ペッパー・マーチンのチキンウィング・フェイス・ロック

2003.12.30 upload
2024.12.17 remix

これが日本初公開のチキンウィング・フェイス・ロック!

 

 UWFがポピュラー化させたチキンウィング・フェイス・ロックであるが、一時期はサブミッション・ホールドの代名詞とまで言われたこの技を日本で公開したのは、昭和41年に来日したペッパー・マーティンである。彼は太平洋岸パシフィック・ノースウエスト地区で活躍していたレスラーで、チキンウィング・フェイス・ロップを「マーティン・スペシャル」と命名し、この技をフィニッシュとしていたのである。

 この技を日本で公開したのが、サブミッションの鬼である、カール・ゴッチでもなければ、「ヘビの穴出身」の欧州勢でもなかったというのが、なんとも味わい深い。アメリカン・プロレス=ショーマン・プロレスという間違ったイメージを抱いている若いファンは非常に多いと思うが、アメリカにも「さりげなく」このような拷問技を使っていたレスラーは数多くいたのである。基礎があってのショーマン・シップと、はじめからのショーマンとでは、その奥深さが違うということを分かっていただきたい。

 

 
初来日記者会見でのガニア   この技を定着させたUWF勢   MSGでこの技をフィニッシュに使ったバックランドは凄い! 

 

 筆者が所有しているこの技の最も古いカラー画像はバーン・ガニアの初来日時記者会見でのショットである。記者団の「スリーパーホールドをお願いします。」との注文にガニアが田中忠治を相手に披露したのはいわゆる裸締めではなく、チキンウィングであった。アメリカでは日本のように技の呼称にこだわることはほとんどないようで、ガニアは「あの技もスリーパーと呼ぶんだよ」と後に説明している。

 なんと言ってもこの技を日本のファンにフィニッシュホールドとして印象つけたのはスーパータイガーをはじめとするUWF軍団であることは異論のないところだろう。

 UWF以前にはボブ・バックランドがWWF王者時代の1982年にMSGでバディ・ローズを相手にこの技を出していた。あまりにも地味なフィニッシュなので、当時のファンは非常に驚いたものである。ちなみに当時はチキンウイング・フェイス・ロックという名前はなく、「月刊プロレス」では「アゴと腕を固める複合技」と紹介されている。一時表舞台から消えたバックランドが再ブレイク後にチキンウィング・フェイス・ロックをフィニッシュとしていたことは記憶に新しい。