来日全外国人レスラー名鑑 ア(1)
ア・シーク A SHEIK ●シンの影武者 ●186センチ、112キロ ●1952年米・ジョージア州アトランタ出身 |
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62 1 (全)87 新春ジャイアント・S | |
タイガー・ジェット・シンが連れてきた謎のアラビア人・・・ということになっていたが、正体はミスター・オリンピアとしても来日経験のあるジェリー・スタッブスという紛れもないアメリカ人。このシーク・スタイルは日本のみの限定ギミックだった様だ。
ミスター・オリンピアの項も見よ。 |
アート・クルーズ ART
CREWS 2回 ●中西部の隼 ●183センチ、113キロ ●1961年米・ミズーリ州カンサス出身(ミズーリ州セントジョセフ説、ポートランド州オレゴン説もあり ●ネックブリーカー・ドロップ ●セントラルステーツ地区TV |
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60 10 (全)ワールド・チャンピオン・カーニバル、62 2 (全)87エキサイト・S | ||
本名も同じ。ハーリー・レイスがスカウトした秘蔵っ子で、当時落ち目だったセントラル・ステーツ地区のエースにすべく期待をかけたが、結局大成しないままに終わっり、セントラル・ステーツ地区も活動停止を余儀なくされた。全日本プロレスへはそのレイスの売り込みでの来日と思われる。初来日時はどことなく野暮ったい感じだったが、再来日当時は髪を染めイメージチェンジを計った。南アフリカに遠征した際には人気を博したそうだ。 |
アート・トーマス → セーラー・アート・トーマスを見よ
アート・ドミンゴ ART DOMINGUES 1回 ●ベネズエラの虎 ●182センチ 108キロ ●1936年ベネズエラ(メキシコ出身説もあり)出身 2008年7月24日没 ●回転エビ固め |
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48 1 (新)新春バッファロー・S | |
南米のベネズエラ出身。学生時代からアマレスと重量挙げで体を鍛え、卒業と同時にメキシコでプロレスデビュー。以前はブラック・エスコルピオンと名乗って覆面レスラーとして活躍していたこともあったが"オレのような美しい顔を覆面で隠すのは無意味だ”とばかりに以後は素顔で活躍。ロスではアート・ドミニカスとして試合に出場していた。日本での成績は木戸や魁と互角といったところ。得意技は回転エビ固め。( 資料提供:佐々木英俊氏) |
アート・ネルソン ART
NELSON 1回 ●無法野郎 ●182センチ、115キロ ●1930年米・ミシガン州デトロイト出身 1980年10月20日没 ●ニードロップ ●NWA世界ジュニアヘビー(テネシー版)、南部ヘビー(ジョージア版)、南部タッグ(ジョージア版)、NWA世界タッグ(シカゴ版、ジョージア版、サンフランシスコ版)、インターナショナル・タッグ(モントリオール版、ウィニペッグ版)、サウスウエスト・タッグ、ロッキーマウンテン・タッグ、AWA世界タッグ(ミネアポリス版、インディアナ版)、WWAインターナショナルTVタッグ、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、南部ヘビー(ジョージア版) |
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42 9 (日)ダイヤモンド・S | |
本名はアーサー・ニールセン。1950年代末から1960年代初めにかけてスタン・ネルソン(=スタン・リソワスキー)と共に「ブロンド・ボンバーズ」として全米のタッグ・レーティングスのトップにランクされていたタッグの名手。日本へ来日した事には全盛を過ぎていたが、カール・ゴッチの推薦でインターナショナル選手権に挑戦する大抜擢を受けた。しかし完敗を喫し馬場のインター史上最弱の挑戦者の汚名をつけられた。同時に来日していたビル・ワットが日本人を馬鹿にしたような態度を取ったのは、この男がワットをたきつけたのが原因といわれる。1970年代後半まで活躍し、晩年は南部で覆面をかぶりスーパー・デストロイヤーを名乗った。 |
アート・マハリック ART MICHALIK 4回 ●閃光男 ●182センチ 125キロ ●1929年 米・アイオワ州(オハイオ州説もあり)出身 ●タックル攻撃 |
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37 9 (日)秋のプロレス国際試合、37 11 (日)冬のプロレス国際試合(残留)、42 7 (日)第一次サマー・S、44 7 (日)第一次サマー・S、46 8 (日)サマー・ビッグ・S | |
馬場のアメリカ・デビュー戦の相手を勤めたほどのベテラン。(結果はマハリックのリングアウト勝ち)「ボンボン」なるニックネームを持ち、強烈なタックルを得意とした。実力も一級品のものを持っていたが、本職が高校教師でレスラーはあくまでもアルバイトだった為、たいしたタイトルを獲得できないままに終わった。プロレスラーになる前はプロフットボーラーとして活躍した。1970年代に入ってもマスクを被って正体を隠してミスターXをなのりリングに上がった。その頃には校長先生になっていたのかも?
