TWWA認定世界へビー級選手権

 

タイトルのあらまし

このTWWAなる団体は、そもそも国際プロの独占放映権を握ると同時に、経営面でも全権を掌握したTBSが国際プロをTBSプロレスと改称し、その目玉タイトルとしてルー・テーズ、グレート東郷に依頼し、67年にトロントの大プロモーター フランク・タニーを会長に据えて設立した団体である。ヘビー級王者にルー・テーズ、ジュニア・ヘビー級王者にエドワード・カーペンティア、タッグ王者にアル・コステロ&ドン・ケントの2代目カンガルーズを認定してスタートした。ヘビー級選手権は日本には根づかず、本拠地のカナダに戻ったが、間もなく消滅したようだ。

 

歴代王者

1.ルー・テーズ、2.ダニー・ホッジ、3.ロイ・ヘッファナン(?)

   

 

国内タイトル戦一覧 (左が選手権保持者)
 
43年1月3日 東京 日大講堂 60分3本勝負 オープニング・ワールド・シリーズ
○ ルー・テーズ (2−0) グレート草津 ●
テーズ(体固め 17分50秒)
テーズ(試合放棄)

記念すべきTBSプロレス開幕戦で起こったハプニングとして昭和プロレス史上でも有名な試合。「草津を一夜でスターに!」というTBSの意気込みを鉄人テーズはバックドロップ一発で粉砕した。デビューして1年半の草津がテーズからタイトルを奪うなど誰がどう考えても無理な話し。1本目バックドロップで叩き付けられた草津は、2本目も試合続行不可能となり、醜態をさらしたのであった。

 
 
43年1月10日 大分県体育館 61分3本勝負 オープニング・ワールド・シリーズ
○ ルー・テーズ (2−1) サンダー杉山 ●
テーズ(体固め 10分19秒)
杉山(体固め 3分20秒)
テーズ(体固め 3分21秒)

グレート草津に4連続挑戦させ世界王者に!というTBSの当初のプランも3日の草津の醜態を目の当たりにし、変更を余儀なくされた。TBSが第2の刺客としてテーズにぶつけたのはサンダー杉山。しかし杉山とてキャリアは草津とどっこいどっこいの新人。せめて1本取れただけでも大健闘の結果であった。

 
43年1月17日 宮城県スポーツセンター 60分3本勝負 オープニング・ワールド・シリーズ
○ ルー・テーズ (2−1) 豊登 ●
豊登(ベアハッグ 9分12秒)
テーズ(バックドロップ 1分31秒)
テーズ(試合放棄)

「既製のスターはブラウン管に登場させない!」と公言していたTBSが第3の刺客として選んだのは、その既製のスター豊登であった。TBSは藁にもすがる想いで豊登を起用したのは、このタイトルマッチの4日前に豊登が反則含みながらテーズをシングルマッチで下しているからに他ならない。しかし、テーズの堅塁はベテランの豊登をもってしてでも破ることは出来なかったのである。1本目は豊登がベアハッグで先取したものの、2本目にテーズの必殺バックドロップが爆発!3本目になっても豊登は立ち上がること無く試合放棄という結果に終わった。

 
43年1月24日 東京 台東体育館 61分3本勝負 オープニング・ワールド・シリーズ
● ルー・テーズ (1−2) ダニー・ホッジ ○
テーズ(フライングボディシザース 30分52秒)
ホッジ(回転エビ固め 16秒)
ホッジ(体固め 4分46秒)

TVマッチ・タイトル4連戦の切り札にTBSが指名したのは、何と次のシリースへの残留が決定していた外人のダニー・ホッジであった。当時NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権者であったホッジは挑戦資格充分であったが、ここまで来たらなにがなんでもタイトルを日本にとどめたいという焦りが窺える。しかし結果的に、この試合は日本初の外人同志のタイトルマッチとして昭和プロレス史に刻まれることとなる。試合はTBSの思惑通り、ホッジがテーズを抑えてタイトル獲得、タイトルの海外流出を一時的とはいえ阻んだのであった。

 
43年2月15日 大津市皇子山体育館 61分3本勝負 ワールド・タッグ・シリーズ
○ ダニー・ホッジ (2−1) フレッド・カーリー ●
ホッジ(回転エビ固め 11分5秒)
カーリー(体固め 3分10秒)
ホッジ(体固め 4分40秒)

シリーズが変わってワールド・タッグ・シリーズ中に行なわれた選手権試合は、なぜか今回も日本人を挑戦者とはせず、外人同志の世界選手権試合となった。フレッド・カーリーは前日ホッジをシングルで破っており、その実績を買われての起用。もしカーリーがホッジを下せばカーリーを次期シリーズに残留させて草津あたりをぶつける腹積りであったのであろうが、選手権試合では順当にホッジがカーリーを降し王座を守った。このタイトル戦の4日後、ギャラの支払いをめぐるトラブルでブッカーのグレート東郷が外人選手の出場をストップさせ、シリーズは打ち切り。TBSはIWEの経営からは手を引くのである。こうしてTWWA世界ヘビー級タイトルは一度も日本人レスラーの腰に巻かれることはなかった。