過去ログ名勝負集 「ダラ・シンの迷宮」 パート2

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Randhawa  投稿者:ミック博士  投稿日:2009年 3月26日(木)07時41分54秒
  >HOOKERの原書のほうに、ダラ・シンとの抗争が煮詰まり、弟ランダワー?と戦うことをテーズが提案したという件があるそうですが、この辺はどうなんですかね?

これは興味深い情報ですね。しかし原書をあかしさんが読んでいないという点が弱いですねぇ。どなたかからお聞きになった? ちなみに「hooker」というのはテーズの自伝です。この原書をベースに日本版の自伝が出ていますが、この監修が流さんだったかと。
ChotaとRandhawaの兄弟説、流さんに確認してみます。

もし兄弟であればよく似ている点、2代目がダラ・シンを名乗れた点の説明が付きますね。
 

>ダラ・シンの件  投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2009年 3月26日(木)06時44分57秒    編集済
  ミック博士様、貴重なメールのご紹介、ありがとうございました!!

実は、流様には、以前、ある方を通じて電話でお問い合わせし、「別人」と断言されていると伺っていたのですが、今回の一連の書き込みの中のO.Dabe様ご引用の新聞のコラムで「同一人」説を採られているように読めましたもので、非常に、狼狽していた次第です・・。

実際、Chotaの戦歴の記録を永年探して来ましたが、どうしても見つけることが出来ないでおりました・・。

テーズはChotaとRandhawaの両者と対戦していたのか・・? ロンドンでの有名な一戦は、やはりChotaの方だったのか・・? 北米で往年の強豪たちと対戦し活躍したのは、どちらのダラ・シンだったのか・・?等々、まだまだ、興味と謎は尽きません・・。
 

Dara Singh Randhawa  投稿者:あかしかつら  投稿日:2009年 3月26日(木)01時13分49秒    編集済
  キニスキーに譲ったあとのインドへの遠征。
HOOKERの原書のほうに、ダラ・シンとの抗争が煮詰まり、弟ランダワー?と戦うことをテーズが提案したという件があるそうですが、この辺はどうなんですかね?
私は原書は読んでませんし、所詮読めないのでこれ以上のことは分からないのですが・・・
見当違いならすいません。

O.Dabe さん、お久しぶりです。
>偽者呼ばわりされるような、ふがいないレスラーではありません
昭和42年ダラシンが本物だったことがよく伝わってきます。
しかしO.Dabeさんは全くぶれませんな。
そのダラシンがO.Dabe さんにとって本物だったことが、なによりも素敵なことです。
うらやましい。

私なんかダラ・シンといえばダシラン・シンが脳裡に浮かぶ始末ですw
 

>ダラ・シンの件  投稿者:O.Dabe  投稿日:2009年 3月26日(木)00時07分7秒    編集済
  そうですかぁ。

でも、私にとってのダラ・シンは、あくまで昭和42年に来た方ですので、別人とわかっても、どうでもいいことなんです。
ブラックデビルのような、偽者呼ばわりされるような、ふがいないレスラーではありませんので。
昭和30年に来たダラ・シンは「強かったそうですね」くらいの感慨です。
 

ダラ・シンの件  投稿者:ミック博士  投稿日:2009年 3月25日(水)19時53分11秒    編集済
  流智美さんに問い合わせてみました。
そのお返事は「別人」でした!
以下、メールより・・・(ご本人の承諾を得ております)

昭和30年のダラは THESZさんの 親友だったので、私も何回か手紙のやりとりを させてもらいましたが、力道山の招きで一回だけ日本にいけたことを、いつも「生涯最高の思い出」だといっていました。

THESZさんは、30年のDARAをCHOTA DARA SINGH と呼んでいました。42年のダラは、かれはかれなりに 有名な DARA SINGHでした。たしかMANDOUWA DARA SINGHとかなんとかいう名前だったとおもいますが これは確認します。

30年のDARAは42年より顔が面長で、眉毛がつながっているようなしょうゆ顔。42年のはインド人というよりイタリアンという感じのハンサムな顔で、胸毛が ふさふさしてました。夏のシリーズのごくわずかの期間の特別参加だったので、当時のマスコミは「30年のDARA]とかいたところもかなりありました。トースポはちゃんと暴いたと記憶。
【引用終わり】

ということです!
42年に来た2代目が、ネットで検索すると多く出てくるダラ・シンではないでしょうか? 彼の本名はDara Singh Randhawa です。流さんご記憶の「MANDOUWA」と似ていますね。流さんは竹内宏介さんと、ダラ・シンがニセモノだったことについて、よく語り合ったそうです。

