キラー・ブルックスのギロチン・ドロップ

2002.3.9 upload
2024.11.18 remix
2024.11.19 update
2024.11.20 update

 

 ブルックスがエースだなんて国際プロレスでしか考えられなかった!

 

 2022年3月に行われた3周年記念オフ会の目玉企画として国際プロレスの秘蔵映像を鑑賞した。雑誌でしか知りえなかった試合の数々が映し出せれて、筆者は非常に感激したわけであるが、中でも一番新鮮だったのは「エースとして」登場しているキラー・ブルックスの姿である。

 ブルックスはディック・マードックの従兄弟であり、海外でもトップ・クラスのレスラーではあったが、日本の団体で彼をエースとして扱ったのは国際プロレスだけであった。当時の国際のエースはラッシャー木村であり、木村にはロビンソンのようなテクニシャンタイプよりもブルックスや、ジプシー・ジョー、トーア・カマタ、アレックス・スミルノフといった狂乱型のラフ・ファイターをぶつけるほうが試合がスウィングするのである。そんな理由でブルックスもエースに抜擢されたのである。

 私がテレビ観戦をはじめたころのブルックスは、全日本プロレスでは三番手ぐらいの扱いを受けており、TVに登場しても彼がフォールを奪うシーンはお目にかかれなかった。それだけにブルックスのフィニッシュ・ホールドは何なのかということに非常に興味を引かれのである。

 ビデオではブルックスとマイティ井上の試合が映し出されている。ブルックスが木村に挑戦する1週前のテレビ中継ようだ。試合の中盤に体育館の2階バルコニーにスポットがあたる。浮かび上がったのは、翌週にブルックスの挑戦を受ける木村であった。これが腕を組み無表情なのがおかしい。ブルックスは木村を十分に意識し、井上のサンセットフリップを自爆させ、ロープに飛んで豪快なギロチンドロップ1発でフォールを奪い、木村を指差し「カムラー!」と叫ぶ。と同時に「次週 IWA世界選手権 木村VSブルックス」のテロップが・・・。本番のタイトルマッチでブルックスはなんとセカンドロープからのギロチンドロップで木村からフォールを奪っている。木村が偵察していた試合では奥の手を温存していたというわけだ。うーん深い!

 

   
この技を日本で初めて公開したといわれるリップ・タイラー  

ギル・ヘイズのギロチン・ドロップは「断頭殺法」と呼ばれた

  クラッシャー・ブラックウェルのド迫力のギロチン・ドロップ

 

       
テリー・ファンクも得意としていた  

ブロディはフィニッシュへの布石として使った*

  ホーガンは米国ではこの技をフィニッシュに使った   アドリアン・アドニスも使い手の一人* 

 

 ギロチン・ドロップの元祖は誰か? については諸説ある。ゴングの竹内宏介氏はギロチン・ゴードン(ジ・エンフォーサ)だという説を書いていた。流智美氏は「これでわかった!プロレス技」でギル・ヘイズもしくはリップ・タイラーとしている。

 流氏の著書によれば日本でこの技を初公開したのはリップ・タイラーだという。昭和46年11月の「ワールド・チャンピオン・シリーズ」に初来日した際に披露したが、その時の呼び名は「変形ヒップドロップ」だったらしい。

 「カナダの復讐鬼」ギル・ヘイズも国際プロレスに参加。彼は飛び上がった瞬間に舌をべろっと出し、残忍な表情をするのを売りにしていた。この時に東京12チャンネルの実況担当の杉浦滋男アナウンサーが「ギロチン・ドロップ」と名付けたという。ちなみにアメリカでは「レッグドロップ」と呼ばれている。

 テリー・ファンクは通常のギロチン・ドロップだけでなく、スピニング・トーホールドへの布石として足にもギロチンを落としていた。

 昭和50年代に来日したレスラーの中ではなんと言ってもブルーザー・ブロディのギロチン・ドロップが豪快であった。フィニッシュのジャンピング・ニードロップと同じ入り方をするため、ファンは大いに盛り上がりブロディがギロチンを出すと、的が外れてさらに盛り上がるという。これはブロディのすばらしい計算であった。

 もう一人忘れてはならないのがハルク・ホーガンである。アメリカでの試合ではこの技をフィニッシュとして多用していたが、日本ではこの技をフィニッシュにはしなかった。日本のファンにこの技は受けないということを察知したのであろう。トップ・レスラーにはこのようにファイトする土地土地でスタイルを変える柔軟性も必要なのである。


       
猪木も隠れた使い手  

馬場も昭和50年代に多用

   アニマル浜口も豪快なギロチン・ドロップを使った   日本人ではカーンがいちばんの使い手か?


 日本人レスラーでは、アントニオ猪木が異種格闘技戦で披露。ザ・モンスターマンとの初戦のフィニッシュとなった(写真は2戦目でのもの)。馬場も昭和50年代にはよく使った。なかなか見栄えがして迫力があった。この頃限界説も出ていたので、それを払しょくするためのアピールだったかもしれない。

 日本人レスラーで最高の使い手は、アニマル浜口とキラー・カーンが候補に挙がる。アニマル浜口のギロチンドロップは、なんといっても躍動感とスピード感がピカ一。キラー・カーンは重量感はもちろんジャンプ力も文句なしだった。

 ギロチン・ドロップといえば、昭和プロレス・ファンは苦い思い出をお持ちではないだろうか。昭和60年6月2日、後楽園ホール大会におけるジャイアント馬場&石川敬士VSタイガー・ジェット・シン&マリオ・ミラノ組のタッグマッチにおいて、石川が放ったトップロープからのギロチン・ドロップを受けミラノが失神。この時一部の観客が「死んじゃった」コールを行うという事件が起こった。この試合はテレビ中継で放送されたので、映像も残っている。これは当時のファンのマナーの悪さ、レスラーへのリスペクトの欠如を如実に表す事件となった。マリオ・ミラノは親日家だったが、この一件に失望し二度と来日することはなかった。

*印写真提供:HARU一番様