過去ログ名勝負集「思い出のB級レスラー」パート4
さらにB級 投稿者:あtろ 投稿日: 8月19日(土)23時40分43秒
ジョニー・クインなんてどうでしょう。
なんとなく見かけもB級でした。
あと、全盛期の馬場と引き分けたドン・ジャーディンとか。
そしてさらに一芸。
日本人の大物喰いのボビージャガーズ。馬場にも勝ってしまった。
来日はしなかったけどデストロイヤーの4の字を外した男、ザ・マンチュリアン。
そしてクマやライオンと戦ったマリオ・ガレント。
一発芸では、ウルトラマンのシュワッチスペシューム光線!
フィデル・カステロのタンつばの空中キャッチ!
我が青春のラシク・・・ 投稿者:存 英雄 投稿日: 8月20日(日)12時15分06秒
>パイルドライバー様へ
私もラシクとクラップなら、断然ラシクを高く評価いたしまする。彼はアマレスのオリンピック代表でしたから、クラップよりもレスリングが出来るのは当然のことでしょう。それよりも何よりもラシクの素晴らしい点は「やられる時の表情の豊かさ」といった、その悪役としての表現力ですよねー。国際プロレスのワールドシリーズにおける、ラシク VS モンスター・ロシモフ(アンドレG)の一戦を、どなたか憶えておられるでしょうか?ロシモフの掟破りの逆クロー攻撃を喰らって、あわてふためくラシクの姿を!!!あの“負け試合”こそがラシクの真骨頂でした。 追伸)それにしても国際プロ時代のロシモフは平気でツームストーンとかやって、相手を失神させてましたねー(ラシクだけでなく寺西なども犠牲者に・・・)
質問っす 投稿者:ハー2 投稿日: 8月20日(日)12時25分28秒
昔、全日本プロレスって土曜8時に放送していたらしいのですが、野球シーズンの時ってどうしてたんでしょうか?ちゃんと8時に放送していたんでしょうか?
当時からでも日本テレビは後楽園の巨人戦は優先的に放送していたと思うのですが・・・当時のテレビ中継を見ていた方是非教えてください。
>プロレス・アワーさん
鶴龍対決情報ありがとでした。
B級投票 投稿者:ゴッチ主義 投稿日: 8月20日(日)12時36分04秒
1983年に来たヘラクレス・ローン・ホーク。筋肉だけはすごいが脳味噌まで筋肉だった。ふがいない試合をして藤原に殴られ続けて翌日アメリカ大使館に訴えに行ったというやつですね。これじゃC級か?
>ジョニー・クインなんてどうでしょう。
彼はたたずまいはB級でしたがヨーロッパでは(ホームレスながら)評価が高かったのではないでしょうか。
ビッグ・ジョン・クイーンが初来日したのは記憶ではNWAタッグリーグで相棒はニック・ボック・ウインクル。
当時のニックはNWAの若きエリートで猪木と同世代。このニックと組んだクインはおそらくニックを「目上」とする扱いには承服しがたいものがあったはずですが、結局は決勝戦まで行って手に汗握る60分ノーフォールという名試合を演じたわけです。結局星野とジョン・クインという2人のわき役が無能ならばこのような試合は成り立たなかったはず。
私にとってはニックのレスリング技術に瞠目した覚えがあります。
後の「できる悪党チャンプ」になる素質は十分であったと。
クインは変人でもありB級ですが私の中ではいい評価にしておきます。
ジョニー・クイン 投稿者:パイルドライバー 投稿日: 8月20日(日)14時33分20秒
> ジョニー・クインなんてどうでしょう。
> なんとなく見かけもB級でした。
ゴッチ主義さん同様、私もジョニー・クイン(ビッグ・ジョン・クイン)は高い評価をしています。彼はファイト・スタイルが地味でだいぶ損をしておりますが、今で言うところの「ナチュラル・パワー」派のファイトでした。
私の場合J・クインは、国際に来日した時の印象が強いです。彼のエルボー・ドロップは独特で、倒れた相手にヒジを落とす時に両手を組んだ状態で落とすのです。このエルボー・ドロップを食って、R木村が鎖骨を脱臼させられたことがありました。
昭和50年7月と昭和55年10月に、R木村の保持するIWA世界ヘビー級タイトルに挑戦しておりますが、どちらも木村が大苦戦の末の防衛だったと記憶しています。特に55年の時は、木村が場外乱戦に持ち込み、20カウント寸前でリングに滑りこんでリングアウト勝ちという苦しい試合でした。
J・クインに対するファンの評価ががた落ちしたのは、昭和59年の新日本IWGPに参戦し、ファイトに精彩を欠き負けまくって最下位だったことによる部分が大きいでしょうが...後で知った話ですが、他の選手よりもあまりにファイト・マネーが低いことを知り、すっかりやる気を無くしてしまっていたそうです。
確かに、J・クインはB級かも知れませんが...もっと実力が評価されてほしいレスラーのひとりですね。個人的には、Bの上ぐらいに思っています。
Re: 質問っス 投稿者:パイルドライバー 投稿日: 8月20日(日)14時40分52秒
>ハー2さん
> 昔、全日本プロレスって土曜8時に放送していたらしいのですが、> 野球シーズンの時ってどうしてたんでしょうか?ちゃんと8時に> 放送していたんでしょうか?