やっぱり別人だったようですねぇ・・・。お騒がせしました。
 

>ダラ・シン問題について  投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2009年 3月25日(水)06時20分47秒    編集済
  ヘラクレス・マーシャルヒューズ様、貴重なご意見を本当にありがとうございます。

「S30年の古い映像を見て」と「S42年来日時の記憶」とでは、あたかも「別人」であるかのように余りにも印象が違う・・等の疑問を依然残しながら、小生、ここへ来て、同一人説に転向することとしたいと思います・・。

ご指摘のとおり、S30年の映像では髭の印象からか、とても20代には見えず、もっとキャリアを積んでいるようにも見えますし(この点、1928年生まれでなく1922年生まれとする説が正しいとすれば、問題はありませんが)、また、亡父の「別人だ・・」の声も依然耳から消えないのですが、やはり、別人説を採る決定的証拠が見つかりません・・。

引用のインタビューは、「At80,Dara Singh says he was never interested in films」と検索されますと、いくつものサイトで読むことができます。

心情的には、「実は、1922年生まれのとんでもない強豪の初代ダラ・シンが来て力道山と対戦し、その後、1928年生まれのそれほど強くない二代目ダラ・シンが来て馬場・猪木と対戦した」と考えたいところですが、やはり、現在、入手できる証拠類からは、「力道山をあれほど苦しめた強豪ダラ・シンが、12年の歳月を経て、その凄みをスッカリ失ってしまってから再来日を果たし、馬場・猪木と対戦した・・」という同一人説に傾かざるを得ない・・というのが、正直なところです。
 

ダラ・シン問題について  投稿者:ヘラクレス・マーシャルヒューズ  投稿日:2009年 3月24日(火)23時05分20秒    編集済
  偉そうに仕切る立場ではない事は重々承知していますが、何分気になる話題なもので再び参上しました。

ミック博士とJumbo Aokiさんのご賢察通り、「映画スターのダラ・シン」と67年に来たダラが同一人物として、英語版Wikipediaの「米国でも活躍した名レスラー→映画スター」とのキャリアを信用し、更に九州スポーツの記事内容も信用するなら、別人の入り込む余地はほぼなくなりますね。

ルーター電子レンジさんご投稿の写真を見比べての私見ですが、やはり髭の有無は印象に影響を与えるようで、即座に同一人物とも思い難いです。とはいえ顔も似てるし、太めになってますが、体の特徴(胸、腹部等)も似てますね。
しかし、当の電子レンジさんは別人説なのですね。

ミステリー好きとしては、専門媒体が再来日特集的な記事を組みながら、後年、別人説に転じているらしき点に色々と想像を掻き立てられます。しかし、根拠無き邪推ですので、書くのはやめておきます。

Aokiさんご紹介の「後年のインタビュー」も興味深いですね。何に掲載された記事なのでしょう。
九州スポーツの記事では俳優への転進を肯定的に語っているように感じられるので、だいぶ印象が違います。「プロレスを続けたかったが、無理やり映画に引きずり込まれた」旨の発言は、プロレスファンからすればうれしいようにも思えますが、インドに数多いであろう「俳優ダラ・シンのファン」からすれば幻滅でしょうね。
日本のプロレスファン限定のリップサービス(あるいは本音?)かも知れませんけど、偉大な人物はこんな事は言わないのではないか、とも感じますが。
 

ダラ・シン  投稿者:Jumbo Aoki  投稿日:2009年 3月24日(火)06時53分18秒    編集済
  永年不思議に思っていましたことを、ミック博士様にメールさせて頂こうかとも思いましたが、ミック博士様はじめ皆様の書き込みを読ませて頂いているうちに、小生も、「同一人説」へ転向したい・・と思うようになって来ましたので、書かせて頂きます。

まず、何よりも、ミック博士様のご指摘どおり、S30年の古い映像とS42年来日時の「あまりに大きな印象の違い」以外に「別人とする根拠」がどうにも見つからないこと・・。

そして、ルーター電子レンジ様がご引用の写真のうち、「S30年に力道山に攻められているシン」と、「S42年に馬場を攻めているシン」は、どう見ても同一人物にしか見えないこと・・。

「別人説」は、S42年の再(?)来日時からあって、S30年来日時のダラ・シンを見て、「力道山より強い大変な実力者だ」と高く評価していた亡父なども、S42年来日時のダラ・シンを見て、「これは別人だ・・」と何度もつぶやいていたものですが、実際のところ、恐らく、猫田様の言われるとおり、12年の歳月と映画スターとの兼業により、「レスラーとしての凄み」が全く消えてしまった・・ということなのでしょう。

