ということで、ザ・サークルのセカンド・アルバム「ネオン」であります。ご指摘のようにサークルはターン・ダウン・デイ、レッド・ラバー・ボールなどのヒット(66年)を放ったアメリカのトリオでマネージャーはビートルズと同じブライアン・エプスタイン。彼らの風貌を見るとゲイだったえプスタインが心を揺さぶられたのも無理からぬ事と納得できましょう。で、名前もCIRKLEではなくCYRKLEと一文字変えているのもビートルズ風ですな。このアルバムをリリースした67年には4人組となり、さらに翌年には解散している。活動期間が短かったので知名度が低いのも無理からぬ話だ。なので俺もサークルの詳しい経歴は知らない。確かニューヨーク出身の連中だったと思う。レッド・ラバー・ボールはサイモンとガーファンクルのツアーに参加したときにプレゼントされたらしい。この辺の人脈もこのアルバムを聞くうえで参考になろう。ポール・サイモンはこのアルバムでも「君さえいれば」を提供している。
このアルバムのベストトラックはやはり「涙にさよなら」でしょうなぁ。1曲目にヒット曲を持ってくるのは当時のアメリカの慣例だが、このアルバムに関してはこの慣例は成功しておりますな。で、聞き物はビートルズの「すてきなダンス」のカバー。こんなアレンジを考え付くというのはおそらくドラッグの影響だろう(多分)。「恋のゆくえ」と「どうしたらいいんだろう」は「レッド・ラバー・ボール」に似た穢れなきポップナンバーでアルバムのアクセントになっている。特に「恋のゆくえ」はモンキーズの「恋いの終列車」を連想させて面白い。
しかし66年にレコーディングされたということだから、当時主流だったヒット曲に適当なカバー曲を入れて11曲寄せ集めたアルバムが主流だった当時にしてはこれはわりと時代を先取りしたアルバムですな。曲目を見てわかるように邦題が付いている曲が多い。ということは当時日本でも日本コロムビアから発売されていたということだ。レッド・ラバー・ボールがヒットして昭和42年のミュージックライフの人気投票では19位にランクされている。しかしこのアルバムは多分全然売れなかったと思う。当時CBSの発売権をもっていた日本コロムビアは東芝のように売れる可能性のあるものしか出さないという商業ベース(!)でなく売れなくてもいいものは出す、もしくは売れるかもしれないから何でも出すというスタンスで海外の作品を紹介していたようだ。日本コロムビアは凄い会社だよ。
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