参加し次期世界王者候補との評価を受け、テリー・ファンクを破り幻の王者になるなどの活躍を見せるが、ボブ・ループらとICWなるインディー団体を結成し、長くメイン・ストリートから外れたためレスラーとしての全盛期を不遇の時代に充ててしまった。ICW解散後はWWFに転出。日本へはアドリアン・アドニスとのコンビで人気を獲得。ヘビー級に転向した藤波のライバルとなるが酒癖が悪く、プライベートでトラブルを起こし、正体を隠すために海賊男ビリー・ガスパーに変身した。(情報提供:プロレスアワー氏:J HOOKER SR 氏) |
ザ・カサブブ THE KASAVUBU 2回
●黒い起重機 ●190センチ、150キロ ●1956年 ウガンダ出身 ●フライング・ボディプレス ●カナダ・ヘビー(バンクーバー版) |
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53 2(国) ビッグ・チャレンジ・S、53 6(国) ビッグ・サマー・S | |
カナダでジン・キニスキーを破ったという触れ込みで国際プロレスに初来日、キラー・ブルックスとのコンビで活躍。2度目の来日ではIWA世界選手権にも挑戦した。後にジョ・ジョ・アンドリュースに改名しニューヨーク地区に転戦、MSGではバッドニュース・アレンとのコンビで坂口、長州の北米タッグに挑戦するも狙い撃ちにされて惨敗した。これが原因か新日本プロレスから来日の声はかからず。プロレスラーになる前は歯科医だったと言うインテリ・レスラー。 |
カシモド
QUASIMODO 1回
●ノートルダムのセムシ男 ●160センチ、100キロ ●生年月日不明 スペイン・マドリッド出身 2003年没 ●ショルダークロー |
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45 1(国) 新春チャレンジ・S | |
本名ビンセント・カスティラ。昭和を代表する怪奇派レスラーのひとりで、「ノートルダムのせむし男」をモチーフにしたギミックでヨーロッパ、テキサスあたりで悪名を馳せた。ファンが投げつけたビンが後頭部を直撃し脊髄をいためて、この様な体になってしまったのだという。日本では50センチ以上の身長差のあるモンスター・ロシモフとのコンビでの試合が多く、ファンの人気を呼んだ。ミスターQとも名乗ることもあった。 |
ガジョ・タパド
GALLO TAPADO
1回 ●闘鶏仮面 ●166センチ、80キロ ●1942年3月24日 メキシコ・イダルゴ州パチューカ出身 ●メキシコ連邦区ウェルター |
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59 7(旧U)UWF無限大記念日 | |
本名はロサリオ・エルナンデス。1980年代半ば、メキシコの「第3団体」として注目された「スペル・リブレス」の所属で、マッハ隼人(初代)のブッキングで旧UWFの「無限大記念日」2連戦に来日した。初日の第1試合で、プロレス復帰第1戦となった山崎(当時・タイガージム所属)と対戦。ルチャをさせてもらえず蹴りまくられ、サンザンな目に遭った「シューティング被害者第1号」である。リングネームは「醜い鳥」を意味するといい、ニワトリをあしらったマスクを着けていた。(解説:黒い一羽鷹氏) |
カズエル・マーチン CASWELL MARTIN 2回
●黒い閃光 ●183センチ、105キロ ●1932年 西インド諸島バハマ出身 |
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58 4(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、60 4(旧U)フロンティア・ロード | |
同じ黒人のボビー・ガエタノと組み、ドイツ、オーストリア・マットを主戦場としていた。各地のトーナメントでも上位に名を連ねている。新日本プロレスではジュニア戦線で好ファイトを見せた。旧UWFへの来日ではダルバー・シンと組みマッハ隼人(初代)引退試合の相手も務めた。(情報提供:黒い一羽鷹氏) |
カストロ兄弟 → フィデル・カストロ、ラウル・カストロを見よ。
カテリーナ・ドレーク CATHERENA DORAKE
1回 ●カテリナの麒麟児 ●178センチ、100キロ ●1929年 米・カリフォルニア州カタリナ島出身 1967年12月29日没 ●エビ固め ●テキサス・ヘビー、太平洋岸ヘビー |
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42 7(日) 第一次サマー・S | |
