ジャイアント馬場のジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ

2002.3.30 upload
2024.11.26 remix

   

ハリー・レイスからNWA世界タイトルを奪取した時のフィニッシュ!

 

     
16文キックと同じくサウスポー   確実に相手のあごに腕を引っ掛けて   それからジャンプ   後頭部をマットに打ち付ける

 

 必殺技は、本来は必ずフォールもしくはギブアップを奪える技という意味だろう。私が知る限りこの定義を満たした「必殺技」は、ジャイアント馬場のジャンピング・ネックブリーカー・ドロップしかなかったように思う。(ランニング・ネックブリーカー・ドロップ、フライング・ネックブリーカー・ドロップとも呼ばれるが、ここではジャンピング・ネックブリーカー・ドロップと呼ぶ)

 馬場がこの技を初披露したのは昭和44年12月3日のドリー・ファンク・ジュニアとのNWA世界ヘビー級タイトル・マッチであった。この試合では河津落としも初披露しており、馬場がどれだけこの試合にかけていたかがわかる。

 馬場はこの技をここ一番にしか使わない。馬場は3回NWA世界ヘビー級のベルトを腰に巻いているが、フィニッシュは全てこの技だった。因縁のハーリー・レイスにPWFヘビー級タイトルを奪われた際のリターンマッチのフィニッシュもこの技。大木金太郎、ビル・ロビンソンとの一騎打ちでもこの技一発で決めている。

 2メートルを超える馬場が飛び、相手の後頭部をマットに叩きつける。これほど素人目にも威力が伝わる技はなかなかなかった。それ以上に馬場のプロレスラーとして素晴らしいところは、この技を乱発しなかったことだ。インターナショナル・ヘビー級タイトル防衛戦でも、ほとんどこの技をフィニッシュには使わなかった。馬場はこの技を挑戦者としてリングに上がる時、大物との大一番に温存していたのである。隠し玉的なこの技は、だからこそ効果があった。馬場の頭のよさがわかる必殺技である。

 

   
ボロ・モンゴル時代には考えられなかったフィニッシュ   マスクド・スーパースターのジャンピング・ネックブリーカー・ドロップはタイミングが良かった 

 

   
カネックも多用したが痛め技であった   アニマル浜口は相手の首に腕を巻きつけて引きずり倒すように決めていた 

 

 

 もう一人、この技をフィニッシュにしたのがこれも大型のマスクド・スーパースター(ビル・イーディー)である。ご存知のように、マスクドの前身はモンゴルズの片割れボロ・モンゴルであった。

 モンゴルズ時代はモンゴル式ベアハッグぐらいしか技のないパワーファイターだった。しかし、マスクをかぶりマスクド・スーパースターを名乗ったとたん彼はパワーにスピードとテクニックを備えた一流レスラーに変身していた。そのパワー&テクニックの切り札がこのジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ(フライング・スリーパーとも呼ばれた)だった。

 カネック、アニマル浜口もこの技を使ったが、やはりジャンピング・ネックブリーカー・ドロップという技は大型レスラーが宙に浮くという点で、説得力をもつ技である。一時期、軽量のメキシカンが多用したが、全く重みがなく技の魅力を半減させていた。2メートル近い大男が飛ぶ! これもプロレスの醍醐味なのだ。