NWF認定世界へビー級選手権 48〜49年

 

タイトルのあらまし

ニューヨーク州バッファローを拠点とする新興団体で、プロモーターのペドロ・マルチネツとジョニー・パワーズが設立した団体。勢力範囲はWWWFの勢力範囲を除く東部、五大湖周辺、カナダのトロントなど全盛時には広範囲をカバーしていた。ジョニー・バレンタイン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ワルドー・フォン・エリックなどの大物が歴代王者に名を連ねているが、パワーズが来日し猪木に王座を明け渡してしまうと、急速に勢力を失い、77年頃には活動を停止してしまっていたようだ。

 

歴代王者

1.ジョニー・パワーズ、2.ワルドー・フォン・エリック、3.ドン・デヌーチ、4.ワルドー・フォン・エリック、5.アーニー・ラッド、6.アブドーラ・ザ・ブッチャー、7.ビクラー・リベラ、8.アブドーラ・ザ・ブッチャー、9.ジョニー・バレンタイン、10.ジャック・ルージョー、11.ジョニー・バレンタイン、12.ジョニー・パワーズ、13.アントニオ猪木、14.タイガー・ジェット・シン、15.アントニオ猪木、16.スタン・ハンセン、17.アントニオ猪木

(情報提供:田辺尚玄さんのプロレス道場

 

     
             
ジョニー・パワーズ   アントニオ猪木   タイガー・ジェット・シン   スタン・ハンセン

 

 

国内タイトル戦一覧 (左が選手権保持者)
 
48年12月10日 東京都体育館 60分3本勝負 ワールド・タイトル・チャレンジ・シリーズ
● ジョニー・パワーズ (1−2)アントニオ猪木 ○
猪木(コブラツイスト 20分26秒)
パワーズ(8の字固め 5分49秒)
猪木(卍固め 5分10秒)

東京プロレス時代から因縁のあったジョニー・パワーズを招聘しての世界戦。当時のパワーズは猪木同様に全盛期にあり、動きも良くこの試合は名勝負となった。ロスからやってきたレッド・シューズ・ドゥガンが裁いたこの試合はパワーズの直線的なファイトに猪木が苦戦するも3本目はきり札のパワーズロックを仕掛ける際にパワーズがロープに後頭部を強打してダウン。猪木は一気に卍固めでパワーズをKO。念願のシングル・タイトル獲得を果たした。

 
49年3月19日 東京 蔵前国技館 時間無制限1本勝負
○アントニオ猪木(原爆固め 29分30秒)ストロング小林●

国際プロのエースであったストロング小林が自分の力を試したい!という理由で国際プロを脱退、馬場、猪木に挑戦状をだし、それに猪木が呼応した形で実現したのがこの試合。当日の国技館は猪木、小林に対する声援は五分。最高の盛り上がりを見せた。試合も小林がもてる力をフルに発揮。小林の攻撃を凌ぎきった猪木が、カナダ式背骨折りをスープレックスできり返し、バックドロップ→原爆固めで小林の息の根を止めた。破れはしたが、ストロング小林のベストバウトとの声もある。

 
49年3月21日 米国 オハイオ クリーブランドアリーナ 60分3本勝負
△アントニオ猪木(1−1)アーニー・ラッド △
(両者KO 15分15秒)
ラッド(体固め 5分17秒)
猪木(体固め 8分16秒)

小林との熱戦からわずか二日後。アメリカのクリーブランドにとんだ猪木は元NWF世界王者である毒グモ アーニー・ラッドの挑戦を受ける。会場の声援は100%ラッドの味方。強行スケジュールもアリ猪木は大苦戦。1本目はタックルの鉢合わせで両者カウントアウト。2本目はラッドのスパイダーキックで猪木がフォール負け。このカウントが異常にはやく、陰謀の臭いプンプン。ラッドはベルトを持って引き上げるが、ローカルルールでは両者KOは得点とはならず、3本目が行われトップロープからのニードロップで猪木がフォール勝ち。何とか引き分けに持ち込み防衛を果たしたが、観客からは大ブーイング。ラッドの強さが目立った試合であった。