本名はローランド・ホッグ。ジョージ・ドレイクのリングネームでも知られる。レスラーらしからぬハンサムな風貌で、日本映画(なんと森繁の「駅前シリーズ」!)にエキストラとして出演した経験もあると言う。ロスの沖合いに浮かぶサンタ・カタリナ島出身で、正確なリングネームの発音はカタリナ・ドレークである。レスリングテクニックは抜群だったが小柄だったため体力負けする場面がみられた。アメリカではルター・レンジとのタッグでテキサス、オレゴン、ワシントンなどでステート・タッグ選手権を獲得している。来日した年の暮れに遠征先のホテルで心臓麻痺で死亡(自殺説もあり)。 |
ザ・カナディアン
THE
CANADIAN ●187センチ、125キロ ●1946年 カナダ・ケベック州ジョンケベール |
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48 4(国) ダイナマイト・S | |
フランス系のギレス・ポアゾンの変身。昭和46年にも国際プロレスにバスター・マシューズとして覆面を被って来日した事があった。このカナディアンとしてはカナダのGWA地区で暴れていたようだ。ロスで活躍したこともある。 ギレス・ポアゾンの項も見よ。 |
カナディアン・ランバージャック CANADAIAN RUMBERJACK
●カナダの荒熊 ●188センチ、120キロ ●1945年 カナダ・ケベック州ラツーク(カルガリー説もあり) ●インターナショナル・タッグ(モントリオール版)、サザン・ヘビー(テキサス)、フロリダ・ヘビー |
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47 3(日) 第14回ワールドリーグ戦 | |
前年の「第13回ワールドリーグ戦」に参加して負傷により途中帰国したジョー・ルダックが、起死回生のために改名して来日したときのリングネーム。日本限定のリングネームと思われる。 詳しくはジョー・ルダックの項参照。 |
カナディアン・ルイス
CANADIAN LEWIS 1回 ●原爆小僧 ●178センチ、103キロ ●1960年3月3日カナダ・アルバータ州カルガリー出身 ●インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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60 5(ジ) ビッグラリアート・フェスティバル、60 5(全) 93激震!サンダー・ウォーズ(残留 ) | |
カナダ・カルガリー地区ではベン・バサラブの名で活躍。1980年代半ばにはトップクラスとなり、クリス・ベノイやオーエン・ハートと組んで同地区認定のインターナショナル・タッグ王座にも就いた。ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスの弟分として来日を果たしたが振るわなかったのが残念。その後、トラブルを起こし、マット界を離れたと聞く。(解説:黒い一羽鷹氏) |
カナディアン・ワイルドマン
CANADAIAN WILDMAN
1回 ●カナダの野獣男 ●181センチ、104キロ ●1932年カナダ・オンタリオ州トロント 1988年7月5日没 ●ベアハッグ |
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50 1(新) 新春黄金S | |
本名はジーン・デュボア。チェーンを体に巻きつけて入場する野獣スタイルのレスラーで、来日直前で負傷したエドワード・カーペンティアの代打として来日。連日ブルート・バーナードとのコンビで、狂乱ファイトを展開した。一説には初代ザ・ビーストの変身ではないかともいわれていたが、これは間違いで、ザ・ウルフマンとのコンビで活躍したこともあるザ・ワイルドマン・デーヴ・マッキンレーが正体。怪奇派の定番だが普段は生肉を食していたという。晩年はオンタリオでプロモーターも勤めたが、1988年アドリアン・アドニスらと巡業中に自動車事故で死亡している。(写真撮影:HARU一番様) |
カネック → エル・カネックを見よ
ガブリエル・カルデロン
GABRIEL CALDERON 1回
●176センチ、102キロ ●生年月日不明 フランス・リベコート出身 |
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49 5(新) ゴールデン・ファイト・S | |
フランク・バロワの推薦で来日。フランスの国内ランキングでは常に上位にランクされていたと言う強豪。ヨーロッパ系のレスラーにしては珍しくレスリング・テクニックよりの喧嘩ファイトで勝負したラフ・ファイターであった。キャリアも長くなんとホースト・ホフマンのデビュー戦の相手も務めている。宣伝用のポーズ写真でわざわざサングラスをかけたというキザぶりが、いかにもフランス人らしい。 |
ガマ・シン
GAMA SINGH
3回 ●インドの若虎 ●183センチ、110キロ ●1954年12月8日 インド・パンジャブ出身 ●北米ヘビー(カルガリー版) |