未来日外国人レスラー名鑑のミスター・Xの項も見よ。 |
アーニー・ラッド ERNIE
LADD 3回 ●毒グモ ●204センチ、148キロ ●1938年11月29日米・テキサス州ヒューストン出身 2007年3月10日没 ●スパイダーキック、ネックハンギング・ツリー ●NWF世界ヘビー、アメリカス・ヘビー、USヘビー(デロトイト版)、WWA世界ヘビー、WWA世界タッグ(インディアナポリス版) ほか |
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45 9 (日)第1回NWAタッグリーグ戦、49 10 (新)【特】闘魂S第2弾、55 7 (全)サマー・アクション・S | |
フット・ボールから転身した選手で、当初は正統派レスラーとして鳴らし、テーズの世界タイトルにも挑戦して脚光を浴びたが、1960年代の末からヒールに転向。「毒グモ」のニック・ネームで全米でもトップクラスの悪役となった。初来日のNWAタッグリーグでは、馬場との巨人対決が期待されたが、膝を故障しており実力の半分もだせぬまま帰国。日本のファンにその実力を知らしめたのは、クリーブランドでの猪木とのNWF世界戦。地方ルールの為、地元のレスラーが割を食った珍しいケースとなった。しかし日本のマットはよほど肌に合わなかったようで新日本プロレスに来日し札幌で猪木に挑戦した際も精彩がなかったが、これは札幌の寒さのせいだといわれている。全日本プロレス登場時は完全に全盛期を過ぎていた。結局、日本では本領を発揮できずに終わった。サイン |
アーノルド・スコーラン ARNOLD
SKAALAND 1回
●ゴールデンボーイ ●183センチ、106キロ ●1929年1月21日米・ニューヨーク州ニューヨーク出身 2007年3月13日没 ●WWWF認定USタッグ |
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37 4 (日)第4回ワールドリーグ戦 | |
旧WWFの実力者で、レスラーとしてよりブルーノ・サンマルチノ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ボブ・バックランドらのマネージャーとしての方が有名。第4回ワールド・リーグ戦にノルウェイ代表として参加したが連戦連敗を重ね実力不足を露呈してしまう。シリーズ中には力道山とフレッド・ブラッシーのインター選手権のレフェリーも勤めた。息子のジョージ・スコーランもレスラーとして来日しているが、カエルの子はカエルであった。マネージャーとしては何度となく来日している。 |
アーパード・ウェーバー
ARPAD
WEBER
1回
●ハンガリーの餓えた狼 ●175センチ、105キロ ●ハンガリー出身 ●ブロックバスター |
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48 3(新)ビッグ・ファイト・S | |
ジョセフ・モルナーとのコンビで来日。ヨーロッパでは有名だったようで、モルナーとのコンビは「ハンガリーの飢えた二匹の狼」なるニックネームがついていた。ゴーディエンコ張りのブロック・バスターを得意とし、リング外でもかなりの「強面」だったといわれている。幻の強豪の一人。 |
アーマン・ハッサン
ARMAND HUSSEIN
1回
●スーダンの黒獅子 ●183センチ、110キロ ●1934年スーダン出身(アラバマ州出身説あり) ●ヘッドバット ●パシフィックノースウエスト・タッグ、ミシシッピ州ヘビー、北米ヘビー(トライステート地区)、カリビアン・ヘビー、アメリカン・タッグ(ダラス地区) |
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41 3(日)第8回ワールドリーグ戦、41 5(日)ワールド選抜戦(残留) | |
「スーダンの黒獅子」といわれたレスラーで来日時は全くの無名だったが、帰国後ロスやニューヨーク地区で売れっ子となり、「日本帰りは出世する」のジンクス通りの活躍をした。オックスフォード大学を卒業したインテリレスラーでもある。試合は地味な本格派のレスラーだった様だ。晩年はダラスで悪のマネージャーとなりハッサン軍団を結成、海外遠征中の谷津嘉明のマネージャーも勤めている。 |
アーマンド・ゲレロ → マンド・ゲレロを見よ
アール・メイナード EARL
MAYNARD 3回
●青銅の魔神 ●185センチ、108キロ ●1935年イギリス領バルバドス出身 ●ヘッドバット ●アメリカス・タッグ、カリフォルニアTV |
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46 2(日)ダイナミック・ビッグ・S、47 5(日)第一次ゴールデン・S、48 9(新)闘魂S | |
