アントニオ猪木の地獄固め(鎌固め)
2024.12.6 upload
2024.12.7 remix
新日本プロレスの旗上げ戦でゴッチ相手に初公開。試作バージョンでかけ方が違う | 新日本プロレスの旗上げシリーズでインカ・ペルアーノを血祭りに |
犠牲者はペルアーノだが別日のショット。これは見慣れたフォームになっている。試行錯誤があったことがわかる |
大物日本人レスラーとの一騎打ちでは要所、要所で繰り出した! |
日本プロレスを「乗っ取り未遂」の汚名を着せられ除名になった失意の「若獅子」アントニオ猪木はテレビ局のバックアップもブッキングルートもない中で新日本プロレスを旗上げ。昭和47年3月6日に念願の旗上げ戦を迎えた。新日本プロレスという団体の社長兼エースとなった猪木は東京プロレスで舐めた辛酸を再び味わうわけには行かなかった。 そんな状況の中で猪木が考案した新必殺技がこの「地獄固め」、別名「鎌固め」であった。この技はリバース・インディアン・デスロックに相手をとらえ、そのままブリッジして相手の顎をロックして、そのまま締め上げるという複合技である。ノーテレビ時代の猪木はこの技をフィニッシュに多用した・・・と書きたいところだが、記録を調べてみると、この技が決まり手になったのは序盤戦の5試合のみ。この技の犠牲者(ギブアップした者)はインカ・ペルアーノ(3回)とジム・ドランゴ(2回)の二人だけであった。 さて、地獄固めは、昭和47年3月6日の旗上げ戦でカール・ゴッチを相手に初公開したが、その時はゴッチの身体の上でブリッジし両手で相手の顎をロックし自分の後頭部に相手の頭を押し付けるような感じで締め上げていた。当時の「プロレス&ボクシング」のキャプションには「リバース・トーホールドとチン・ロックの併用技でゴッチを攻めつける猪木」という解説がついている。 しかしシリーズ中には軸足を変えるなど試行錯誤し、最終的には我々の見慣れた右足を軸にし相手の身体の右腕側でブリッジするという形で完成させている。 しかし客席からは決まっているところが見えにくいという欠点があったからか、技をかける方もスタミナを消耗するためか、猪木がこの技をフィニッシュ・ホールドから痛め技にした理由は不明である。 しかし、猪木はこの技を完全に放棄したわけではなかった。痛め技として坂口征二、藤波辰巳といった大物日本人レスラーとの同門対決では、この技を解禁しファンを喜ばせた。頻度は少なかったが、リバース・インディアン・デスロックから地獄固めへの移行という流れが好きだったというファンは多い。 この技は武藤敬司が引継ぎ、ムタ・ロックと名付けられた。 |