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51 7(新) アジア・リーグ戦、52 6(新) アジア・チャンピオン・S、54 8(新) ブラディ・ファイト・S | ||
本名はガドワー・シン。タイガー・ジェット・シンの子分格で新日本プロレスには何度も来日しているが、このふたりは私生活では犬猿の仲だったという。インドの出身だがバハマで育った。バハマでデビューしカルガリーに転戦。ここでミスター・ヒトのコーチを受ける。インド系の多いカナダ、南アフリカでは絶大なる人気を誇り、日本では親分だったタイガー・ジェット・シンよりも名が売れていたようだ。イギリスから遠征したばかりのダイナマイト・キッドにアメリカン・スタイルのプロレスをコーチしたとも言われている。しかし日本では真価を発揮できず、タイガー・ジェット・シンの足を引っ張った。サイン |
ガリー・ガスバー
GULLY
GASPER 1回 ●海賊仮面2号 ●210センチ、130キロ ●1964年カナダ・オンタリオ州トロント出身(米・オレゴン州ポートランド出身説もあり) |
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63 2(新)【特】88ビッグ・ファイト・S | |
本名はダリル・カロア。新日本プロレス・ファン、特に猪木ファンとしてはあまり思い出したくない海賊男第2号。このガリーは1度しか来日しておらず、以降はバリーに交代している。カナダか米国のオレゴンでスカイ・ハイ・リーとしてデビューした後、ガリー・ガスパーとして来日。平成時代に全日本プロレスに「ザ・ランド・オブ・ジャイアンツ」という名のタッグで、スカイウォーカー・ナイトロンとして来日した後、主戦場をメキシコに移して、ニトロンという名でルードとして活躍した。とにかく背は高く、公称213センチの巨人だったが、いかんせん木偶の坊であった。(解説補足:ストンピング、TMKID、黒い一羽鷹の各氏) |
カリプス・ハリケーン CARIBS HURRICANE (サイクロン・ニグロ*)
11回 ●暴風仮面 ●188センチ、116キロ ●1932年4月7日 ベネズエラ・カラカス ●ブレンバスター ●テキサス・タッグ、インターナショナル・ヘビー(アマリロ版)、アジア・タッグ、ラテンアメリカ・ヘビー、アメリカス・ヘビー |
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39 4(日) 第6回ワールドリーグ戦、39 5(日) ワールド選抜S(残留)、43 5(日) ゴールデン・S、47 3(日) 第14回ワールドリーグ戦、47 12 (全) ジャイアント・S第2弾*、48 3(全) 第1回チャンピオン・カーニバル、48 11(全) ジャイアント・S第2弾、50 1(全) 新春ジャイアント・S、52 1(全) 新春ジャイアント・S、55 2(全) エキサイト・S、58 2 (全)ジャイアント・S*、59 11(旧U)イヤーエンド・スペシャル | ||||||
本名はロモン・エドワルド・ロドリゲス。昭和40年代当時日本を襲った3大マスクマンといえば、デストロイヤー、マスカラス、そしてこのハリケーンだろう。アメリカでは素顔として活躍する事が多かったが、日本ではハリケーンで通した。体は小さいがラフ良し、テクニック良しの一流レスラーだった。しかし、馬場の回想録(「16文が行く」)では「給料以上に働こうとしないレスラーだった。」と評価されている。実力がありながら、エースとして活躍できなかったのは、この辺が原因なのであろう。ブレンバスターの元祖としてもプロレス史に名を残す。 |
カルロス・コロセッティ
CARLOS COLOSSETTI ●パンパの殺人者 ●186センチ、110キロ ●1946年 アルゼンチン・サンチャゴ出身 ●変形ゆりイス固め ●NWA世界ライトヘビー、アメリカス・タッグ |
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53 4(新) 第1回MSGシリーズ | |
アルゼンチン出身のコロソ・コロセッティのアメリカでのリングネーム。変形ゆりイス固めを披露し話題となった。藤波のWWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦しているが完敗を喫している。 詳細はコロソ・コロセッティの項を参照のこと。 |
カルロス・コロン
CARLOS COLON (チーフ・ブラック・イーグル*、カルロス・コーラン**)
4回 ●プエルトリコの帝王 ●180センチ、105キロ ●1948年7月18日 プエルトリコ・サンファン出身 ●バックドロップ ●WWC世界ヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、WWC北米ヘビー、カリビアン・ヘビー |