「青銅の魔神」と呼ばれたボディービル上がりのレスラー。バルバドス島に生まれ18歳の時に渡英し1964年度のミスター・ユニバースとなった。昭和45年に国際プロレスが企画した「あなたがプロモーター」なる来日させたい外人レスラーの人気投票で18位にランクされ、昭和46年日本プロレスの「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」に初来日。大木金太郎のアジア・ヘビー級選手権に挑戦し善戦。ミル・マスカラスとともにバラエティー番組にも出演している。MSGにも出場し人気を博した。映画俳優としても活躍したことがあるようだ。 公式サイトはこちら http://www.earlmaynard.net/ |
アイアン・シーク IRON SHEIK (コシロ・バジリ*) 4回
●鋼鉄怪人 ●185センチ、108キロ ●1938年3月15日イラン・テヘラン出身 ●キャメルクラッチ、サイドスープレックス ●WWFヘビー、WWF世界タッグ、PNWヘビー、PNWタッグ、ミッドアトランティック・ヘビー、英連邦ヘビー(ニュージーランド版) |
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49 4(新)第1回ワールド・リーグ戦 *、51 5(全) NWAチャンピオン・S*、55 2(新)ビッグ・ファイト・S、57 3(新)第5回MSG・シリーズ | |
アマレス時代はイランでは国民的英雄で、渡米してからもAWAのレスリング学校のコーチをつとめボブ・バックランド、リック・フレアーらを指導した。アイアン・シークに変身してからは、反則一辺倒のファイト・スタイルでファンの憎悪を買ったが、ゴッチが太鼓判を押したテクニシャンの片鱗を見せ、単なる悪党ではない事を垣間見せた。アメリカではWWF地区に転戦してから悪党人気が爆発。遂にはかつての弟子であるバックランドを破りWWF王座も獲得。ホーガンとも長らく抗争を展開しMSGを満員に出来る超売れっ子となった。グレート・ハッサン・アラブというリングネームも使い分けていた。一時麻薬所持で逮捕されたが、現在もインディーで細々もマットに上がっているとか。
コシロ・バジリの項も見よ。 |
アイアン・マイク
IRON
MIKE ●鉄人 ●198センチ、111キロ ●1907年12月25日 オーストリア出身(現在のウクライナ) 1990年12月9日没 |
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31 8 (日) プロレス国際大試合 | |
昭和31年4月にレフェリーとして来日していたマイク・マズルキが、レスラーとして残留した際に使用したリングネーム。アメリカではルー・テーズの連勝がストップした試合も裁いている。
マイク・マズルキの項も参照のこと。 |
アイアン・マイク・シャープ
IRON
MIKE SHARPE(マイク・シャープ・ジュニア*)
4回 ●鋼鉄男2世 ●193センチ、136キロ ●1951年カナダオンタリオ州ハミルトン出身 ●タックル攻撃 ●太平洋岸ヘビー(バンクーバー版)、ミシシッピ・ヘビー、ルイジアナ・ヘビー、インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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54 4(全)NWAチャンピオン・S*、59 1(新)【特】新春黄金S、59 4(新)ビッグ・ファイト・S 第2弾、60 5(新)lWGP&WWFチャンピオン・S | |
タッグの名手「シャープ兄弟」のマイク・シャープの息子だが、身体が硬くはっきり言ってデクの坊という印象が強い。初来日時はジン・キニスキーが権利を放棄したため鶴田のUNタイトルに急遽挑戦しているが、そのファイトがあまりにも直線的なために鶴田に軽くあしらわれていた。体が非常に硬く技もシュミット流バックブリーカー以外はたいした技を持っていなかった事が致命的だったと思われる。主にカナダのバンクーバー地区で活躍していたが1980年代半ばにWWFに登場したもののすぐにフェードアウトしてしまった。 |
アイク・アーキンス
IKE EAKINS 2回 ●ケンタッキーの大砲 ●191センチ、124キロ ●1919年 米・ケンタッキー州出身 1968年10月20日没 ●ヘッドロック |
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36 4(日)第3回ワールドリーグ戦、36 5(日)夏の選抜戦(残留)、42 5(日)アイアン・クロー・S、42 5(日) 第1次ゴールデン・S(残留)、42 6(日) 第2次ゴールデン・S(残留) | ||
