ゴリラ・モンスーンのジャイアント・スウィング

2002.6.2 upload
2024.11.24 remix

 

   

第11回ワールド大リーグ戦で吉村をぶん回すモンスーン

   第14回Wリーグ戦でも吉村をぶん回した!

 

 今回は遅ればせながらビジターの皆さんのリクエストにお答えして、ゴリラ・モンスーンのジャイアント・スウィングをご紹介したい。この技は今(2002年当時)でも、馳浩が得意としているので、ご存知のファンも多いと思うが、馳の場合は完全な見せ技。しかし、この技をフィニッシュ・ホールドをして使いこなしたレスラーがいた時代もあったのである。

 その最右翼が、人間台風と呼ばれたゴリラ・モンスーンであった。この技の日本表記は「人間ゴマ」が一般的だが、一部で呼ばれた「巨人のぶん回し」という直訳のほうがしっくり来る。まさに巨人と呼ぶにふさわしいモンスーンが相手を豪快に振り回す。これぞ大男の激突が売りだった時代の古き良きプロレスの象徴的な技といえよう。

 モンスーンのジャイアント・スウィングはその身体ににあわず高速回転だったという。ぶんぶん振り回して豪快に放り投げ、そこにフライング・ボディープレスで押しつぶすという流れが得意のフィニッシュ・コースであった。1965年にMSGで当時WWWF世界ヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノに挑戦したときに、この技で振り回して放り投げたところ、ブルーノが場外にダイレクトに飛ばされて失神。カウントアウト勝ちを収めたが、ルールによりタイトル奪取はならなかった。当時のモンスーンの強さは尋常ではなかったということを、我々に伝えるエピソードである。

 先日、猪木戦を控えたモハメッド・アリがデモンストレーションにWWWFのTVマッチに乱入し、モンスーンに挑みかかるという映像を見たが、モンスーンはアリのジャブをまるでハエを払うように手でかわし、最後にはアリを担ぎ上げてエアプレンスピンでKOしてしまった。クローズドサーキットを盛り上げるためのデモンストレーションとはいえ、モンスーンの最強のたたずまいが垣間見れる貴重なフィルムであった。結局、モンスーンはロスのWWAで世界タッグ王座を獲得したが、シングル王座は獲得することはなかった文字どおりの無冠の帝王であった。

 

日本にこの技を紹介したのはロニー・エチソンであった。

 

 

ジョナサンも名手だった

  「ジャイアント・スウィング御三家」の一人ビル・ミラー 

  

   
相手のドロップキックをキャッチしてジャイアント・スウィングに移行するジョナサンならではの神業!   

 

 この豪快な技を日本ではじめて公開したのは、「ミネソタの竜巻男」と呼ばれたロニー・エチソンであった。昭和36年に2度目の来日を果たしたエチソンは、この技で力道山からフォールを奪っている。エチソンはモンスーンのような巨漢ではなかったが、遠心力を利用して、たくみに使いこなしていたという。エチソンにこの技を教えたのはサンダー・ザボーだとエチソン本人は証言している。

 モンスーンとならぶこの技の使い手は「殺人台風」とよばれたドン・レオ・ジョナサンである。ジョナサンのジャイアント・スウィングの特徴は、相手をマットすれすれに回す低空回転にあった。モンスーンのように水平に持ち上げるのと、ジョナサンの低空回転では、果たしてどちらが威力があるのだろうか? ジョナサンの場合はダウンした相手を振り回すのではなく、ドロップキックを空中でキャッチしてから振り回すという豪快なやり方も得意としていた。

 もう一人の使い手は、ビッグ・ビル・ミラーである。流智美氏は「モンスーン、ジョナサン、ミラーがジャイアント・スウィングの御三家」と評していた。ミラーは全盛期にはゴリラ・モンスーンの巨体を振り回したという。

  

     
馬場を振り回したキニスキーの怪腕!   コワルスキーは痛め技として使用   日本人では坂口がよく使った 

 

 以上が、ジャイアント・スウィングの「三大使い手」と言っていいと思うが、これに次ぐのがジン・キニスキー。ジャイアント馬場を豪快に振り回している写真は迫力満点。振り回されている馬場もアメリカ修行時代にはよく使っていたという。

 もう一人、キラー・コワルスキーもこの技の使い手。ニードロップへの布石となる痛め技として、この技を使った。

 日本人ではやはり坂口征二。残念ながら新日本プロレスに移籍後は、ほとんど使うことがなかった。そして最後に振り回されている先取が後頭部で手を組んでいるが、これはマットにたたきつけられた際のショックをやわらげる為だといわれているが、果たして本当かどうか? この技がフィニッシュ・ホールドになりえないのは、今のやわらかいマットでは、あまりダメージを与えられないからかもしれない。