ユナイテッド・ナショナル・へビー級選手権 (日本プロレス編 その1)

 

タイトルのあらまし

このユナイテッド・ナショナル選手権の起源については、複数の説がある。まずは71年にサム・マソニックNWA会長が語った66年にNWA世界ライトヘビー級選手権を長期保持したレイ・メンドーサに贈与したタイトルが起源とする説と、70年にセントルイスで王座決定トーナメントが開催され、デール・ルイスが初代王者になったとする説が有名である。別冊ゴング57年7月号では前者の説をとり、その後の王者変遷を移動の日付入りでレポートしている。しかしゴング46年4月号では後者の説をレポートしている。猪木がジョン・トロスを倒し、同タイトルを獲得するまでの歴代王者はR・メンドーサ、D・ルイス、パンテラ・ネグラとどちらの説も同じであるが、変遷は異なる。前者の説ではメンドーサ→ルイス→ネグラ→トロス、後者ではルイス→ネグラ→トロス→メンドーサ→トロスとなっている。ここでは後者の説を取りたい。なぜならトロスが王座を獲得したのはメンドーサからという当時のゴングのレポートがあるからである。まぁ、これも決定的な証拠とは言えないが・・・。

またセントルイスで王者決定戦が行なわれたという説も やや怪しい。というのはこのUN選手権のベルトは明らかにロスで作られたものである。なぜなら全く同じデザインのベルトがロスでパシフィック・コースト選手権のベルトとして使われているからである。UNのベルトを作成する段階で同じ物を作って保管していたというケースは非常に多いからである。ずばり言えば猪木派の日プロ幹部がNWAに働きかけこのタイトルを新設させたというのが正解であろう。マソニック会長の日本での発言は権威を持たせるためのフィクションであったと思う。

 

歴代王者

1.デール・ルイス、2.パンテラ・ネグラ、3.ジョン・トロス、4.レイ・メンドーサ、5.ジョン・トロス、6.アントニオ猪木(日プロ除名により王座剥奪)、7.キング・クロー(バンクーバーでの王座決定トーナメント で優勝)、8.坂口征二、9.ザ・シーク、10.坂口征二、11.ジョニー・バレンタイン、12.高千穂明久 (日プロ崩壊のため一時王座消滅)

 

       
                 
デール・ルイス   パンテラ・ネグラ   ジョン・トロス   レイ・メンドーサ   アントニオ猪木

 

 

国内タイトル戦一覧 (左が選手権保持者)
 
46年3月26日 ロサンゼルス オリンピック・オーデトリアム 60分3本勝負
● ジョン・トロス (1−2) アントニオ猪木 ○
猪木(アバラ折り 17分25秒)
トロス(体固め 11分45秒)
猪木(体固め 6分30秒)

S44年のワールド・リーグ戦で優勝以来、ジャイアント馬場との格差をちじめることに躍起になっていた猪木が喉から手が出るほど欲しかったのはシングル・タイトルだった。そこで目を付けたのがロスに登場したUN選手権であった。猪木はワン・チャンスをつかみドロップキックの2連発でトロスをKOし、王座獲得。試合後には倍賞美津子との婚約も発表し、猪木時代の到来を印象づけたのであった。

 
46年5月31日 札幌 中島スポーツセンター 60分3本勝負 ゴールデン・シリーズ
○ アントニオ猪木 (2−0)フレッド・ブラッシー ●

猪木(反則勝ち 14分20秒)
猪木(アバラ折り 3分15秒)

猪木の馬場への対戦要求宣言から1ヶ月後に行われた、記念すべき初防衛戦の相手はもはやロートルの域に達した噛み付き魔 ブラッシー。脂の乗りきった猪木は難なくブラッシーをストレートで屠った。試合後の控え室で猪木は馬場に聞こえよがしに「ブラッシーはもっと強いと思った」と言い放ったという。猪木の馬場へのライバル意識が頂点に達した時期の発言だけに興味深い。

 
46年8月5日 名古屋 愛知県体育館 60分3本勝負 サマー・ビッグ・シリーズ
○ アントニオ猪木 (2−1)ジャック・ブリスコ ●

ブリスコ(体固め 21分2秒)
猪木(原爆固め 7分6秒)
猪木(アバラ折り 1分37秒)

アメリカで次期NWA世界王者のトップに名を連ねていたブリスコを迎えての2度目の防衛戦はストロング・スタイルの攻防となった。1本目は一進一退の攻防を見せるが、猪木がアバラ折りを狙ったところをうまく体重を乗せられ猪木がフォール負け。2本目は奮起した猪木が原爆固めでブリスコをKO,3本目は2本目のダメージが抜けきれぬブリスコをアバラ折りで秒殺し実力の差を見せ付けた。この試合はビデオ発売されているので、ぜひご覧になることをお勧めする。

 
46年9月6日 札幌 中島スポーツセンター 60分3本勝負 サマー・ミステリー・シリーズ
○ アントニオ猪木 (2−1)フリッツ・フォン・エリック ●

エリック(ストマック・クロー 21分2秒)
猪木(体固め 1分10秒)
(両者リングアウト 5分10秒)

エリックは9月4日に馬場のインターに挑戦して反則負け、猪木としては馬場に負けた相手に負ける訳には行かずプレッシャーのかかる一戦となった。試合はエリックが優勢。得意のクローで1本先取して、2本目は一気に勝負をつけんとアイアンクローを狙うが、猪木が身を沈めて背後に回り、バック・ドロップでフォール。3本目も猪木は必死で食い下がり両者リングアウト。何とか難敵の挑戦をかわしたが、スコアのうえで馬場に差を付けられた。

 
46年12月4日 仙台 宮城県スポーツセンター 60分3本勝負
○ アントニオ猪木 (2−1)ディック・マードック ●

マードック(片エビ固め 16分3秒)
猪木(リングアウト 2分37秒)
猪木(体固め 3分37秒)

4度目の防衛戦の相手は成長著しいディック・マードック。しかしマードックを寄せ付けずブレーンバスターでKOみごと4度目の防衛戦を飾った。しかし、この裏では猪木のクーデター未遂が前日の3日に上田馬之助によって選手会に暴露され、猪木は窮地に追いやられていたののである。2日後の6日には選手会からの除名が決定。8日に予定されていたドリー・ファンク・ジュニアとのNWA世界、UNダブル・タイトル・マッチを病欠。そのまま日本プロから除名され、タイトルも剥奪されてしまうのであった。

 

その2へ続く