野球中継の時は、その日の23:00ぐらいから振り替えの時間枠が設定されており、そこで放送されていました。ただし野球が中止になると、通常の20:00〜でした。
気まぐれレス 投稿者:プロレス・アワー 投稿日: 8月20日(日)21時06分18秒
存さん
ゴッチがグレイとWWWFタッグを保持していた、件
「プロレス・アワー(第二次カラー版)」で昭和47年頃、防衛戦を見ましたよ。
相手は、確かラギット・ラシアンズ。とにかく保持していたようですね。
梅丸さん
リック・マーテルがSWS・Jヘビーに挑戦した試合は、平成3年、東京ドームで佐野直喜との決定戦です。メインは天龍対H・ホーガン。私は、この興行を、猪木の「5の相手を7に上げて、10の力で叩き潰す」に習って「5000円の席をダフ屋から2000円で買い、10,000円の席に潜り込んで」観戦していました。(苦笑)
あTろさん
「底抜け脱線ゲーム」で金原さんがビビッたシーンは昭和45年、秋A・ブッチャーが初来日した時に、日本と外人が3人一組になり、2m平方くらいの発泡スチロールの板を壊して、どれだけ、多くの破片にできるか、というゲームがあり。結局、日本チームの圧勝に終ったのですが、ブッチャーが金原さんに通訳を通じて「材質が違うのではないか?」とクレームを付け、「いいえ、そんなことはありません」と金原さんは必死で弁解したいました。
ゴッチのタッグプレーの謎 投稿者:存 英雄 投稿日: 8月21日(月)01時06分47秒
>プロレス・アワー様へ
ゴッチのWWWFタッグの件、情報ありがとうございます。私は関西在住のため、子供の頃はテレビ東京(東京12チャンネル)の系列局が関西にはまだ無くて、「プロレス・アワー」(別名、世界のプロレス?でしたっけ)は見ていないのです。しかしゴッチのタッグマッチは・・・故UWFインターの「ダブルバウト」みたいにカットプレー無し、みたいなストイックなものだったのでしょうかねえ?想像がつきません。
ところでリック・マーテルの名前が出たもので、その兄のピエール・マーテルが作っていた「ザ・コンバットス」というB級タッグチームを思い出しました。そろそろB級タッグチーム懐古特集なんていうのは、どうでしょうか。ただタッグの場合、むつかしいのはハリウッド・ブロンドス(別名ブロンド・ボンバーズ)みたいに、一人だと完全なB級レスラーなのにチームとしてはA級の強さを発揮する例もありますから。A級・B級の判定は微妙な場合もあると思われますが・・・。まあ、でもブロンドスの試合前の「コスチューム脱がせあいパフォーマンス」は、やっぱりB級の香りですかねー。
B級タッグチーム 投稿者:あtろ 投稿日: 8月21日(月)09時46分10秒
ブラッキー・ゴールドマン&エル・ゴリアスなんてどうでしょう。
来日シリーズごとに評価が変わったのもB級ぽくて。
あとはネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズ。海外ではタッグでもシングルでも評価は高かったけど。
ザ・コンバット 投稿者:パイルドライバー 投稿日: 8月21日(月)12時07分01秒
>存 英雄さん
> ところでリック・マーテルの名前が出たもので、その兄のピエール・マーテル> が作っていた「ザ・コンバットス」というB級タッグチームを思い出しました。
「ザ・コンバット」...懐かしいっ!国際ファンには、忘れられないタッグ・チームですね。細かい指摘になってしまって恐縮なんですが...「ザ・コンバット」はピエール・マーチンとマイク・マーテルによるタッグで、マイク・マーテルがリック・マーテルの実兄でした。二人ともなかなか動きの良い選手でしたが、シングルではパッとせず、タッグで本領を発揮する「タッグ屋」で、攪乱戦法が得意でした。
昭和50年に国際に来日した時には、G草津・M井上組からIWA世界タッグを奪取し、リターン・マッチでも勝利して防衛に成功しました。追いつめられた日本側は、最終戦に金網タッグを要求し、2度目の挑戦でやっと奪回しています。
このような「タッグ屋」って...現在のマット界では、見られなくしまいましたよねぇ...。