米良 明久 Akihisa Mera
 高千穂 明久 Akihisa Takachiho
 ザ・グレート・カブキ The Great Kabuki



(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:東洋の神秘
■本名:米良明久
身長・体重:184センチ、110キロ
生年月日:1948年9月8日
■出身地: 宮崎県延岡市出身
得意技:毒霧殺法、トラースキック
■主要タイトル:
 カリフォルニアTV
 NWF世界タッグ
 UNヘビー
 オーストラアジアン・タッグ
 USタッグ(フロリダ版)
 フロリダ・タッグ
 ウエスタンステーツ・タッグ
 セントラルステーツ・タッグ
 アメリカン・ヘビー
 ルイジアナ・ヘビー
 ミッドアトランティックTV
 ミッドアメリカン・ヘビー
 世界タッグ(全日本プロレス版)
■所属団体:
 日本プロレス→全日本プロレス→フリー
 
 中学卒業してすぐの昭和39年に日本プロレス入りし力道山時代最後の新弟子となる。昭和45年には海外遠征経験のない若手としては異例の抜擢で「ワールド大リーグ戦」に出場。同年9月に念願の初渡米。デビル・サトのリングネームで活躍し、ミツ荒川とのコンビでNWF世界タッグなどのタイトルを獲得。昭和47年には選手大量離脱による日本プロレスのピンチを聞いて帰国、坂口征二とのコンビで「NWAタッグ・リーグ戦」で優勝。坂口離脱後はUN王者にもなるが、すぐに日本プロレスは崩壊する。

 全日本プロレスに移籍後は中堅クラスを抜け切れず、活路をアメリカ、オーストラリアなど海外に求めた。
オーストラリアではサムソン・クツワダと旧日本軍ギミックのトージョー・ブラザーズで悪党人気を獲得。アメリカではミスター・サトと名乗り、フロリダ、WWFでマサ斎藤とコンビを組んで暴れた。昭和53年には新日本プロレスの「プレ日本選手権」への参加が報道されたが、結局、参加はせず全日本プロレスにとどまった。。

 1981年にダラスで知り合ったゲリー・ハートのアイディアでザ・グレート・カブキに変身してからはアメリカで爆発的な人気を得た。ザ・グレート・カブキとして帰国後も毒きりやヌンチャクなどのデモンストレーションでファンの支持を得て、アニメ化の話しもあったが、ジャイアント馬場に話を潰されたと暴露している。

 全日本プロレス離脱後はSWSや新日本プロレスなどを渡り歩いた。1998年に引退を表明、現在は飯田橋で「BIG DADDY 酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」を経営している。
 

高千穂時代のサイン。(提供:セブン氏)

カブキのサインはちびっ子ファンにも読みやすいように字を崩さずに書いてある。こういう配慮がプロ中のプロ。
(提供:セブン氏)