「ケンタッキーの大砲」とよばれたパワーファイターだったが、致命的に酒癖が悪く、日本巡業中もトラブルを起こしたようだ。結局アルコール依存症となり、1968年に試合後、心臓麻痺で死亡した。ワールドリーグ戦では試合によってはマスクを被った。アメリカでは老体を隠すためにマスクを被ってザ・クローマンと名乗ったこともある。第3回ワールドリーグ戦ではわがまま三昧のグレート・アントニオに鉄拳制裁を加えたり、元世界王者のブロンコ・ナグルスキーと仲間割れを起しリング上で制裁したシュートな面も持つ。一説には本物のマフィア上がりだとも言われている。 |
アイザック・ロザリオ ISSAC ROSARIO 2回 ●176センチ 105キロ ●プエルトリコ出身 |
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50 9(国)ビッグ・ゴールデン・S、53 10(全)ジャイアント・S | ||
昭和50年代に国際プロレスに多く来日したプエルトリコ出身のレスラーの一人で、プロレスラーになる前は炭鉱夫として働き身体を鍛えたという。アメリカ本土に渡って18歳でプロデビューしたが、主戦場はカナダであった。カルロス・コロンが全日本プロレスと提携してからは全日本プロレスに登場したが、全く試合振りに進歩はなかった。 |
ジ・アウトロー THE
OUTLAW ●無法者 ●190センチ、105キロ ●1937年3月27日 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身 |
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43 6(国) ビッグ・サマー・S | |
アマレス出身の実力者ゴードン・ネルソンが正体。このジ・アウトローはイギリスにおけるギミック。この後ミスター・レスリングとしても覆面を被って来日している。ヨーロッパでは素顔で活躍したが、アメリカではほとんど覆面レスラーとして活躍した。
ゴードン・ネルソンの項も見よ。 |
アクセル・デイター
AXEL
DIETER 1回
●ドイツの鬼将軍 ●182センチ、110キロ ●1933年西ドイツ・ベルリン出身 ●パワーボム、メキシカン・バックブリーカー ●欧州ヘビー |
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45 11(国)ビッグ・ウィンター・S | |
本名はアクセル・ディーター・バセル。ドイツ出身で、ナチス将校を夢見て体を鍛え、戦後はフランスの外人部隊に参加したという筋金入り。ホースト・ホフマンのライバルだったといわれ、ハノーバー・トーナメントでは上位の常連で初来日直後の1971年に優勝。新日本プロレスの第1回IWGPの欧州地区予選を兼ねた1981年の大会ではシングルで3位、タッグで優勝を果たしたが、再来日はならなかった。国際プロレス登場時はパワー・ボムやメキシカン・バックブリーカーなど当時としては珍しい技を披露している。現在は息子がアクセル・ディーター・ジュニアとしてリングに上がっている。(情報提供:黒い一羽鷹氏) |
ジ・アサシンズ
A THE
ASSASINS A ●覆面暗殺団 ●183センチ、110キロ ●WWA世界タッグ(ロス版)、USタッグ(ジョージア版、フロリダ版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版) |
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40 9(日) ハリケーン・S、40 11(日) インター選手権・S(残留)、45 6(日) 第一次ゴールデン・S | |||
日本に来日した覆面タッグの草分け的存在。昭和40年の初来日時の「A」はジミー・バーグであるという説もあったが、Bの正体であるジョー・ハミルトンの公式サイトを見ると、1961年にトーマス・リネストウとアサシンズを結成したとの記述があり、初来日の際のAもリネストウの可能性が高い。このサイトにはバーグの名前は出てこない。初来日時は豊登、馬場組が保持していたアジア・タッグ選手権に2度挑戦し、一度は反則負け、再戦では反則勝ちと実力者振りを見せつけた。また、馬場のインター争奪戦の対戦者にも選出されて戦っている。昭和45年の再来日時には猪木、吉村組が保持していたアジア・タッグ選手権に挑戦するも、完敗を喫した。ティム・トール・トゥリーの父親でもある。07/9/15 remix 正体の考察についてはこちら |
ジ・アサシンズ
B THE
