ファイル 20 : 大木と坂口の喧嘩マッチ 前編 (昭和50年4〜5月)

 

日本プロの将来を憂いて猪木の新日本プロとの合併を発表した若きエース坂口征二への時の選手会長の大木金太郎の仕打ちは「日本プロレス崩壊への軌跡」で詳しく書いた。時はめぐり昭和50年、因縁の両雄は大木が合併を拒んだ新日本プロのマットで泥沼の抗争を繰り広げるのである。

坂口を追い出し、自らが長年の念願かなってエースの座に座ったものの、わずかひとシリーズで日本プロを崩壊の憂き目に追い込み、これまた去り際に喧嘩を売った馬場の全日本プロに頭を下げて入団したのが昭和48年5月。しかしこの合併を快く思わぬ馬場は日本プロの残党を冷遇する。これにたまりかねた大木、上田、松岡の3名は馬場と袂を分かつ。全日本プロ離脱後母国でプロレスを続けていた大木は49年7月に突然、馬場と猪木に挑戦状を送り付ける。馬場、猪木ともに「大木の売名行為には乗らない」と言う姿勢を見せ無視。しかし大木は実力行使に出た。時は49年8月30日 後楽園ホールで行われていた新日本プロレス 闘魂シリーズの開幕戦に試合場に姿をあらわしたのである。この時が因縁の大木と坂口が喧嘩別れして以来、はじめて顔を合わせたその日である。この時「大木さん、ご無沙汰してます」と頭を下げた坂口を大木は完全に無視したという。猪木は大木の度重なる挑発にたまりかね10月10日の体育の日に蔵前国技館で挑戦を受けてたち、見事に大木をKOしている事はマニアなら先刻ご承知であろう。これは純粋に猪木への挑戦と言う意味合いだけにはとどまらず、言わば大木の日本マット界への再就職であったとみるのが妥当であろう。

あけて50年、新日本プロとの提携路線に乗り、大木は新日本プロから猪木、星野、永源あたりを招聘し興行を打つ。当然この時猪木は坂口にも参加するように声をかけたが、これは坂口が強硬に固辞した。

坂口 「韓国には大木さんがいるんでしょう?顔も見たくはない!」

猪木 「お互いスポーツマン。過去のことは水に流して・・・」

坂口 「いいや、この感情は押さえ切れん!理屈じゃなか!」

この時はさすがの猪木も坂口の頑なな態度におれ、坂口を韓国遠征のメンバーから外した。しかし大木がワールドリーグ戦に韓国代表として参加表明したから、さぁ大変!坂口も優勝をねらっており、「大木が出るから・・・」と辞退するはずがない。因縁のふたりは一種に全国を巡行する事になる。しかし、坂口か大木とすれ違う度に睨みつけ、今にも殴り掛からんばかりの凄まじい形相。大木も最初は無視していたが遂にたまりかねた。

「坂口はまだ日本プロレス時代の事を根に持っているのか!あの時は立場上ああするしかなかったんだ。それをあいつはわからんというのか!ケンカならいつでも受けて立つぞ!」

この発言をばスポーツ新聞で見た坂口もついに檄昂する。

「ロートルが何をぬかしちょるか!向こうはセミリタイヤ、俺は現役のバリバリ・・・本気で俺に勝てるつもりか!先輩先輩といってるが、その先輩が過去俺に何をしたか!あいつには一発くらわさにゃぁ、この気持ちはどうにもならん!」

 

解説席の大木に殺到する坂口!

 

ふたりの因縁は最高に盛り上がる。そんな中の4月18日福生でのテレビマッチ。ゲスト解説席には大木の姿があった。メインは坂口−スーパーデストロイヤー(ネイル・グアイ)の公式戦。実況の途中で船橋アナが大木を煽る。

「大木さん、いよいよ来週は坂口との公式戦。坂口は徹底的にやると言ってますよ!」

「坂口なんぞ、レスリングをさせません。頭突き6発もぶち込めば充分だ!」と啖呵を切った。

ここまでならまだ良かった。視聴率欲しさに(?)両者の因縁を更に深めようと言うディレクターの指示でもあったのか?坂口の勝利インタビューにリングに上がった銅谷アナが坂口に大木の発言を伝えてしまった。

「坂口さん、あなたを頭突き6発でKOすると云ってましたよ!」

「誰がそんなこといってんだ!」

坂口が銅谷アナにすごむと、銅谷アナは震えながら実況席を指差し「あそこで大木さんが・・・」と言うが速いか「野郎っ!」と、坂口は実況席に殺到、大木の胸座をばグワシとつかみ

「今ここでやってみろ!」と絶叫。売り言葉に買い言葉で大木も坂口の手を振り解き、強烈な頭突きをガツーン!坂口はよろけながらも応戦、両者は果てしない殴り合いを続けるのであった。

 

参考文献:別冊ゴング50年6月号

後編に続く・・・