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46 7 (国) ビッグ・サマー・S*、 51 2(国) スーパー・ファイト・S**、54 8(全) ブラック・パワー・S、62 3(全) 87チャンピオン・カーニバル | |
本名はカーリトス・コロン。プエルトリコの帝王として有名な男だが、初来日はインディアンのギミックで来日していたのだから驚く。帰国後はニューヨークでカルロス・コロン(当時はコーランと表記されていた。)で活躍、モラレス、リベラにつぐプエルトリコの強豪との評価を受け、プエルトリコに帰りプロモーター兼業となる。NWAの認可を得てWWCを設立し世界王者を名乗ったあたりは、プロモーターとしてもやり手だった様だ。昭和54年の「ブラック・パワー・シリーズ」ではブッチャーとのコンビでマスカラスを苦しめた。カルガリーではカルロス・ベラフォンテとも名乗った。 サイン |
カルロス・コーラン
CARLOS COLON ●プエルトリコの帝王 ●180センチ、105キロ ●1948年7月18日 プエルトリコ・サンファン出身 ●バックドロップ ●WWC世界ヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、WWC北米ヘビー、カリビアン・ヘビー |
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51 2(国) スーパー・ファイト・S | |
カルロス・コロンが国際プロレスに登場した際のリングネーム。英語表記は同じなので、単に読み間違えなのか、こちらが正式な発音なのかは不明。このシリーズではキラー・トーア・カマタとのコンビでIWA世界タッグに挑戦している。 |
カルロス・コーラン → カルロス・コロンを見よ
カルロス・プラタ
CARLOS PLATA 2回
●スペインの銀狐 ●176センチ、98キロ ●1944年3月11日 スペイン・マドリッド出身 ●ゴリースペシャル ●NWA世界ライトヘビー |
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55 11(国) デビリッシュ・ファイト・S、 56 4(国) ビッグ・チャレンジ・S | |
本名はホセ・カルロス・ヒメネス・バルデス。元々はスペインで活躍していた選手で、1976年の二度目のメキシコ遠征でアブラドレ・ルビのもつNWA世界ライト・ヘビー級王座を奪取する。アルフォンソ・ダンテスに王座を奪われるがそのままメキシコに定着しメキシコに帰化している。日本ではマイティ井上、アニマル浜口といったあたりのレスラーと好勝負を展開し、キャプテンフォール・マッチを日本で初公開している。国際プロレスのメキシコ地区ブッカーも勤めた。 サイン |
カルロス・ホセ・エストラーダ
CARLOS JOSE ESTRADA (
スーパー・メディコ*)4回 ●プエルトリコの鮫 ●188センチ、98キロ ●1946年 プエルトリコ・ポンス出身 ●WWWFジュニアヘビー、プエルトリカン・ヘビー、WWC世界タッグ |
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54 1 (新)新春黄金・S、57 4(新) ビッグ・ファイト・S、58 1(新) 新春黄金・S、61 8(全)サマーアクションSU* | ||
プエルトリコの鮫といわれた選手で、1975年に実兄のジョニー・ロッズの後を追って、28歳でレスラーとなる。1977年ロングアイランドで行われた王座決定戦でトニー・ガレアをやぶり、キャリアわずか2年で2代目WWWFジュニア王者となるが、翌年MSGで藤波の飛竜固めに破れ王座転落。1982年にはMSGでタイガーマスクにも挑戦しているが王座奪回はならず。インサイドワークの巧みな小悪党タイプのレスラーだった。後にスーパー・メディコとして全日本プロレスにも参加している。(左写真撮影:HARU一番様) |
カンガルー・ケネディ
KANGALOO KENEDY
1回 ●186センチ、110キロ ●1932年オーストラリア出身 2002年11月19日没 ●オーストラリア・ヘビー、インターナショナル・タッグ |
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41 3(日) 第8回ワールドリーグ戦 | |
本名はクワイド・フアール(HURLE)。名前から想像できるようにオーストラリアで活躍した選手で、日本プロレスの看板タイトルであったインターナショナル・タッグ選手権をジョニー・コスタスとのコンビで保持していたが、マイク・パドーシス、フリッツ・フォン・ゲーリング組に王座を奪われた。インタータッグが日本に輸入される8ヵ月前に来日。リーグ戦の成績はさっぱりだったが、試合前にブーメランをなげてキャッチするパフォーマンスで観客の拍手を浴びた。(資料提供:J HOOKER SR 氏) |