フレッド・ブラッシーのスウィング・ネック・ブリーカー・ドロップ

2002.6.24 update
2003.6.3 remix

 

 
しっかり顎をロックしている点に注目!   馬場の巨体が中に舞う!

 

 フレッド・ブラッシーと聞いてまず思い浮かべるのはバンパイア・アタックと言われた噛み付き攻撃だが、ブラッシーはルー・テーズの弟弟子だけに、実はテクニックもなかなかのものだった。そのブラッシーがフィニッシュに多用していたのがスウィング・ネックブリーカー・ドロップであった。ブラッシーの場合、相手をフロントネックロックに捕らえて、左にひねり相手の体が上を向くととのまま落とすのではなく、フェイントをかけるように左にひねりを加えながら落としている。馬場の足で隠れて見えないが、最後まで首へのロックを話していない点に注目。ブラッシーの場合は自らが宙に浮くというスタイルではなかった。マットに着地する瞬間に相手の頭をたたきつけるようにしている。的確に相手にダメージを与える工夫がなされた必殺技である。基礎があってこそのクレイジー・ファイト。これが昭和プロレスの奥深さをうむのである。

 この技は若手時代の猪木の必殺技であったことでも知られているが、これは意外にもグレート東郷が猪木に伝授したものらしい。しかし、力道山はこの技を使うことを猪木には禁じていたという。力道山の死後、猪木はこの技をフィニッシュに使ったが、武者修行を経て帰国後はほとんど使うことはなかった。

追記 : 2003年6月2日(米国時間)、ニューヨーク郊外の病院で銀髪鬼フレッド・ブラッシーは永眠いたしました。享年85歳。生涯悪役を通したブラッシーは最高の悪役レスラーだったと思います。合掌。

 

 
最後の来日でのアトミック   自らが中に舞うスタイル

 

     
フロントヘネックロックの体勢から   右にひねる  

相手の体が上に向いたと同時に
ジャンプ

  相手の後頭部をマットに叩きつける

 

 スウィング式の使い手としてはブラッシーのほかにミスター・アトミック、ジャイアント馬場がいる。この技を日本ではじめて使ったのはミスター・アトミックのクライド・スチーブスだといわれている。アトミックの場合はネックロックから右にひねり大きく飛び上がって相手の後頭部をマットに叩きつける方法を取っている。手のロックは最後まで離していない。この技に行くところを、相手がロープをつかんで自爆するという光景が良くあったようだ。このような技をめぐる攻防がファンにはなんとも嬉しかったものだ。

 馬場の場合はやはり体の大きさを最大限に生かしダイナミックに見せるためか、手のロックを途中ではずして右手を大きく振りかざし、豪快な受身を取っている。手のロックをはずしたために相手は後頭部から落ちず、しりから落ちている点に注目。見た目の豪快さでは馬場がダントツだが、相手に与えるダメージではブラッシー、アトミックに劣ったかもしれない。

 

   
ドン・カーソンもスウィング式をフィニッシュにしていた。   豪快なカービーのスウィング式  

Mスーパースターは独自のアレンジを。
(写真撮影 HARU1番さん)

 

 上記3名のほかにも、この技の使い手は多い。超Bなのに別冊ゴングの表紙を飾ってしまった裏切り魔ドン・カーセンもフィニッシュにこの技を多用。来日第1戦で山本小鉄をマットに沈めている。オフ会の常連である存英雄氏は元NWA世界ジュニア・ヘビー級王者のロジャー・カービーのスウィング式の豪快さが忘れられないという。写真で見るように、豪快にジャンプすることにより落差をつけている。そして忘れてはならないのが、ランニング式を得意としていたマスクド・スーパースターだ。ランニング式に持っていくまでの痛めわざとしてスウィング式を使っていたが、相手の左腕をつかんでスウィングすることにより、受身を取りにくくさせているあたりが渋い。このスタイルは彼のオリジナルではないだろうか?

 

 
ロビンソン独特のショルダー式。   小林はロビンソンから盗んだ?

 

 スウィング式に似た技でショルダー式のネックブリーカーもある。ストロング小林や、ビル・ロビンソンが多用した技で、フロント・ネックロックの体勢から身体をひねって落とすのは一緒だが、後頭部をマットに打ち付けず、尻餅をつくようにして相手の後頭部を自分の肩に叩きつけるというもの。これも一発でフォールを狙える痛め技であったが、意外と使い手は少なかった。現在ではスウィング式、ショルダー式ともに幻の技になってしまった。ランニングネックブリーカーのように見た目の派手さがないのが衰退の最大の原因であろう。