ボブ・ループのショルダー・バスター

2002.2.22 upload
2024.11.28 remix

 

 
あまり見栄えのしない技だが・・・   後方からのショット。馬場の表情に注目

 

 猪木のNWFヘビー級王座防衛戦の歴史のなかで最も苦戦したのは、昭和53年のペドロ・モラレス戦(あまりの劣勢のためノーテレビになったという情報も流れた)と昭和54年のボブ・ループ戦であったといわれる。

 ループとの試合はCSで再放送されたので、筆者もビデオを入手し実際に見た。試合内容はループが終始グランドレスに持ち込み、猪木は全くペースをつかめぬままマネージャーのグレート・マレンコが乱入して反則負けというものであった。

 グラウンド・レスリングではループは明らかに猪木をコントロールしていた。猪木がまるで人形のように転がされているのである。試合はグラウンドの攻防延々と続き、ループが出した唯一ともいえる大技がこのショルダー・バスターであった。テレビ朝日の上席はあまりにも地味な試合展開に激怒したと言われている。

 ショルダー・バスターは普通痛め技に使われるがループはこれを唯一のフィニッシュホールドとしていたようで、このシリーズではこの技で白星を重ねている。さかのぼること5年。昭和49年の夏にループは全日本プロレスに2度目の来日を果たしているが、このときの開幕戦のタッグマッチでなんとジャイアント馬場からこの技でフォールを奪ってしまっている。当時のループはまだまだ中堅でミル・マスカラス、ダニー・ホッジ、ジョージ・スティールにつぐ4番手あたりの扱いであった。そのループが日本側の大将である馬場からフォールを、しかもショルダーバスターという地味な技で奪ってしまったのだから、これは大番狂わせである。

 おそらくループという男、テレビ中継のタイトルマッチで延々とグラウンド・レスリングを展開したり、開幕戦で格が1枚も2枚も上のエースの馬場をフォールしてしまったり、かなり空気が読めない「ガチンコ野郎」だったのであろう。サンフランシスコやフロリダで活躍したあとNWAに反旗を翻し独立団体を設立したはいいがマット界の孤児となり、最後は髪の毛を半分そり落としたパンクスタイルのペイントレスラーに落ちぶれてしまった。

 

     
業師ハリケーンも多用していた。    横からのショット。吉村からピンフォールを奪う   アンジェロ・モスカも使い手の一人*   キム・ドクも得意としていた

 

       
 草津は抱え方が逆   ザ・キラーのショルダーバスター    バックランドもキラーと同じスタイルだった   天龍もキラー・スタイルを使用 

 

     
 肩に担ぎあげてから豪快に振り下ろす坂口独特のショルダーバスター   

 

 このショルダーバスターの使い手として知られるのがハリプス・ハリケーンである。ボディスラムにいくように抱えて相手の肩をひざに落とすのであるが、この場合相手の首を抑えることで衝撃を調整している。技をかけられているレスラーも相手の肩をつかむことによりアクシデントが発生する確率を低くしている。

 日本人では坂口征二が昭和45年に再帰国した際に、秘密兵器として披露した。キム・ドクことタイガー戸口が得意としていた。

 ザ・キラーが公開したスタンプ・ホールドのように抱えて相手の肩を膝打ちつけるスタイルは、胴を抱える位置で衝撃を調節するわけだが、これは非常に危険である。汗で滑ったら衝撃の調節どころではない。実際、ボブ・バックランドが猪木にこのスタイルでスルダーバスターを敢行したものの、汗ですべり猪木は首筋からひざに落ち、さらに後頭部からマットにたたきつけられるという、危険なシーンが見られた。日本人では草津、天龍が使ったが、このスタイルのショルダー・バスターを使うレスラーは少なかった。

 この技はもともと使うレスラーが少なく、ハルク・ホーガンが得意にしていたのを記憶しているが、その後の使い手はちょっと思い出せない。しかし、あまりにも地味な技なだけに、復活への道は険しいように思われる。

*印写真提供:HARU一番様