アントニオ猪木の延髄斬り

2006.10.1update

 

元祖猪木の延髄斬り。滞空時のバランスがよい。

 

   
正面からのショット   藤波の場合は体が開きすぎ   天竜は状態のひねりが足りない

 

 掲示板でのリクエストにお答えして、猪木の延髄斬りの登場です。

 猪木が延髄斬りを使い始めた時期については諸説あるが、日本プロレス時代にも使っていたという情報もある。新日本プロレスでは、痛め技として時折使用。当時は「ジャンピング・ハイキック」などと呼ばれていた。昭和50年代に入り、異種格闘技路線を開始すると、意識的に多用するようになった。この技は特にアメリカでは受けた様である。

 筆者の記憶が正しければ、この技を「延髄斬り」と呼んだのは、古舘アナウンサーが最初ではなかったか? 昭和54年頃からは、この技をフィニッシュとして使用するようになるが、昭和50年代後半になって、体調を崩すと、フィニッシュはこの技一本やりとなってしまった。当時を知る猪木ファンの筆者にとっては、この技がフィニッシュになったことは、猪木が衰えていく象徴的なイメージがあって、あまり印象は良くない。

 この技はあっという間に広まったが、そのフォーム、破壊力共に猪木を越えるレスラーは出ていない。天竜も昭和57年ごろから多用したが、「延髄なで」などと酷評を受けた。どんな技でもそつなくこなす、テクニシャンの藤波もこの技に関しては不恰好であった。猪木の場合欠点は、高く飛びすぎて空振りすることが多かったことである。

 技のフォームの美しさに関して言えば、猪木とミル・マスカラスは天才的である。