ホースト・ホフマンのサイド・スープレックス
2002.10.9 upload
2024.11.23 remix
写真A:基本形。馬場の巨体も軽く投げてしまう。 |
写真B:リストロックに捉えられた状態で抱えて投げる! | 写真C:ロープに振った相手をパワースラム風に投げる |
ロープから戻ってきた相手をキャッチ | 反りながら持ち上げ・・・ | ||
この時点で手を離している | 相手は頭からマットに…危険な技である |
今回サイド・スープレックスを取り上げるに際し、正統派のジャンボ鶴田のサイド・スープレックスを取り上げるか、ホースト・ホフマンの変則的なサイド・スープレックスを取り上げるか、大げさだが結構悩んだ。しかしここはひとつアクの強いホフマンを選んだ。鶴田ファンの皆様、ごめんなさい。
「腕が回ればどんな体勢からでも投げてみせる」といったのはローラン・ボックだが、ホフマンは「片手でも相手を持ち上げればサイド・スープレックスで投げてみせる」とでも言いそうなぐらいバリエーションに飛んだ投げ方を披露している。ホフマンは3タイプのサイド・スープレックスを使っていた。。 3つ目は相手をロープに振ってリバウンドしてきたところをキャッチして放り投げる、パワースラムの原型とも言うべきサイド・スープレックスである。 ホフマンはこれほど強烈な技を持っていたが、あまりにも試合ぶりが地味だった。ある人は「ホフマンは巧過ぎてそれが逆に迫力を半減させていた」という。これに加え、ビル・ロビンソンをいうスターが先に上陸していたため、日本ではブレイクし損なってしまい、とうとう日本に姿を現すことはなくなってしまった。ホフマンは常にロビンソンを比較されていたようだ。このサイドスープレックスの日本名を見てもそれはわかる。写真Bに付いたキャプションは横投げ式人間風車であった。 |
ロープから戻ってきた相手をキャッチし | 身体をそらせながらグイッと持ち上げ | |
ひねりを加えながら | マットにたたきつける |
初期のロビンソンのスープレックスは本当に美しい | ジャンボのサイドスープレックスは力強い* | ローラン・ボックのサイドスープレックスは初期ロビンソン風* |
相手を横抱えにして | 持ち上げてから大きくそり | サイドにひねり、マットにたたきつける |
レイガンスの変則サイドスープレックスはフロントスープレックスの体勢からサイドに投げる |
ホフマンのパワースラム式サイド・スープレックスを盗んだのが剛竜馬であった。剛は凱旋帰国の第一戦でこの技を見せている。剛は帰国後のインタビューで「ドイツでホフマンと一緒に練習してマスターした」と語っている。これが剛のトレードマークになるのでは?といわれたようだが、結局は定着せず。これといった必殺技を習得できなかったことが、素質は最高といわれた剛が超一流になれなかった原因であったことは間違いない。
この技を日本で初公開したのはおそらくビル・ロビンソンだと思われる。ロビンソンはTBSスタジオでの公開練習でサイドスープレックスを披露している。ロビンソンは欧州選手権でも豊登をこの技でぶん投げているが、当時の「プロレス&ボクシング」はこう解説している「反り身になって相手を後ろへ投げ倒す反り投げ。ロビンソンは時折り柔道技を披露する」とある。ロビンソンの場合の「サイド」は相手の体の「サイド」をホールドして後方に投げるといったほうがよく、相手のわき腹を自分の腹に密着させるようにホールドして後方に投げる。その際、相手は単に1回転するだけではなく、反り返ったロビンソンの胸の上でマットと水平に90度回転してからさらに垂直に回転しマットに叩きつけられる。これは見た目にも非常に豪快である。 ロビンソンは昭和50年代に入ってからはこのスタイルではなく、ジャンボがよく使っていた、自分のわき腹と相手のわき腹を密着させる形でホールドして後方に投げ捨てるスタイルに切り替えている。このスタイルはもっともポピュラーだが、高さ、迫力で群を抜くのはジャンボ鶴田であろう。ジャイアント馬場が田園コロシアムでのインタータッグ選手権でこの技一発でドス・カラスをKOしている。 さて、最後に紹介するのがブラッド・レイガンスのサイド・スープレックス。これはサイド・スープレックスの項に掲載するかどうか議論が分かれると思うが、一般的にサイド・スープレックスと呼ばれていたのでここで紹介した。レイガンスの場合はベアハッグの要領で胸を合わせて(今風に言うとベリー・トゥ・ベリー)相手をホールドし、横に投げ捨てる。これは平成に入りレッドブル軍団と呼ばれたソビエト(当時)からやってきたレスラーが多用していた技だ。ある意味最もアマレス色の強い投げ方といえるかもしれない(ロビンソン式もアマレスの俵返し風であるが)。 |