ファイル51 アサシンズの正体を分析!
2007.9.15
プロレスにファンを引き寄せる要素のひとつがレスラーのキャラクター。中でも覆面レスラーのファンは多く、正体を推測するのもファンの楽しみである。しかし、マスクマンの正体ほど推測が難しいものはない。有名レスラーや来日経験者が変身した場合には、正体を推測しやすいのだが、そうでない場合は非常に推理が難しく、また、昭和時代に於いては、海外情報が少なかった為に、情報が錯綜し、誤報が通説となる場合も多かった。 今回検証するのは、マスクマンコンビではもっとも有名なアサシンズの正体である。 当研究室の来日レスラー名鑑では、当初、アサシンAをトーマス・リネストウ、アサシンBをジョー・ハミルトンとしていた。これは、ベースボールマガジン社、日本スポーツ出版社がそれぞれ出版している「プロレス**年史」では、いずれもハミルトン、リネストウを正体として紹介していたためである。 |
左がハミルトン、右がリネストウ。 |
左がリネストウ、右がハミルトン | 素顔でもアサシンズを名乗っていた。 左がリネストウ、右がハミルトン。 |
しかし、その後、別冊ゴング昭和45年6月号の「アサシンズ再襲来の謎?」という記事で、その正体を断言したこのような記事を発見した。 「アサシンズ・・・この不気味なタッグチームほど謎につつまれているチームはない。かつて1961年にフロリダからミズリー一帯を暴れまくった初代アサシンズ、ジョーとラリーのハミルトン兄弟だったが、兄のラリーが突如、覆面を脱ぎ、その後はミズリー・モーラーを名乗って、弟との縁をすっぱり切ってしまった。 この記事を信頼し、筆者は初来日時のAをジム・バーグ、2度目の来日のAをトーマス・リネストウとした。 |
昭和40年、初来日時のアサシンズ。 |
昭和45年、再来日時のアサシンズ。 |
だが、ジョー・ハミルトンの公式サイトを発見。 http://www.georgiawrestlinghistory.com/host/jodyhamilton/bio.html そのバイオグラフィーの項を見ると、そもそも、ジョーは単独でマスクをかぶり「ジ・アサシン」として活躍。そして、1961年にジョージアでトーマス・リネストウとのコンビで「ジ・アサシンズ1号、2号」としてのデビューを果たしたとある(カロライナ地区ではマイティ・ボロ、グレート・ボロと名乗った)。ゴングのレポートにあった、ジミ・バーグ、ホセ・ロザリオの名前は全く出てこないのである。 このバイオグラフィーから考察すると、初代アサシンズはハミルトン兄弟であるというのは間違い。さらに、ジム・バーグとジョー・ハミルトンがアメリカでは、アサシンズとしてコンビを組んだことがないということが分かる。 では、日本に来たアサシンズAは2回ともトーマス・リネストウだったのか? ハミルトンのバイオグラフィーを見る限りは、ハミルトンはリネストウ以外とは「アサシンズ」と名乗ったことはないとのことなので、日本に来たのは2回ともリネストウの可能性は高い。1回目、2回目の来日時の写真を見ても、同一人物のような気がする。 しかし、国際プロレスに来たジ・インターンズのように、来日時のみ片割れが入れ替わっていたケースもあり、さらにゴングの記者が初来日時のAはジミー・バーグであったことをホテルの宿帳で確認しているという事実(ファンタジーの可能性も高いが・・・)からみても、ジミー・バーグ説も完全否定することは出来にくい。(念のために、トム・リネストウの本名を調べたら、ジミー・バーグではなく、トーマス・リネストウであった) 結論として、「初来日時のアサシンAはリネストウが定説となっているが、ジミー・バーグの可能性もある」というのが、研究室の見解とさせていただきたい。 また、アサシンズに関してはどちらがAかBかという問題もある。アメリカではA、Bとは呼ばず、#1、#2(1号、2号)と呼ばれており、#!はリネストウ、#2はハミルトンだったようだ。日本では初来日時にAが馬場とのインター争奪戦に出場していて、文献によっては、ハミルトンをAとするものもある(例えば週刊ゴング増刊「世界レスラー1000人名鑑」など)ので、どちらがAなのかBなのかは、全く分からないのだが、肉体的特長を見ると、ハミルトンは背が低く丸顔で体型もやや太め、リネストウは背が高くやや細身、そして時折口ひげが確認できる。残念ながら馬場戦の写真が手元にないので検証できないが、アメリカでの#1、#2をA、Bとして引き継いだとし、「Aはリネストウ、Bはハミルトン」というのを暫定的見解とする。 |