テリー・ファンクのローリング・クレイドル

2003.12.5 upload
2024.11.10 remix

 
 回転した後、この体制で固めフォールを奪う   馬場の巨体も豪快に回転させる     


今回は自他共に認めるファンクス・ファンであるセブンさんによるファンクスの2大必殺技二本立て!弟のテリーの必殺技は高度なテクニックが要求されるローリング・クレイドル!それではセブンさんどうぞ!

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 この技はもともと、「オクラホマ・ヘイライド」と呼ばれ、スタンドの状態から相手の左足に自分の左足をフックし、両手で相手の右足をホールドして後ろに倒れこみ、相手の肩をマットに付けてフォールを奪ったり、股裂きの状態でキブアップを奪う古典的な技だった。テリー・ファンクはデビュー以来、若手の頃はスピニング・トー・ホールド、テキサス・スープレックス、シュミット式バックブリーカーを得意技にしていたが、兄ドリー・ファンク・ジュニアがNWA世界王座に長期君臨している時に、ローリング・クレイドル・ホールドを完成させた。テリーはオクラホマ・ヘイライドの体勢からローリングを何度も繰り返し行う事に成功し、相手の三半規管を狂わせ、股裂きをガッチリと決める技、すなわち、オクラホマ・ヘイライドから何度もローリングしてピンフォールを奪う技がローリング・クレイドルなのである。

 オクラホマ・ヘイライドとローリング・クレイドルを同じ技だと思っている人が多いようたが、何度も回転を繰り返すローリング・クレイドルの方が難易度が高く、これはテリーのオリジナルの技なのである。日本でテリーがこの技を初公開したのは、鶴田友美が凱旋帰国した蔵前でのインタータッグ戦で、翌年(1974年)蔵前でテリーが馬場のPWF王座に挑戦した時は、馬場の巨体をローリング・クレイドルで転がし、見事にピン・フォールを奪っている。この頃から、この技がテリーの必殺技として認知されるようになった。そして、テリーのレスラーとしての実力のピークは1975〜1977年のNWA世界王者時代であったのだが、テリーはローリング・クレイドルで何度も防衛戦を果たした。あのビル・ロビンソンやジャック・ブリスコ、ハーリー・レイスでさえ、ローリング・クレイドル・ホールドでピンフォールを取られ、日本ではジャンボ鶴田を相手に世界戦を行い、見事にローリング・クレイドル・ホールドで鶴田から1本取っている。

 特に、相手がコブラツイストを狙ってきた瞬間、切り替えしてバックを取り、ローリング・クレイドル・ホールドへ持っていくのは名人芸だった。テリーはアマリロで修行していた天龍源一郎にこの技をコーチし、天龍は日本デビュー戦をローリング・クレイドル・ホールドで勝利を得ている。(ただ、テリーと天龍のこの技のフォームは全然違うものであった)テリー・ファンクのファンとしては、スタン・ハンセンのラリアットを空振りさせ、バックにまわってローリング・クレイドルを決めるシーンを観たかったものだ。

2001年10月、ザ・ファンクスが初めて新日本プロレスに登場し、ボブ・バックランド&藤波組と戦うカードが組まれた。この時、私はテリーに「明日はボブか藤波を相手にローリング・クレイドルをやってよ」とリクエストしたのだが、テリー曰く「あの技は回転のスピードが一番大切なんだ。オレももう歳だし、昔のようなスピードで回転出来るかな?」とニガ笑いしていた。よく、この技をコピーしたレスラーが、ずっと長い間リングで回転を行って見せ場を作っているが、この技は回転を長くする事よりも、回転のスピードの方が大切なのである。テリーの話では、早いスピードで回転し、リングを3周ぐらいするのが一番効果的なのだそうだ。

事実、上述したジャンボ鶴田とのNWA世界戦でのローリング・クレイドルの回転の速さは凄かった。私はテリーに「あの時のローリング・クレイドルは、まるでトルネード(竜巻)のような凄さだったね」と言うと、テリーは笑いながらウインクしてくれた。私のサイトの宣伝にもなってしまうが、私のサイトの「テリー必殺技動画集」のコンテンツで、鶴田戦でのテリーのローリング・クレイドルの動画をUPしてありますので、そのスピードの速さをご覧頂きたい。

テリーがNWA世界王者時代、このローリング・クレイドル・ホールドを喰らってカウント2で返せたレスラーは皆無だった。そういった意味でも、この技も昭和を代表する必殺技として、このコーナーで取り上げて頂き記事を書かせて頂いたミック博士に感謝したい。 解説 セブン様

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以上が2003年当時のオリジナル解説である。

オクラホマ・ヘイライドとローリング・クレイドルの違いは、前者は回転した後に足を極めてギブアップを奪うのに対し、後者は回転した後にバナナスプレッドに決めフォールを奪うという点である。また後者の方が回転数が多い。

以下、昭和52年に行われたNWA世界ヘビー級タイトルマッチでテリーが鶴田に決めたローリング・クレイドルの連続写真である。

 

 
コブラツイストをかける要領で相手に絡みつく 相手の左足を足で、右足を手でロックし倒れ込む そのまま後方に回転を始める
   
 ひたすら回転    3〜4回回転する   そして最後はバナナスプレッドの体制でエビ固めでフォール

 

この技はテリー・ファンクの愛弟子である天龍が継承している。昭和52年6月11日、凱旋帰国第1戦(馬場&天龍×マリオ・ミラノ&メヒコ・グランデ)で、グランデにかけてフォールを奪っている。

天龍の場合、グラウンドの体制で相手の左足を自分の右足でロックし、さらに相手の肩越しに左腕で相手の右足をつかんで、空いた右手でマットを押しながら後方に数回回転しバナナスプレッドに決めるというスタイルだった。この試合でもバナナスプレッドに決めるのに手こずっており、やはりかけるのが難しいのかその後はほとんど使用していない。

その後は小橋建太、女子の豊田真奈美が継承し、現在でも使われているようである。


2024.11.11追記

さて、今回リミックス版をアップしたところXで相互フォローを頂いている昭和プロレスpasin様からDMを頂きました。以下引用。

ローリングクレイドルの項について気がついたのでDMしました。
実はテリーファンクよりはるか昔の1951年にバーンガニアがレッドバスチェン相手に決めています。ガニアが始祖かどうかは不明ですが、この試合は流さんのガニアビデオにも収録されてます。(引用終わり)

ということで動画も添付されていたが、これはまごうことなきローリング・クレイドルである。ガニアもアマレスの猛者だったことを考えると、非常に興味深い情報である。誰がオリジナルだったかは、これからの研究課題となる。Youtubeチャンネルにガニア×バスチェンの試合がアップされているのでURLを貼りつけておく。
https://www.youtube.com/watch?v=tCpasvjE4fE

 

   
 天龍のローリング・クレイドル。師匠テリーとはややかけ方が異なる   ガニアの見事なローリング・クレイドル。1951年にすでに使っていた