実際、S42年来日時のダラ・シンは、既に実力的に、どう見ても、せいぜいサーダラ・シンと同レベルにしか見えず、到底、往時テーズと互角とも言われた強豪ではありませんでしたし、後年、80歳を迎えたダラ・シン自身が、インタビューに答えて、「自分は、本当はレスラーでいたかった。 映画などには全く興味がなかったのに、大レスラーとしての名声から、無理やり映画の世界へ引きずり込まれてしまったのだ」という趣旨のことを話していますですね・・。
 

ダラ・シンの迷宮  投稿者:ヘラクレス・マーシャルヒューズ  投稿日:2009年 3月23日(月)20時57分26秒    編集済
  私は時代的に門外漢ですが、これはミステリ好きには興味深い話題です。別人説の初出は何時頃なのでしょう。
そもそも「ダラ・シン」の弟が「サー・ダラ・シン」とは紛らわしい。何もなくても誤解が生じそうです。

みなさん既にチェックされているでしょうが、英語版Wikipediaの『Dara Singh』の項目には「レスラーとしてアメリカでも活躍した後、1962年以降は映画俳優として多くの作品に出演した」とあります。実際、IMDbには現在まで125本もの出演作のデータがあります。
(ただし、Wikiにはかのグレート・ガマと混同しているかの記述もあり、情報の精度が高いともいえませんが)

その一方でサー・ダラについては、こちらのサイトの来日全外国人レスラー名鑑には「欧州・カナダでも活躍し、俳優としても年10本の映画に主演した」とありますが、海外サイトに記述が見つかりません。もしかしたら、ほとんど同じ名前だから混同して一人の人物にされてしまったのか?

ダラ・シンの年齢ですが、当サイト、Wiki、IMDbとも1928年としています。 しかし、O.Dabeさんご紹介の九州スポーツの記述から単純計算すれば1922年生まれ。これが正しいとすれば、“再来日”の1967年は45歳。この年齢と俳優中心の活動中だったことを思うと、67年の来日には疑問も残ります。絶対おかしいという事はないですが。

真偽はともかく“別人説”があるとして、そもそも誰と誰とが別人なのか?
勿論55年と67年来日のダラ・シンなのですが、海外でのキャリアまで含めるとよくわからなくなります。Wiki記載のキャリアを一応信用すると、「アメリカで活躍し、55年来日後に俳優業がメインになったダラ・シン」と、「67年に来たダラ・シン」とは別人という事なのかと思えます。

しかし、Jumbo Aokiさん、ミック博士とも「映画スターのダラと67年来日のダラは間違いなく同一人物」との見解です。この点は同じながらAokiさんは別人説、博士は同一人物説なのですよね。日プロの達ての要請で、映画スターになっていた“本物”の再来日が実現したという事なら、まったく問題ないのですが、それなら根付いた別人説の論拠はなんだったのでしょう。

勝手な想像ですが、あのパキスタンのボロ・ブラザーズ同様、ダラの兄弟・一族に他にも複数のレスラーがいて、入れ替わって来日していたとしたら、見分けるのは難いかも知れません。
(そうでなくてもあちらの国々の方の顔は日本人には見分け難いし)

・・・なにやら、私の文章の方が迷宮化してしまいました。長文・駄文ご容赦ください。
 

ダラ・シン  投稿者:猫田猫太郎  投稿日:2009年 3月22日(日)22時24分2秒    編集済
  私もこの話題に参加させていただきます。
S42年再来日時のプロレス&ボクシング誌は、私も奇跡的に持っておりまして、掲載の座談会を再読すると、インドでは1年の内、プロレス活動するのが3ヶ月しかなく、残りの期間は映画出演等をしていると語っています。
と言うことは、それを信じれば、もうすでにあの当時、映画スターだったようです。また、同じ雑誌の別の記事には、当時重役の遠藤幸吉氏がインドまで行って要請したことで、12年ぶりの来日が実現したという記述もあります。
私もS42年のインタータッグ戦の記憶と、力動山時代のフィルムを見ると、髭の有無もあるにせよ、雰囲気が違うなぁという印象があるのですが、S42年時には、国民的な映画スターの地位を既に築いていたため、レスラーとしての凄みが消えてしまったのかなぁとも思えます。
別人なら日プロ幹部もインタータッグ挑戦等を組んだりしないだろうし…うーむ?