ハーリー・レイスのダイビング・ヘッドバット

2002.1.13 update

 

   
         

レイスはセカンドロープからのヘッドバッド
を得意としていたが・・・。

  ジミー・スヌーカのスーパーフライヘッド
バッド。表情に注目。
 

ダイナマイトキッドは切れ味のよさ
が身上

 

 ダイビング・ヘッドバッドといえば仰向けにダウンした相手に倒れこんで頭突きをかますものであるが、これを際最初にトップロープから繰り出したレスラーは誰かは判然としない。オリジナルの倒れこみ式のダイビング・ヘッドバッドはあまり見られないが、トップ・ロープからのダイビング・ヘッドバッド(以下DH)といえば新日本プロレスの天山広吉がフィニッシュとして現在も使っているので、今でもポピュラーな技である。この技の昭和時代の使い手のビッグ3といえばハーリー・レイス、ジミー・スヌーカ、ダイナマイト・キッドを推したい。上の画像をご覧になればわかるように、三者三様になんとも味がある。

まずは昭和56年当時リッキー・スティムボートとの抗争を日本に持ち込んで人気爆発したスーパーフライ・ジミー・スヌーカから見てみよう。このとき彼は3度目の来日であったが、初来日ではインディアン、2度目の来日では原住民スタイルであったが、このスーパーフライ・スタイルでは初来日であった。彼とリッキーとの抗争の見せ場はなんと言っても空中殺法合戦にあった。スヌーカの空中殺法はキザでどことなくいやみな雰囲気をかもし出していたが、それがヒールの彼をきひ立たせていたのも事実。画期的な飛べるヒールの誕生であった。特にフィニッシュに多用していたトップロープからのDHは顔の表情といい、指先の演技といい、いま見ても震えるほどの色気をかんじる。

一方、ダイナマイト・キッドのDHはトップロープからヘッドバッドを落とすというより、トップロープからロケットのように跳躍して相手に劇取るするというスタイルをとっていた。これは後に彼のライバルとなる初代タイガーマスクもフィニッシュに多用したスタイルである。フォームも腕を腿のあたりにつけ、まさに頭から突っ込んでいくというダイナミックなものであった。日本で見せたDHでは55年の正月にWWWFジュニア選手権への挑戦に待ったをかけてきたスキップ・ヤングとの挑戦者決定戦で見せたDHが強烈に印象に残る。

さて、真打はなんと言っても世界王者のハーリー・レイス。しかし資料をくってみると彼のDHはほとんどが、セカンドロープからのDHであり、トップ・ロープからのDHを披露したのは、日本では49年のNWA世界戦(王者はブリスコ)、57年のPWF戦(王者は馬場)など、彼が何らかのタイトルに挑戦するここ一番のときであったようだ。またアメリカではほとんどがセカンドロープからのDHを使っており、これはトップロープからの攻撃を即反則負けにする州も少なくなく、世界王者として各地を転戦する彼はその試合後とにルールを確認する面倒を防ぐため、セカンドロープからのDHを使っていたのではないだろうか?

 

     

 

 
     
57年に馬場からPWFう奪った際のDH   こんなに高く飛んでたっけ?

 

 上の写真をご覧になってもわかると思うが、このときのトップ・ロープからのDHは急角度でまさに強烈。レイスの体が弓なりになっていることからもわかるが、エプロンで見ているロッキー羽田の「痛そー!」といわんばかりの表情からもこのときのヘッドバットがいかに衝撃的なものだったかをお分かりいただけると思う。当時中学生だった筆者は「馬場、死んだんとちゃうか!」とテレビの前で本気で心配してしまったのであった。キッドや、スヌーカのDHは華麗であったが、レイスのDHはいかにも殺し技と呼ぶにふさわしい、「非合法な」匂いがしたものである。あれ以来これほどまでに強烈な印象と戦慄を覚えさせるDHを見た記憶がない。

最後にトップロープからではないダイビング・ヘッドバッドの使い手として忘れられないのが大熊元司。彼の場合は文字からロープに飛んで反動をつけて走りこみ、飛びあがって頭突きをぶちかましていた。ランニングヘッドバッドと呼ばれていたような気もする。あまりにも地味すぎてこの技の復活はありそうにないなぁ・・・。