 
49年6月20日 東京 蔵前国技館 60分3本勝負 ゴールデン・ファイト・シリーズ
○猪木(2−0)タイガー・ジェット・シン●
猪木(卍固め 20分51秒)
猪木(反則勝ち 1分21秒)

新日本プロの外人エースになったばかりのジェット・シンがNWF選手権に挑戦した初めての選手権試合。2本目シンは苦し紛れの火炎攻撃で猪木の目を焼き、遺恨を深める。

 
49年6月26日 大阪府立体育会館 60分3本勝負 ゴールデン・ファイト・シリーズ
○猪木(2−1)タイガー・ジェット・シン●
(両者リングアウト 11分25秒)
猪木(9分46秒・レフェリーストップ)

猪木は試合前、ミスター高橋に「シンを反則負けには絶対するな!」と厳命、事実上のデスマッチとして行なわれたこの試合は試合開始からシンが大暴走し、1本目は両者リングアウト。蔵前の遺恨を猪木が一気に爆発、シンの右腕を骨折させると言う凄惨な結末を迎えた。

 
49年7月30日 名古屋 吹上ホール 60分3本勝負 サマーファイト・シリーズ
○アントニオ猪木(2−1)ジョニー・パワーズ●

猪木(コブラツイスト 8分28秒)
パワーズ(足8の字固め 5分45秒)
猪木(反則勝ち 4分25秒)

パワーズにとってはリターンマッチ。1,2本目はそれぞれ得意技で決めるが、3本目は流血に暴走したパワーズがレフェリーを暴行しての反則負け。両者の遺恨は持ち越される。

 
49年10月10日 東京 蔵前国技館 時間無制限1本勝負
○アントニオ猪木(体固め13分13秒)大木金太郎●

全日本プロを脱退し韓国で活動していた大木が馬場、猪木に公開挑戦状を出し、それに猪木が呼応した形で行なわれた一戦。猪木と大木には日本プロ除名事件、日プロ・新日本プロ合併拒否などのいきさつから、遺恨マッチとして注目を集めた。試合はボディチェック時の猪木のナックルパンチで大いにあれ、大木のヘッドバットを受けきった猪木が渾身のバックドロップで大木をKO。試合後抱き合った両者は涙を流し、観客の涙を誘ったのであった。こも試合の勝者に小林が挑戦を表明していた。

 
49年11月1日 札幌中島スポーツセンター 60分3本勝負 闘魂シリーズ第2弾
○アントニオ猪木(2−1)アーニー・ラッド●

猪木(体固め 17分5秒)
ラッド(体固め 7分42秒)
猪木(弓矢固め 10分16秒)

これはラッドの雪辱戦と言うよりも、猪木の汚名挽回のための雪辱戦と言った感じの防衛戦。今回は猪木が慎重に攻め込み、弓矢固めでラッドの巨体を二つ折りにし、決着を付けた。

 
49年12月12日 蔵前国技館 時間無制限1本勝負
○アントニオ猪木(レフェリーストップ 28分27秒)ストロング小林●

前回の猪木の決戦に破れ、WWWF地区で実績を積んだ小林が猪木に再挑戦した遺恨マッチ。試合開始直後、特別レフェリー コシキ・ジーンのミスジャッジもあり試合は大いに盛り上がった。小林の気合も充実していたが、卍固めに身動きがとれず、今回も猪木の牙城は切り崩すことは出来なかった。翌年小林は正式に新日本プロに入団する。

 
49年12月15日 ブラジル サンパウロ コリンチャンスタジアム 時間無制限1本勝負
△ アントニオ猪木(両者リングアウト 19分31秒)アンドレ・ザ・ジャイアント△

猪木の第二の故郷への凱旋マッチ。小林戦の3日後だけに猪木は疲労困憊。なんとかアンドレの攻撃を凌ぐが、結局はキーロックをかけたまま両者場外になだれ込みそのまま両者リングアウトとなった。