ASSASINSB ●覆面暗殺団 ●185センチ、113キロ ●1938年3月 米・ミズーリ州セントジョセフ出身 ●エルボードロップ ●WWA世界タッグ(ロス版)、USタッグ(ジョージア版、フロリダ版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版) |
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40 9(日) ハリケーン・S、40 11(日) インター選手権・S(残留)、45 6(日) 第一次ゴールデン・S、47 1(日) 新春チャンピオン・S(Bのみ) | ||
昭和40年当時は最も有名な覆面タッグコンビであった。そのタッグ戦術は老獪で、アメリカでも各地区のタッグ選手権を獲得。初代アサシンズはラリー(ロッキー)とジョーのハミルトン兄弟であるとパンフでは紹介されているが、ジョーのサイトにより、実際はトム・リネストウとのコンビが初代チームであることが判明した。このチームはカロライナ地区ではマイティ・ボロ&グレート・ボロと名乗った。
ジョー・ハミルトンの項も見よ。 07/9/15 remix |
ザ・アジアン・テローズ1号 、2号 THE ASIAN TERRORS #1&2 | ||
52 6(新) アジア・チャンピオン・S | ||
自称アジア、オーストラリア、アメリカをすべて転戦し、10以上のタッグ・タイトルを取っているという触れ込みで来日した謎のタッグチーム。坂口、斎藤組と引き分け、猪木、長州組を破るなどの活躍を見せるが、大阪でのテレビ・マッチの試合後に猪木に覆面をはがれ、泥棒コンビのブラック・ゴールドマン(2号=写真右)、エル・ゴリアス(1号=写真左)が正体である事を暴露された。その後は素顔でシリーズに参加している。ロスでもこのギミックで戦っていた時期がある。
ブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアスの項も見よ。 |
アジェット・シン ARJIT SINGH 1回 ●182センチ、110キロ ●1943年インド・パンジャブ州出身 ●インド洋タッグ |
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46 9(国) 【特】ダイナマイト・S | |
昭和46年6月に自費で来日し「ジャイアント馬場に挑戦したい」と都内のホテルで記者会見を開いた自称ダラ・シンの弟を名乗る謎のインド人レスラー。結局は日本プロレスではなく、ロジャー・デラポルトの推薦という形で国際プロレスのリングに登場。「サー・ダラ・シンとのコンビで東南アジアのタッグ王座を獲得し、ロンドンではルー・テーズに挑戦して引き分けた」などと豪語していたが、日本での成績は全く振るわず。主に東南アジアを中心にサーキットしていたようだ。 |
ジ・アステロイド
THE
ASTEROID ●惑星仮面 ●190センチ、125キロ ●1952年5月14日 米・フロリダ州セントピータースバーグ出身(ミネソタ州ダルース出身説もあり) ●雪崩式ブレンバスター ●フロリダ・タッグ、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、ナショナル・タッグ(ジョージア版)、WWWFタッグ(エリック・ランバージャックとして)、アメリカン・タッグ |
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55 10(全) ジャイアント・S | |
スコット・アーウィンが変身した大型マスクマン。スコット・アーウィンはこれが初来日で、3回来日しているが素顔で来日した事は一度もなかった。アステロイドとはヒトデの意味。ゆえにマスクに縫いつけられているのは星ではない。
詳細はスーパー・デストロイヤーの項参照。 |
アデリアン・バイラジョン ADRIAN BAILLARGEON
1回 ●196センチ、103キロ ●1918年10月26日 カナダ・ケベック州サンマグロー出身 1995年9月9日没 ●世界タッグ(サンフランシスコ地区)、南部タッグ(ガルフコースト地区) |
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32 1(日) 力道山渡米壮行プロレス大会 | |
怪力兄弟として全米にその名を響かせていたアントニオ(トニー)、ジャン、チャールス、アデリアン、ライオネル、ポールのバイラジョン6兄弟のひとりで、片手でイスに座っている大人を軽々と持ち上げた事は有名。来日時も怪力の豊登を腕相撲で負かすなどの怪力ぶりを見せ付けた。当時、日の出の勢いだった力道山もその怪力にはだいぶ苦しめられた。カナダだけでなくアメリカ全土で活躍したようである。 |
