モンゴリアン・ストンパーのストンピング

2000.4.4 upload
2002.10.24 update
2024.12.2 remix
2024.12.8update

 
助走をつけて頭を思い切り踏みつける!   急所を手でカバーする草津! 

 

     
 ロープのリバウンドで勢いをつけて   思い切り脚を振り上げ    腹を踏みつける! 

 

 今回の主役のモンゴリアン・ストンパーことアーチ・ゴルディは究極の「B級レスラー」といって差し支えないだろう。アントニオ猪木のアメリカ武者修業時代には、カンサスで猪木と「アジア人コンビ」を組んでいたこともある。この時、猪木がストンパーの家に遊びに行って、ニンジンジュースを飲んだら、下半身が元気になったまま収まらず困った…というエピソードが筆者は大好きである。

 話がそれた・・・後にジン・キニスキー、テリー・ファンクを破り幻の世界王者となり、「カナダにモンゴリアン・ストンパーあり」を知らしめた実力者である。昭和46年の初来日ではジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級タイトルに挑戦して引き分け。アントニオ猪木との一騎打ちでは反則含みながら勝ちを収めたという実力者である。

 そんな彼の必殺技がストンピングであった。対戦相手の足を両手で持って、靴底に鉛が仕込まれているとも噂されたブーツを履いた右足で2、3回マットを「ドンドン!」と踏みしめてから、大きく脚を振り上げて、腹筋を思いっきり踏みつける。もしくはロープに飛んでリバウンドを利用して勢いをつけて相手の頭を思いっきり踏みつけるという非常に単純な技であった。

 しかし実力に反して彼には「B級」のイメージが常に付きまとっていた。流智美氏の著書「超一流になれなかった男たち」によれば、その原因はストンパーがその外見に似合わず気が弱かったらしいのである。キム・クロケイドあたりにも「あいつは気が弱くてダメだ」と言われていたらしい。

 昭和46年の初来日では前述の通りに暴れまくったが、昭和47年の2度目の来日の時は、ジン・キニスキー、ボボ・ブラジル、キラー・カール・コックスといった大物に囲まれて委縮。昭和54年に国際プロレスへ参加した際もバーン・ガニアに気を使って委縮していたらしい。このシリーズでは、ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級タイトルに挑戦し、木村から3カウントを奪い一旦はベルトをまいたが、ロープに足を賭けてフォールしていたため試合を再開。乱入したアレックス・スミルノフに椅子で殴られ、木村のドリル・ア・ホール・パイルドライバーでフォール負けを喫した。

 昭和55年に来日した際には、他に大物がおらず文句なしのエースだったので気後れすることなく大暴れ! 3月8日に鹿児島でラッシャー木村に挑戦して大いに苦しめた。この試合ではブーツを脱いで凶器に下のだが、ブーツを脱ぐと、普通のおっさんが履いているような白いソックスを履いていて、モンゴルの怪人のイメージが崩壊。小学生の私にはとにかく間抜けに見えてしまった! 試合内容は申し分ないのだが、こういうマイナス・イメージが頭にこびりつき、ストンパーには「B級」のイメージが付きまとうのである。

 

 
昭和55年3月8日のIWA世界戦でも木村を追い込んだが…   白いソックスに注目!エビ固めであっさり負けてしまった…