アントニオ猪木の延髄斬り

2006.10.1 upload
2024.11.3 remix

 

元祖猪木の延髄斬り

 

 
滞空時のバランスがよい   異種格闘技戦でも有効な武器となった

 

 掲示板でのリクエストにお答えして、猪木の延髄斬りの登場です。

 猪木が延髄斬りを使い始めた時期については諸説あるが、昭和46年の「第13回ワールド大リーグ戦」でアブドーラ・ザ・ブッチャーに繰り出したのが最初だと言われている。

 新日本プロレスでは、当初は痛め技として時折使用。当時は「ジャンピング・ハイキック」などと呼ばれていた。昭和50年代に入り、異種格闘技路線を開始すると、意識的に多用するようになった。この技は特にアメリカでは受けた様である。猪木の場合欠点は、高く飛びすぎて空振りすることが多かったことである。

 筆者の記憶が正しければ、この技を「延髄斬り」と呼んだのは、古舘アナウンサーが最初ではなかったか? 昭和54年頃からは、この技をフィニッシュとして使用するようになるが、昭和50年代後半になって、体調を崩すと、フィニッシュはこの技一本やりとなってしまった。当時を知る猪木ファンの筆者にとっては、この技がフィニッシュになったことは、猪木が衰えていく象徴的なイメージがあって、あまり印象は良くない。

 この技はあっという間に広まったが、そのフォーム、破壊力ともに猪木を越えるレスラーは出ていない。天龍も昭和57年ごろから多用したが、「延髄なで」などと酷評を受けた。 どんな技でもそつなくこなすテクニシャンの藤波もこの技に関しては不恰好であった。

 やはり技のフォームの美しさという点、アントニオ猪木とミル・マスカラスは天才的である。

 

 
天龍の延髄斬りは跳躍力不足か?   藤波もあまりサマになっていない