アドリアン・アドニス ADRIAN ADONIS 11回 ●暴走狼 ●183センチ、122キロ ●1953年9月15日米・ニューヨーク州ニューヨーク出身 1988年7月4日没 ●ブルドッキングヘッドロック、卍固め ●アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、WWF世界タッグ、サンアントニオ地区世界ヘビー ほか |
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57 7(新)第2次サマー・ファイト・S、57 11(新)第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 3(新) ビッグ・ファイト・S第1弾、58 7(新)サマー・ファイト・S、58 11(新)第4回MSGタッグ・リーグ戦、59 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、59 5(新) 84IWGP、59 11(新) 第5回MSGタッグ・リーグ戦、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、60 5(新)lWGP&WWFチャンピオン・S、63 5(新) 88lWGPチャンピオン・S | |
デビュー当時は本名のキース・フランクスで活躍、ロサンゼルス地区に転戦しザ・ハングマンとの抗争で同地区のスターとなった。ロスからオレゴン地区に移ってからジェシー・ベンチュラと知り合いアドリアン・アドニスに改名。ベンチュラとのタッグでAWAに転出してから、一流にランクされるようになった。ベンチュラとのタッグ解消後はニューヨーク地区ではボブ・バックランドを苦しめ、サンアントニオ地区では同地区認定の世界王者になるなどの活躍を見せた。彼の日本での人気を決定付けたのはディック・マードックとのタッグ結成後であり、このコンビでWWF世界タッグも獲得した。一時タッグを解消し、おかまのギミックでシングル・プレーヤーとして活躍した後、元の暴走族スタイルに戻りファンを喜ばせたが、1988年にカナダをサーキット中交通事故で帰らぬ人となった。必殺技はブルドッキングヘッドロック。フランクス時代には卍固めも使った。 |
ジ・アトミック
THE ATOMIC ●原爆仮面 ●183センチ、110キロ ●1948年カナダ・ノバスコシア州出身 |
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54 1(国) 新春パイオニア・S | ||
アレックス・スミルノフとダブル・エースとして来日した大型マスクマンで、正体はカナダのレオ・バーク。カナダやオーストラリアでジ・アトミックを名乗っていたようだ。スミルノフとのコンビで草津、浜口組の保持するIWA世界タッグに挑戦している。浜口、草津組はこの防衛戦の2週間後にヤマハ・ブラザーズにタイトルを奪われた。
レオ・バークの項も見よ。 |
アナコンダ ANACONDA 1回 ●ヘビ男 ●188センチ、120キロ ●1940年メキシコシティ出身 ●ヘビ攻撃 ●メキシコ・ナショナル・ヘビー |
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48 9(新)闘魂S | |
メキシコの怪奇派レスラーで、その名の通りアナコンダという種類の大蛇をリングに持ち込んで、時にはそのヘビで相手を追い回すというギミックを使ったが、実力の方はたいしたことはなかった。同じシリーズに来日していたジョニー・パワーズにヘビを売りつけたという裏話も残っている。メキシコではTNT(テ・エネ・テ)というリングネームでトップヒールとして活躍。メキシコに遠征していた鶴見吾郎(現地ではゴロー・タナカ)とライバル関係にあった。(写真提供:花園えびす様) |
アニバル
ANIBAL 2回 ●青い矢、昆虫仮面 ●174センチ、90キロ ●1940年メキシコ・ミチョアカン州シタクロア出身 1994年没 ●風車式背骨折り ●NWA世界ミドル、UWA世界ミドル、UWA世界ジュニアライトヘビー |
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56 3(新)WWFビッグ・ファイト・S、56 8(全)スーパー・アイドル・S | |
本名カルロス・イグナシオ・カリージョ・コントレラス。19歳でメキシコ中部ライトヘビー級チャンピオンになり、天才少年レスラー出現と月刊ゴングでも紹介されている。初来日は10年以上後の新日本プロレスの開催したWWFライト・ヘビー級王座決定トーナメントに参加した時だった。昭和56年には全日本プロレスに移籍、ドクトル・ワグナーとのコンビでPWFタッグ・リーグ戦に参加。シリーズ中にはなんとジャイアント馬場ともシングルで対戦している。NWA世界、ナショナル、UWA世界の各ミドル級、UWA世界J・L・ヘビー級など獲得タイトルは多い。1994年脳腫瘍のため死亡。(情報提供:シークアリ氏)サイン |
