藤波辰巳のドラゴン・スープレックス

2024.11.16 upload

 

1978年1月のMSG定期戦で行われたWWWFジュニア・ヘビー級タイトルマッチで初公開したドラゴン・スープレックス

 

帰国第1戦でマスクド・カナディアン(ロディ・パイパー)を餌食に


 

 原爆固め(ジャーマン・スープレックス)のアレンジ技として藤波辰巳が開発したのがドラゴン・スープレックス(飛龍固め)であった。この技はカール・ゴッチと共同開発したそうである。

 初公開は1978年1月23日のMSG定期戦で行われたWWWFジュニア・ヘビー級タイトルマッチでカルロス・ホセ・エストラーダに見舞った時というのが定説。メキシコでも試運転したという話もあるが、藤波本人の証言も二転三転しており真相は不明。

 この技は相手をフル・ネルソンにとらえ、そのままジャーマン・スープレックスの要領で後方に投げブリッジして固めるという技である。写真をご覧いただければわかるように、グリップを離していないため、エストラーダの両肩はマットについていない。この試合では3カウントは入らず、エストラーダがギブアップ、もしくはレフェリーストップで決まった。この日、控室に戻った藤波には「危険な技を使うな」というレスラーからの冷たい視線を浴びせられたという。

 しばらくはグリップを離さないスタイルだったが、そのうちブリッジした後にはグリップを外し、フォールを奪う技にアレンジしている。しかし、危険であることには変わりなく、昭和55年2月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」でマンドー・ゲレロ、アンヘル・ブランコを立て続けに負傷させ、WWWFからの通達で禁じ手となった。

 その後しばらく封印されていたが、1983年のIWGP決勝リーグ戦で前田日明がアントニオ猪木にドラゴン・スープレックスをかけ、久々に日の目を見たが、猪木はカウント2で返し、決まり手とはならず。藤波自身は昭和60年にストロング・マシーン1号との試合で解禁した。

 現在は、フルネルソン・スープレックスという名称で使われているが、藤波一代の技にしてほしかったというのが私の思いである。

 

 

 
 相手をフルネルソンにとらえ・・・    そのままブリッジをきかせて後方へ
   
頭からマットに着地    グリップを離していないため相手は首を負傷する危険あり