斎藤 昌典 Masanori Saito
 マサ斎藤 Masa Saito

アメリカ修行時代(1969年頃)

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:獄門鬼
■本名:斎藤 昌典
身長・体重:180センチ、120キロ
生年月日:1942年8月17日(2018年7月14日没)
■出身地:東京都中野区出身
得意技:バックドロップ、監獄固め
■主要タイトル:
 世界タッグ(サンフランシスコ版)
 フロリダ・ヘビー
 アメリカス・タッグ
 カリフォルニアTV
 カナディアン・タッグ
 フロリダ・タッグ
 USタッグ(フロリダ版)
 NWA北米タッグ(新日本プロレス版)
 アラバマ・ヘビー
 WWF世界タッグ
 IWGPタッグ
 AWA世界ヘビー級

■所属団体:
 日本プロレス→東京プロレス→フリー
 →ジャパン・プロレス→新日本プロレス
 
 明治大学時代にはアマレスのフリー、グレコの学生王者となり東京オリンピックにも出場した。坂口征二とは同期。昭和40年に日本プロレスに入門するが、古臭い日本プロレレスの体制に疑問を感じていたところを豊登に誘われて東京プロレスに移籍。いきなり初代社長に任命される。東京プロレスでは3番手のランクで活躍するが、東京プロレスはすぐに崩壊。昭和42年に渡米。サンフランシスコを振り出しに全米各地でトップレスラーとなる。

 昭和47年には日本プロレスに出戻り参加。昭和48年からは、同期の坂口の要請もあり、新日本プロレスに協力し日本側として参戦。昭和53年頃から外人側に周り、ヒロ・マツダの狼軍団にも参加。マツダとのコンビで坂口征二&ストロング小林組からNWA北米タッグ・タイトルを奪取している。一方、リング外ではブッカーとして新日本プロレスに協力していた。

 新日本プロレスのブッキングで、昭和54年に国際プロレスに登場した際には「おまえら弱っちい!」という爆弾発言をしたり、アニマル浜口にシュートを仕掛けるなど、掟破りな面もあった。

 昭和58年には長州力の維新軍団に協力。昭和60年1月には、全日本プロレスにも登場したが、昭和59年にケン・パテラの起こした器物損壊事件に巻き込まれて昭和60年4月から約1年間服役。ここで開発したのが監獄固めであった。

 昭和62年からは新日本プロレスに戻り、3月のアントニオ猪木との東京ドーム決戦では海賊男の乱入で手錠事件で暴動を誘発、10月には決着戦となる「巌流島の戦い」で話題を集めた。1990年2月には東京ドームでラリー・ズビスコからAWA世界ヘビー級タイトルを獲得した。

 現役引退後は「ワールドプロレスリング」の解説者を務めたが、晩年はパーキンソン病に侵され、2018年7月14日に逝去した。