アニマル・ウォリアー ANIMAL
WARRIOR 9回
●暴走戦士 ●190センチ、130キロ ●1961年1月29日米・イリノイ州シカゴ出身 ●パワースラム ●AWA世界タッグ、WWF世界タッグ |
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60 2(全)【特】85激闘!エキサイティング・ウォーズ、60 5(全)【特】85激震!サンダー・ウォーズ、60 10(全)【特】ワールドチャンピオンC、61 5(全)【特】スーパー・パワー・S、61 10(全)【特】86ジャイアント・S、62 2(全)87エキサイト・S、62 6(全)【特】87スーパー・パワー・S、6210(全)【特】87ジャイアント・S、63 5(全)【特】88スーパー・パワー・S | |
ホークとのロード・ウォーリアーズで1980年代中頃に人気を博した筋肉派レスラー。当時の言葉で言えば「最もナウいレスラー」だった訳だが、力で押すだけのレスラーで、キャラクターの勝利という印象が残る。しかし彼らのスタイルは、現在のプロレスに(いい意味でも悪い意味でも)大きな影響を残している事は事実。これぞアメリカン・プロレスといったタイプのチームだった。ジョニー・エース、ターミネーターは実弟。本名ジョー・ラリーニダス。 |
アファ・アノアイ → サモアンズ1号 2号を見よ
アブドーラ・ザ・ブッチャー ABDULLAR THE BUTCHER 47回 ●黒い呪術師 ●186センチ、140キロ ●1936年1月1日スーダン出身(シカゴ出身説、カナダ・オンタリオ出身説もあり) ●エロボードロップ、凶器攻撃 ●IWAインターナショナル・ヘビー(ケベック版)、PWFヘビー、NWF世界ヘビー、UNヘビー、インターナショナル・タッグ、カリビアン・ヘビー |
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45 8(日)サマー・S、46 3(日)第13回ワールドリーグ戦、47 3(日)第14回ワールドリーグ戦、47 12(全)ジャイアント・S 第2弾、48 5(全)ブラック・パワー・S、48 7(全)サマー・アクション・S、49 4(全)第2回チャンピオン・カー二バル、49 9(全)ジャイアント・S、50 9(全)ジャイアント・S、50 11(全)【特】第2弾ジャイアント・S、50 12(全)オープン選手権(残留)、51 4(全)第4回チャンピオン・C、51 9(全)ジャイアント・S、51 11(全)【特】スーパーパワー・S、52 4(全)第5回チャンピオン・C、52 12(全)世界オープン・タッグ、53 3(全)第6回チャンピオン・C、53 7(全)【特】第1次サマー・アクション・S、53 10(全)ジャイアント・S、53 12(全)世界最強タッグ決定リーグ戦、54 3(全)第7回チャンピオン・C、54 7(全)【特】サマー・アクション・S、54 8(全)ブラック・パワー・S、54 8 8・27夢のオールスター戦(シリーズ中)、54 10(全)ジャイアント・S、54 11(全)世界最強タッグ決定リーグ戦、55 3(全)第8回チャンピオンC、55 5(全)スーパー・パワーS、55 10(全)ジャイアント・S、55 11(全)世界最強タッグ決定リーグ戦、56 1(全)新春ジャイアントS、56 3(全)第9回チャンピオン・カーニバル、56 4(全)インター・チャンピオン・S(残留)、56 5(新)第4回MSG・シリーズ(挨拶のみ)、56 6 (新)6・25スーパーファイト56 7(新)サマー・ファイト・S、56 10(新)闘魂S、57 1(新)新春黄金・S、57 4(新) 4・21特別興行、57 4(新)ビッグファイト・S(残留)、57 10(新)闘魂S、58 7(新)サマー・ファイト・S、59 1(新)【特】新春黄金S、59 8(新)【特】ブラディ・ファイト・S、60 1(新)新春黄金S、62 11(全)87世界最強タッグ決定リーグ戦、63 1(全)88新春ジャイアント・S、63 3(全)【特】88チャンピオン・カーニバル、63 8(全)88サマー・アクション・S U、63 10(全)【特】88ジャイアント・S、63 11(全)88世界最強タッグ決定リーグ戦 | |
