ラッシャー木村の風車吊り

2002.5.13 update

 

 
     

スパイク・ヒューバーに見せた風車吊り!

 

カラー写真提供 HARU1番様

 

 いまはノアでマイクパフォーマンスに明け暮れているラッシャー木村もかつては、国際プロレス最後のエースとして孤軍奮闘していた。その時のニックネームは「金網の鬼」。観客動員に貢献するべく、金網デスマッチを黙々とこなしたわけだ。木村といえば、ブル・ファイターのイメージが強いが、実は多彩な技を使いこなす「オールラウンド・プレイヤー」(存英雄氏談)であった。多くの秘密兵器を使っていたのだが、団体自体がマイナーになっていたために、ほとんど話題にならず、本人もその技でアピールしようという欲もなかったようで、彼が繰り出した秘密兵器は、本当に秘密に近い状態で現在にいたる。

 そんなわけで、「回転足四の字固め」に続く、ラッシャー木村の秘密兵器再評価第2弾は、国際プロレス末期の55年ごろに、2,3度繰り出した風車吊りを紹介したいと思う。白黒写真での被害者は、ディック・ザ・ブルーザーの娘婿スパイク・ヒューバー。80年当時WWAで活躍していた新鋭レスラーで、これが唯一の来日だった。初来日ということもありタイトル挑戦は予定されていなかったが、シングルで連戦連勝の快進撃。木村とランディ・タイラーとのIWAタイトルマッチに乱入し、木村に対戦を迫って実現したのがこの試合だった。

 当時の木村のフィニッシュはブレンバスターからのバックドロップ、もしくは人間風車からの逆エビ固めだったが、この日繰り出したのが秘密兵器の風車吊りであった。筆者の記憶ではリバース・フルネルソンから人間風車に行くと見せかけて、持ち上げておいて投げずに自分の腰を落として相手の足を引っ掛けてかけるという、一種のフェイント技だったように思う。写真をご覧になればお分かりのように、首と腕を同時に決めるという拷問技。おそらく、マッハ隼人あたりがルチャの技をアレンジして伝授したのか、当時頻繁に来日していたEMLL系のメキシカンが使ったのを見て覚えたのではないだろうか?

 だが、このような木村の努力にもかかわらず、国際プロレスは56年に崩壊してしまう。「努力すれば報われる」というのは、プロレス界では通用しないのかもしれない。