本名 ラリー・シュリープ。日本で最も成功した外人選手といっていいだろう。初来日時は全く無名に近かったが、過激な反則攻撃で話題を集めリシーズのエースであったカール・ハイジンガーを完全に食ってしまった。第13回ワールドリーグ戦では早くも決勝に進出する活躍を見せる。以後毎年来日し、23年間に47回の来日を記録している。昭和53年頃はCM出演のほか彼を主人公にした漫画も登場し、プロレスファン以外にも名を知られるようになった。全日本プロレスから新日本プロレスに移籍した時には大きな話題を撒いたが、新日本のマットではこれといった実績を残せないまま全日本に出戻っている。2009年ついに引退を決意。 サイン |
アブドーラ・タンバ
ABDULLAH TAMBA 1回 ●空とぶ呪術師 ●174センチ、122キロ ●1950年メキシコシティ 出身 ●プランチャ ●メキシコ連邦区ヘビー |
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58 3(新)ビッグ・ファイト・S 第1弾 | |
本名はフランシスコ・ガオナ。メキシコで活躍したレスラーで、ブッチャーそっくりの風貌で日本でも人気があった。メキシコ遠征した本家のブッチャーに気に入られてタッグ・パートナーに起用され、プエルトリコにも遠征している。外見はブッチャーそっくりで子供ファンの人気を集めたが実力の方はたいしたことはなかった。しかし父親はオクタビオ・ガオナといい、2代目のNWA世界ミドル級王者になった名レスラーである。蛇足ながらブッチャーと知り合う前までは髪の毛をはやしていた。 |
アベ・ヤコブ
ABE JACOBS (レッド・ピンパネール*)
4回 ●青鮫 ●190センチ、120キロ ●1934年(35年説もあり)ニュージーランド・ウェリントン出身 ●キウィ・ロール ●ニュージーランド・ヘビー、インターナショナルTVタッグ(ロス版)、フロリダ・タッグ |
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42 1(日)新春・S、47 9(新)ニュー・ゴールデン・S*、48 5(新)ゴールデン・ファイト・S* 、49 10(新)闘魂S第2弾* | ||
初来日時は素顔で登場し、ミスター・アトミックとのコンビで大木&吉村組の保持するアジア・タッグに挑戦している。日本のファンにはレッド・ピンパネールとしての方が知られているだろう。まだテレビのついていなかった頃の新日本プロレスの貴重な外人エースのひとりで、猪木がゴッチから奪取した世界ヘビー級タイトルにも挑戦した。最後の来日となった昭和49年「闘魂シリーズ第2弾」では素顔でファイトしている。アメリカではエイブ・ジェコブスという発音で呼ばれ、ジョージア地区などで活躍していたようだ。ゴッチのお気に入りだったが、これはゴッチとのシングル戦を組まれてもいやな顔をしなかった為だといわれている。 |
ジ・アベンジャー THE AVENGER ●覆面の復讐者 ●180センチ、106キロ ●米・ハワイ出身 |
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47 1(国) 新春パイオニア・S、49 8(新) 闘魂S | ||
メキシコや西海岸、ハワイで活躍した「カンフーの鉄人」ハン・リーの変身。来日前はボブ・エリスと大流血戦を繰り広げてきたといわれていたが実力はさっぱり。メキシコではジムを主催するほどの名士だが、日本ではゴング誌が選定する「二度と来て欲しくないレスラー」の常連だった。
ハン・リーの項も見よ。 |
ジ・アベンジャー THE
AVENGER ●復讐仮面 ●193センチ、125キロ ●1935年7月6日 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身 ●パイルドライバー ●ウエスタンステーツ・ヘビー、オーストラアジアン・ヘビー、カナディアン・ヘビー(バンクーバー版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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49 9(全) ジャイアント・S、51 7(全) サマー・アクション・S、52 7(全) サマーアクション・S、5510(全) ジャイアント・S、56 3(全) 第9回チャンピオン・カーニバル、 56 4(全) インター・チャンピオン・S(残留) | |||
本名はスタン・マイキートビッチ。カナダやヨーロッパで活躍した巨漢レスラー
ムース・モロウスキーの変身。この男もスタン・ザ・ムース、ドクター・デス、ジ・アベンジャー、ムース・モロウスキーと何度となく変身している。晩年はヨーロッパのトーナメントで活躍した。ザ・デストロイヤーのライバルとして重用された。 ムース・モロウスキーの項も見よ。 |